7/7戦争を始めた日 国会前市民集会2018

国会前市民集会

国会前市民集会は夜の帳が降りてあたりが真っ暗になるまで続けられた

7月7日は日中戦争が始まった日だ。侵略戦争に関わっていない戦後世代の日本人にも、同じ過ちを繰り返さない責務と、そして侵略を始めた日にこそ、アジア太平洋の人々に向けて不戦を誓う必要がある、との想いから、昨年に続きかつての陸軍省があった場所、国会前でもある、その場所で、市民集会が開かれた。主催は実行委員会。集会は日比谷図書文化館での講演集会と国会前集会を合わせてのべ280名が参加した。

国会前市民集会では18時から始まり、最初にゲスト・スピーカーがスピーチし途中に歌を交え、その後は集会参加者から発言を求めて20時過ぎまで続いた。

■ゲスト・スピーカーのみなさん

北宏一朗さん(きた・こういちろう 民間研究者)
戦前の日本軍毒ガス兵器を製造した企業の実態を企業の社史などから実証的に研究し、その加害責任を問い続けています。

海野慎治さん(うんの・しんじ 元小学校教員)
日本軍の毒ガス兵器で多くの人が殺害された中国河北省の村を訪れ、被害に遭った人々の言葉を伝えています。

遠藤美幸さん(えんどう・みゆき 大学非常勤講師)
中国雲南省に侵攻し壊滅した日本軍兵士の聴き取りを10年以上続け、著書『「戦場体験を」受け継ぐということ』にまとめました。

中島幼八さん(なかじま・ようはち 中国残留孤児)
16歳のときに天津から船で舞鶴に帰ってきました。その体験をまとめた本を出しています。

発言する集会ゲスト・スピーカーの遠藤美幸さん

■北宏一朗さんの話

陸軍は大久野島で毒ガスをつくっていました。海軍も毒ガスを平塚と寒川でつくっていて中国で使っていました。敗戦になって国際法を犯していたので土のなかに隠しました。

それらの兵器をつくったのは軍ですが、三井・三菱・住友・日本曹達・チッソなどの民間会社の協力で生産されました。民間企業は技術を提供し莫大な利益をあげました。兵器を使用された側はひどい障害が残りました。つくった会社は何も罪を問われてません。免罪されています。会社もおおやけには生産を認めていません。ところが会社の社史には技術者たちが書いています。

兵器は軍に依頼でつくられてましたが、民間が軍を動かしてもいました。

「軍の命令だ」「軍に言われて…」というのは嘘ばっかりです。前渡し金というのが国から出ます。三菱はどれだけのお金をもらったのか。4億円です。1931年ですから当時のお金で莫大な金額です。化学企業なども大正時代から塩素ガスをつくり、シベリア出兵の時にもっていっています。保土谷化学は国からそれで金杯をもらっています。

戦争はかなり前から準備されます。新聞紙法が発令されて統制が強化されて、いっさいが軍に協力せよ、ということになります。言論が死ぬとき社会は 駄目になります。新聞もまた戦争をあおり利益をあげました。

さて7月7日に戦争が始まり、8月15日に敗戦をむかえますが、何か変わったでしょうか?! 少なくとも企業は変わっていないんです。明治から続いてきたことがあります。それを断ち切らなかればなりません。この集会は少数の人がはじめたといいますが、たった一人からでも歴史は動かすことができると信じています。みなさんと貴重な時間を共有して来年も再来年も続けていきたいと思います。(要約・文責編集部)