山梨・北杜市で明治150年を問い直す!笠原さんの講演

講演する笠原十九司さん

講演する笠原十九司さん(都留文科大名誉教授)

10月23日、政府主催の「明治150年記念」の祝賀会が開かれました。しかし実は、名ばかり祝賀会のようで、憲政記念館で行われたのは、安倍の独演と衆参両議長の挨拶などの、昼下がりの1時間にも満たないものであったらしい。

これに対抗して市民側では、議員会館前で「7・7 開戦 国会前集会」と。院内では「明治150年礼参式典・徹底批判緊急集会」が開かれが、これに先立ち、10月8日には、山梨・北杜市で明治150年祝賀を問い直す、「知ることで未来が見えるー明治150年の虚構は今も」という講演会が開かれたので報告します。
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講演は<戦争には前史と前夜がある『自著「日中戦争全史」』を語る>と題し、笠原十九司さん(都留文科大名誉教授)が、昨年出版されて話題となった「日中戦争全史」(高文研 2017年)を中心として語った。
          
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」とは1985年、ドイツ大統領の(故)ワイツゼッカーの言葉です。第2次世界大戦の終戦40年を記念する議会で演説しました。歴史に盲目であっては、過去と同じ過ちを繰り返す、という警告です。これに対し日本の安倍首相が今夏に行った原爆慰霊・終戦記念に寄せた言葉は空疎なものでした。 

今年は明治150年とのことで10月には政府主催の記念行事があります。9条改憲を謳う政府の記念事業では、明治150年を賛美することに終始し、近隣アジアへの侵略・戦争のことなどには触れないのではないか、の危惧が拭えません。これこそ「「過去に目を閉ざし現在にも盲目になる」ことにならないでしょうか? ある日突然に来た赤紙で、父は、兄は、どのようにして残虐な兵士に仕立て上げられるのか?戦時、日本は満州で何をしたのか?などなどを知る好機です。「日本が知らない日本の戦争責任」について知り、考えましょう、というもので、

会場は長坂コミュニティホール(JR長坂駅前)で、主催は日本の戦争責任資料センター事務局ボランティアー、共催Pくすの木・茶色の朝の灰色うさぎ、です。

講演に先立ち、岩川さんの詩が朗読披露(詩集「点滴石をも穿つ」より)されました。

『しずく』…………………………………………………………………………………
               岩川加代子  (87歳)

 秋田小学校の校庭の北西にひっそりと二宮金次郎の石像が立っている。
懐かしくそっと眺めながら通り過ぎ、昔の子供の頃を思い出している。
 戦時下の女学生時代は
 大和撫子は捕虜になるな!
 玉砕、手榴弾の使い方も学ばされた。

 日本は神国という思想の背景に天皇中心の国家を目指し、尊王攘夷の考え方が作られ、万世一系の天皇が治める神聖な国家に命を捧げることを教育された。
 
♪お国のために戦った兵隊さんのお陰です♪
 童謡として毎日歌った。

 皇民の教育は子供の心にシャワーのように浴びて育った。
 都合の悪い事、忌しい事は隠蔽され、大本営発表のみを信じ込まされた。
考える力はなく、自己喪失の時代だった
 
昭和天皇が亡くなり、ソ連が解体し、バブル経済の崩壊で高度成長も終わった。
 
平成三〇年になり価値観は変わった。

 生き延びるための政治家の出現は「日本会議」「神道政治連盟」との深い関係の閣僚は戦いへの道 破滅へと進んでいる。

あの時代の過ちを繰り返してはならない。

権威への服従が戦争へ 黙って従うことは危険である。

平和な社会を守るため行動する時だと痛感する。

「点滴石をも穿つ」62号から

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笠原十九司さんの講演は、折しも安倍組閣直後であったことから、大臣・副大臣に如何に多くの日本会議メンバーが占めているかが紹介された。つまり、かつてのニホンが皇国史観にマインドコントロールされたように、今また、立法と行政府は日本会議メンバーに占められ、憲法すらも危うい状況だとの指摘がありました。

その憲法ですが、これはあまり知られていない事ですが、との前置きで幣原喜重郎が不戦を憲法に反映させ9条になったという話で、秘書・平野三郎は幣原喜重郎の死の直前に呼ばれて書きとったもの、との話が紹介されました。

幣原は死の直前の床で、マッカーサーとの2人だけの面談を持ち、そこで、戦後の世界は核戦争を予期し、武器を持たぬことの理想を憲法9条の戦争放棄に実現させた、という話でした。

「日中戦争全史」の冒頭部分には以下の記述があります。

『日中戦争の時代、中国人俳優・歌手李香蘭として活躍した山口淑子が、敗戦後カンカン(中国人の裏切り者・売国奴)として裁判にかけられたが、日本人であることが判明して死刑を免れ日本に帰国した。戦後の日本で参議院議員も勤め、2014年に94歳で亡くなった彼女は晩年「本当にあの戦争は馬鹿な戦争でした。どれだけ人の命を奪ったことか。特に若い人の命を。」「日本軍は、中国で本当に罪深いことをしたと思う。」「私が仮に中国人だったとして同じことをされれば、日本を嫌いになったでしょう。」と語っていた。(朝日新聞2014年9月15日)』

動画をアップしたので併せて御覧ください。
(報告者・宿六)

集会の模様

集会の模様。歌で盛上げる



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