「戦争ができる国」づくりの意味するもの

今年も「平和を願う中央区民の戦争展」が8月10日(土)と11日(日)に月島社会教育会館で開催された。主催は実行委員会。

今回の展示は日本軍の731部隊と細菌戦がメインとなっている。なかなか見応えがあり、731部隊のことは既知のものと思っていたが新しい発見もあった。講演は8月10日に萩野富士夫さん(小樽商科大学名誉教授)の「しのびよる戦時体制」と、翌日は11日(日)は那須重雄さん(細菌戦資料センター理事)の「731部隊は中国で何を行ったのか」という講演があった。ここでは萩野富士夫さんの講演要旨を紹介する。



講演する萩野富士夫さん

講演する萩野富士夫さん(動画より)

講演「しのびよる戦時体制ー治安体制の歴史と現在ー」荻野富士夫さん

「戦争ができる国」という言葉はいつから出てくるか。90年代前半から新聞にでてくるが、これには2つの意味がある。戦争を継続するということ、それを推進するのは戦前では日本の満州侵出で関東軍の暴走に引きずられたという事実がある。

自衛隊が暴走するのか、安倍内閣の記録をみると、官邸に防衛省が食い込んでいるのは確かだが今のところはないだろう。

もうひとつは、いつでも戦争をできる状況を構築するということ。緊張状態を持続させるということ。たとえば朝鮮民主主義人民共和国のミサイルが飛んできた、と避難訓練をさせることも、戦争の緊張状態を意図的につくりだされているといえるだろう。国民のなかに不満があっても封じ込めて持続させるということ、それが大きな意味だろう。

なんのためか。国益、権益の追求で、今でいえば石油なんかだろう。そのためには異論があっても力で封じ込めるという戦争のできる体制が着々と進んできている。それを継続させるということ。「特定秘密保護法」や「共謀罪法」などがそのために整備された。

安倍政権は2006年に教育基本法を「改正」した。直近では道徳の教科化がされている。教育勅語の論議で肯定するような議論も最近あった。印象にあったのが、中山成彬(なりあき)文科省大臣が「日本の戦前は悪かったという歴史観がはびこった(略)国・人のために貢献できるような人になれ、と教えていくべきだ」という発言だが、自民党の根源にあったもの。安倍政権になってから実現をみた。

小森陽一さんが若者の保守化について、教育現場ではそうなっているので保守化されるのは当たり前と伝えていたが、安倍政権がなぜ教育基本法を「改正」したのか分かる。

植村隆さんが北星学園大学に努めていたときに従軍慰安婦問題の元凶だというような、猛烈なバッシングがあった。周りではなんとか支援して押し留めたことがあり、最近ではあいちトリエンナーレの問題がある。

これなど戦前で戦争が進むときにたどってきた道ではないか、と思う。

■99%の日本人は戦争を支持していた

天皇機関説事件があり、戦前の『日本新聞』という、右翼の新聞のあり方を見ていると、はじめは小さかったが、時流に乗り権力のなかに賛同者を増やし、そういう思想がとりこまれていった。

37年には矢内原忠雄、河合栄治郎が大学を追われ、著書が発売禁止になり、起訴されるという事件があり、日中戦争が起きている時だった。

同僚だった大河内一男が回想している。37年から41年が思想統制が陰湿でつらい時代であったと実感として語っている。同時期に『世界文化』や『土曜日』の件で検挙された京都の和田洋一も戦後「奈落の底にずるずると落ちていくような時代だと感じています」と記している。

今が、そういう時代かどうかはともかく、後で振り返るとどうなるか。

太平洋戦争開戦の12月8日のとき99%の日本人は戦争を支持していた。便乗組や消極的な人や付和雷同の人がいたが、それでも戦争を批判する意識や反対する人は少数だった。

正木ひろしや清沢洌など抵抗の意思を示した人はいたが、おおむね賛成だった。今の国民世論について、今の韓国に対する姿勢などは、安倍政権に共感したり肯定しているものが多い。韓国の情勢の報道によるものあるだろうし、過去の熱狂とは同じではないが、それでも今の日本人はあまり変わっていないのではないか、と考えざるをえない。

戦後米国が戦略爆撃調査団を日本に送り込んできた。空襲のダメージの影響を調査するため。日本人がいつ戦争を見限ったということを日本人にインタビューした。

総合報告書には「日中戦争でうんざりしていた、米国と戦争を望んでいなかったが、戦争が始まったときに、初戦の勝利報告は気分が高揚した」「サイパン島が陥落し、B29が飛んできて、爆弾を落としてから被害がでるようになり気分が落ち込んだ」とまとめている。

日本でも特高警察などが日本の民衆の動向を調べていた。44年に空襲があり、地方都市にも波及していった。それにより「厭戦、反戦」意識がひろがった、と認識している。

地域、性別、世代により意識に差があった。具体的には、地方から都市の軍需工場に徴用された工員が、工場に部品が集まってこない現状があり、仕事がないので帰っていいよとされて帰順している状態を受けて、当人も周囲の人ももうダメだと感じていた。女性はそういう情報には触れていないのでまだやれると思っていた。若い人は純粋培養されていたので戦意は高かった。

45年の段階で2割り程度が戦意を継続。当時の政府・首脳部はそのような状況を把握して戦争は続けられないと理解していたのではないだろうか。

戦意が高揚すると、それを抑えるのは容易ではない。加熱しないようにすることが重要ではないか。

■安倍政権による「戦争ができる国」づくり

安倍首相は戦後レジームからの脱却を掲げて、「積極的平和主義」提唱するようになる。「積極的」という英語の表記は先制攻撃のようなニュアンスだという。

2014年には「武器輸出三原則」を緩和し、「集団的自衛権」行使容認、「安保関連法制」の成立へと進む。「国益」「権益」のためのODA、そのため南スーダンへ自衛隊派遣が行われる。

「特定秘密保護法」の強行採決(2013年)、「共謀罪法」(2017年)が成立。今のところそれによる立件・事件化はされていないが、いつなんどき出てくるか、謀略的に出てくるのかもしれない。その可能性はある。

治安維持法に関しては悪法であると定着している。しかし、たとえば立川反戦ビラ事件(2004年)のようなものでも立件としては普通の犯罪法でいくしかないが、治安維持法に近いような格好の、新しい現代的な何かが出てくる可能性を、奥平康弘氏は指摘していた。

自民党の憲法改正案について気になることを指摘したい。「緊急事態の宣言」(第九八条)で緊急事態として「内乱による社会秩序の混乱」を規定している。韓国の朴槿恵政権を倒したろうそくデモや今の香港のような状況が出てくる可能性を想定してる。その場合に基本的人権を制限される危険性もある。

多喜二について話たい。多喜二の母セキが「きっと我々の主張することが、必ず実現される時代がくると思うと言ったことがありますが、丁度どれは今の世のことを予言したようなもの」と回想していた(46年2月)。

多喜二には変革の意思と実行というものがあったと思う。目の前の事態に一喜一憂することなく「胞子の拡散」や「培養土」(シールズが提唱していた…)たらんとし、何代がかりの運動となることの覚悟を希望を持ちたい。

(要旨:文責編集部)

「平和を願う中央区民の戦争展」チラシ

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