「殺し、殺された…」朝鮮戦争で闘った日本人

ドキュメンタリー「隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」(NHKサイトより)

日本人が朝鮮戦争で被害にあった話は聞いていたが、米軍に兵士として参加して相手を殺していた事実が明らかになった。以下は2019年8月18日に放送されたBS1スペシャル「隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」(NHK)というドキュメンタリーの概要である。

「私は北朝鮮兵を殺しました・・・」。その極秘の尋問記録には、これまで隠されてきた日本人の“戦争協力”について告白が記されていた。1950年に勃発した朝鮮戦争。今回、米軍の支援に当たっていた日本人70人の尋問記録をアメリカで発見。朝鮮半島の最前線で、日本人が戦争に関わっていたという記録が初めて明らかになったのだ。尋問後、米軍は一切の口外を禁じ事実を封印していた。歴史の闇に迫るドキュメンタリー。(NHKサイトより)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/3115648/index.html

尋問では口止めされた(放送より)

尋問では口止めされた(放送より)


尋問は1951年から約1年かけて、米軍基地内で米軍と朝鮮戦争時に行動をともにした日本人70人に対して行われた。調書は1033ページに渡る。指紋採取し口外をしないと署名をさせた。

尋問記録による70名の日本人のなかには、米軍の戦闘に参加し、北朝鮮の兵士を15人~20人は殺した、と応えたものもある。

日本人ウエノタモツ(当時20歳)は米軍第34歩兵連隊と行動をともにした。カービン銃と銃弾20発渡されて、北の兵士を何人殺したかは分からない、と尋問調書にあった。

ウエノタモツさんは亡くなっていた。弟さんに会って話を聞くと、米軍の施設で配車手配などの仕事の通訳として働いていたという。

なぜ日本の米軍基地で働いていた人間が朝鮮半島に行くことになったのか。ウエノさんの場合は、通訳が必要なので朝鮮半島に行けるかと聞かれて行った、という。

朝鮮戦争の勃発により日本は地域的にも米軍の後方支援を担った。協力した日本人は約8000人にのぼったという。そして様々な役割で朝鮮半島の激戦地に日本人が赴いていた。

当時米軍基地で働いていた日本人で、現在存命の方や遺族の方々に話を聞いた。炊事係として連れていかれたが、兵士として働かされたことを帰国後家族に語っている。

また、朝鮮戦争に参加した元米兵にも話を聞く。「日本人の多くは、今も朝鮮戦争では後方支援しかしていないと思っているかもしれない、しかし現地にいった日本人は想像と違ったと思ったはずだ。あれは戦闘行為だったと」と語る。

かつて朝鮮戦争に参加した米兵からも証言があった(放送より)


テジョンの闘いでは敵に包囲されて、兵隊が削られ、炊事係として行った日本人たちは、命令により兵士となった。また韓国の民衆が避難中に戦闘に巻き込まれ、多くのが犠牲となった。

日本兵の利用について北朝鮮が避難し、ソ連も米国に問いただしたが、米国は認めなかった。

元米兵が画像を見て証言する(放送より)


日本人を戦闘に参加させていることが明らかになったら大きな問題となるのは明らかだ。ゆえに誰も口外できなかったし、口止めを指令されていた。

朝鮮戦争で戦死した日本人もいた。ヒラツカシゲハル。実の弟さんが存命だった。シゲハルさんは太平洋戦争を体験していた。戦後は六本木に駐留していた米軍の施設で働いていた。朝鮮戦争が始まり、そして行方不明となっていた。

米軍から突然戦死が通告されて、父と母がわんわんと泣いていたことを憶えているという。

米軍からの手紙によると「ネオ平塚は国連軍に変装して、無許可で船による密航だった」とマッカーサー元帥の名前で通告されて、犯罪者として扱われていた。

家族は何時どこで死んだのか分からないので誕生日を命日としている。

壁(石垣)に囲まれた町・カサンの今(放送より)


その後の調査によって、壁に囲まれた町・カサンでの戦闘ではないか、という推定ができた。そしてシゲハルさんの直属の上司が最後の時を書き残していて、それを託されていた人に取材し、その人は部隊の一員であるバッチを示した。

直属の上司の記述によれば、シゲハルさん直撃弾を受けて即死だということ。遺骨については、まだ地域に残っているかもしれない、そして、私達には誰が死んだかを気にしている時間はありませんでした、と記している。

家族はカサンを訪れて、当時の犠牲者の弔う墓に向かい寺の住職に話を聞いた。数年前に軍人たちがこの辺りの遺骨の収集をしたという。地域の記念館も訪れ、敷地内の一角にある慰霊碑には259の遺骨が収められているという。

朝鮮戦争で亡くなった日本人は他にもいる。

沢崎さんのお父さんは米軍の船を運ぶ仕事をしていた。乗り込んだ船が機雷で沈没。生存者は9名だけだった。この事実は伏せられ海難事故として処理された。この時、神奈川県は22人分の空の遺骨箱を並べて撮影し、写真だけが家族のもとへ届けられた。極秘なので口外しないでくれ、と伝えられたという。

真相を明らかにしたいと、国を訴えた人もいる。三宮克己さん。彼も朝鮮戦争時に米軍に協力したが、日本のイラク戦争の協力がきっかけとなり、国の決定が違憲である、と裁判を起こした(裁判は棄却され敗訴が確定)。

国を訴えた三宅さん(放送より)

以上、要点を書き起こしたが、あらためて朝鮮戦争の悲惨さを確認することになった。考えてみれば朝鮮半島という地域で300万人が犠牲になった事実は重いし、日本の基地から朝鮮に爆撃にいっていたことを考えれば、一部参戦なのではないのだろうか

当然ながら日本国憲法が1947年に施行されており、「武力を行使は、永久に放棄」したはずであり、「交戦権は、認めない」はずであった。それが米軍の占領下にあるとはいえ、個別・部分的に朝鮮戦争に参戦していたのが明らかになった。

番組ではいったい何人の日本人が朝鮮戦争に直截的に関わって、何人が亡くなったのか明らかにはしていない。まだまだ資料が不足しているのだろう。機雷によって亡くなったのが22名なので、25名以上はいるのではないだろうか。戦死者の数はもちろんだが、朝鮮戦争の日本人の関わりについて全体に総合的に明らかにすべきだ。ぜひ国会などで追及・調査を行ってほしい。

朝鮮の戦闘に協力させられた日本人。機密活動とはいえ、憲法が施行された直後であり、先の大戦の記憶や反省は根付いてなかったのか、と唖然とせざるを得ない。今、憲法が変えられれば、このような派兵や戦闘参加が大手を振って行われるのは火を見るよりもあきらかである。
(本田一美)

証言するテッサ・モーリススズキ名誉教授。鮮戦争の武器を製造していた日本企業を調査している中で、米軍部隊に加わっていた日本人に対する尋問調書を発見した(放送より)