賃金未払いを訴えた韓国の人びと…徴用工裁判の歩み

「光州(クァンジュ)の市民団体が日本政府と三菱重工業に謝罪と賠償を求めるスローガンを訴えている」

「光州(クァンジュ)の市民団体が日本政府と三菱重工業に謝罪と賠償を求めるスローガンを訴えている」ハンギョレ新聞 2019-11-28よりhttp://japan.hani.co.kr/arti/politics/35092.html

2018年11月30日に韓国大法院(最高裁)が強制労働(徴用工)被害者への賠償を日本企業に命じた判決から1年を迎えるが、それに合わせたかのように24日、毎日放送で MBSドキュメンタリー<映像’19「ぶつかりあう日韓~徴用工裁判の核心~」>が放送された。これは7月に放送された「ある徴用工の手記より」の続編というべきもので、日本に徴用された朝鮮人労働者たちの裁判が勝利判決を勝ち取るまでの歩みを振り返り、改めて日本の植民地支配・歴史認識を問いかけるものだ。以下内容を紹介する。

韓国で安倍政権を批判する運動が盛り上がる(映像’19 より) 

韓国で安倍政権を批判する運動が盛り上がる(映像’19 より) 

■「ぶつかりあう日韓~徴用工裁判の核心~」毎日放送 MBSドキュメンタリー

2018年に韓国で日本製鉄への徴用工裁判判決があり、韓国大法院(韓国最高裁)が「今の日本製鉄に対して原告とその遺族に1人あたり1億ウォン支払うよう命じる」との賠償命令が出た。安倍首相は「国際法に照らして、ありえない判決」と語った。その後、日本は韓国に対しては半導体原材料の輸出規制を行い、それに反発する声明を文大統領が行った。その後、韓国では日本製品の不買運動や渡航ボイコットなどが起きている。

裁判の原告である元徴用工のイ・チュンシクさん(95)は1941年、17歳のときに現地の市長から推薦をうけ、仕事を知らされないまま岩手県の日本製鐵釜石製鉄所で働くようになり、溶鉱炉に石炭を入れる仕事に従事した。賃金は強制的に貯金させられて、まったく支払われなった。

1990年代に徴用工たちの裁判は大阪で始まった。ヨ・ウンテクさんは日本製鐵の大阪製鉄所で働いたが、賃金が払われていなかったと、日本の法務局に閲覧を請求したが応じなかった。

91年に、日本製鐵が戦後になって賃金を法務局に供託した報告書が発見された。そこには、ヨ・ウンテクさんの名前(当時の日本名で宮本)があり、そこに書かれていた未払いはおよそ250万円(今の金額に換算)だという。

大阪製鉄所は当時は日本製鐵として稼働していた。敗戦直前には朝鮮人が徴用され、日本各地で約2800人が働き、大阪製鉄所でもおよそ200人が働いていた。97年に、ヨ・ウンテクさんと、やはり大阪製鉄所で働いていたシン・チョンスさんが、ともに大阪地裁で日本政府と今の日本製鉄(新日鉄)に未払い賃金を払うよう裁判を起こした。

彼らの証言から過酷な労働に従事させられたことがわかる。「感電して、気が付いてみるとわら、むしろようなものを被せられ、水をかけられました」ヨ・ウンテクさんの証言。また、寄宿舎の部屋に入ったときのことを語る。「窓は鉄の棒でふさがれていました」「脱走しようとしたら殴られました…」シン・チョンスさんの証言。

過酷な労働と境遇を語る(映像’19より) 過酷な労働と境遇を語る(映像’19より)

ヨ・ウンテクさんたちの記者会見。当時のようす

ヨ・ウンテクさんたちの記者会見。当時のようす(映像’19より)

当時は軍需会社法があり、これに指定されると労働者は徴用工となり、大阪製鉄所は44年1月に指定され、これにより彼らも「原員徴用」となった。戦局の悪化により大阪も空襲を受け、これにより大阪製鉄所も被災した。生産拠点を今の北朝鮮の清津(チョンチン)に移設し、彼らもそこで敗戦を迎えた。

2001年3月、大阪地裁で判決が出た。判決では「日本製鐵での過酷で危険な作業は強制労働に当たり違法」「国家賠償法の施工前の行為で国に責任なし」というもので、「日本製鐵の債務を引き継いでいない」という判断で請求を棄却した。控訴審でも「日韓請求権協定と、それに伴う国内法の処置により債権が消滅した」というものであった。2003年最高裁で上告を棄却し敗訴が確定した。

日本の裁判所の判決は「債権は持っているが、国内法では消滅させられている、という判断がでる、だから棄却なんだ、という判断である」(萬歳寛之早稲田大学教授・国際法)

彼らは、今度は韓国で裁判を起こした。2009年はソウルの高裁でも棄却されたが、2012年には最高裁で判決があり、それは「破棄と判決を差し戻し」であった。日本の「植民地支配は合法である」という認識を批判し、植民地支配についての認識は日韓で共有できなかった、という判断であった。

1965年の日韓請求権協定の特徴は、植民地支配が不法なのか合法なのか、合意せずに協定を結んだので、植民地支配にかかわる不法行為請求は日韓請求権協定の適用外だということだ。

その後は高裁で請求を認める判決がでて、新日本製鉄が控訴したため最高裁へ移り原告の勝訴判決が出た。日本で裁判を起こしてから21年、最初に訴えをしたヨ・ウンテクさん、シン・チョンスさんは既に亡くなっている。

韓国では70年代に強制動員されたと訴えると死亡者に1人130万ウォンが支給された。2000年代には遺族と障がいを負った方に一定の支援があった。しかし、それは周知の不徹底など問題も指摘されている。

「韓日の両政府が結んだ65年協定で解決しなかった被害があるならば、人権的な側面から解決する必要がある」(イム・ジェソン代理人弁護士)。

戦時中に日本で働かさ賃金を貰われずに帰国した朝鮮人労働者は日本の法務省の調べで、少なくとも17万人に上る、という。

ヨーロッパでは冷戦体制後に、それまで言い出せなかった植民地支配の弾圧に対する賠償などが問題になってきた。「今こそ向き合わなければならない、ということがあちこちで言われているのがヨーロッパの状況だと思う」(永原陽子京都大学教授)

「韓国の判決が両国の関係を破綻させるのではなく、韓国で1987年の民主化以降続く植民地の過去と歴史についての紛争を、これ以上避けて通れない問題として受け止め、包括的な解決を行う重要な機会になる。そのための〝生みの苦しみ〟になるよう希望します」(イム・ジェソン)

韓国の裁判所が判決の通り日本企業の財産を売却するのは問題も指摘されている。「韓国の国内法に日本企業にそのまま適用するには問題がある」(萬歳寛之)
「国際法の解釈や判断も歴史的なもので、植民地の責務というのも、事実を知らない、忘れてしまうという責任など、その違いと問題がある」(永原陽子)

韓国政府と議会では日韓企業が自発的に基金を出し合い、そこから慰謝料を支払う案が出ているが、日本政府は受け入れる様子はない。また原告側でも日本企業の責任が曖昧になってしまう、と不満がでている。日本と韓国の歴史認識の合意点を改めて確かめ直すことが、今求められている。

(文責編集部)

■参考
「ぶつかりあう日韓~徴用工裁判の核心~」
https://www.mbs.jp/eizou/backno/191124.shtml