南京事件の苦難と罪を忘れない

2019東京証言集会

2019東京証言集会 人民網日本語版より

日本の南京東京証言集会実行委員会が主催する「南京大虐殺から82年 2019東京証言集会」が12月11日夜、東京で開催された。

集会では「南京大虐殺の生存者である葛道栄さんの子、葛鳳瑾さんが父の代わりに集会に駆けつけた。葛道栄さんの3人の家族が南京大虐殺で殺害された詳細な状況を日本人に向けて語った。葛鳳瑾さんは、「生存者の次の世代として、この苦難の歴史を胸に刻むほか、南京大虐殺の真相を人々に語り伝え、南京大虐殺の証言をする必要がある。より多くの若者がこの歴史を理解し、記憶することを願う」と表明した」と伝えている(「人民網日本語版」2019年12月12日)。

・南京大虐殺証言集会、東京で開催(「人民網日本語版」2019年12月12日)
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2019-12/12/content_75505867.htm

2019年も南京事件に関連したトピックがある。いくつか紹介してみよう。

・中国侵略日本軍兵士のアルバムに南京大虐殺時の写真を発見 (「人民網日本語版」2019年12月11日 )
http://j.people.com.cn/n3/2019/1211/c94474-9639862.html

遺体の側には焼かれた痕跡のある木材など雑多な物が雑然と散らばっている。その写真の下には、「南京」と書かれた白い紙が貼られていた(人民網より)

遺体の側には焼かれた痕跡のある木材など雑多な物が雑然と散らばっている。その写真の下には、「南京」と書かれた白い紙が貼られていた(人民網より)


記事によれば「収集家の毛偉さんは、吉林省長春市のある骨董店でこのアルバムを見つけた。アルバムの中の人物の写真や印鑑などの情報から、このアルバムの持ち主が中国侵略日本軍第16師団第30旅団歩兵第33連隊兵士の小平徹雄であることが分かった」とあり、外部に流出することが少ない写真が、戦功を誇るために密かに個人のアルバムに貼られたのではないか、と推察している。

毛偉さんとは、中国近現代史史料学学会による学術セミナー(2018年)において、以前に発見された日本軍の軍人、森岡周治が記した戦中日記の一部が公開されたのだが、その日記の所有者であると思われる。記事では「自身が所蔵する「日支時変日記」を紹介する遼寧省本渓市の収集家、毛偉(もう・い)さん」と紹介されている。

・中国侵略日本軍軍人の戦中日記が公開 
( 2018-12-15 | 新華社)
http://jp.xinhuanet.com/2018-12/15/c_137676177.htm

日本軍兵士の日記には進軍ルートが記されている 人民網より

日本軍兵士の日記には進軍ルートが記されている (人民網より)

・中国侵略日本軍南京大虐殺犠牲者合葬墓地の電子マップが初公開 催(「人民網日本語版」2019年12月12日)
http://j.people.com.cn/n3/2019/1212/c94475-9640146.html

これは、「合葬墓地の位置に関するナビゲーションマップであり、さらに、南京における死や民族の痛みを示す歴史地図」だという。

・中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館で、被害者の消灯追悼式(人民網日本語版 2019年8月1日)
http://j.people.com.cn/n3/2019/0801/c94638-9602554.html

7月31日には、最近亡くなった南京大虐殺の被害者である万秀英さんの追悼式が行われ、館内に掲げられた万秀英さんの写真の灯りが消された「南京市の中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館で現在、南京侵略日本軍被害者支援協会に登録されている生存者は82人のみとなっている」という。

館内にある南京大虐殺生存者の写真の壁に掲げられた万秀英さんの写真の灯りが消される様子(撮影・季春鵬)。人民網より

館内にある南京大虐殺生存者の写真の壁に掲げられた万秀英さんの写真の灯りが消される様子(撮影・季春鵬)。(人民網より)

そして、デンマークでは8月31日、1937~38年に起きた南京事件での英雄的な行動で知られるデンマーク人、ベルンハルト・アルプ・シンドバーグ(Bernhard Arp Sindberg)氏の銅像の除幕式が、同氏の故郷であるオーフス(Aarhus)で行われた。(AFP 2019年9月1日)

・南京事件で中国人救ったデンマーク人の像、故郷で除幕式 女王も出席
https://www.afpbb.com/articles/-/3242416

BBCの日本版でも<ベルンハルト・アルプ・シンドバーグ氏は、セメント工場の警備員だった。しかし中国では「輝けるブッダ」や、「デンマーク人の英雄」と呼ばれている>と紹介している。

南京大虐殺で、多くの中国人救ったデンマーク人 没後36年目の顕彰 (BBC日本版 2019年09月2日)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-49547357

シンドバーグ氏は当時26歳で、南京郊外のセメント工場でドイツ人とともに警備員として働いていた。シンドバーグ氏はこの工場に、6000~1万人の市民をかくまい、治療などをほどこしたという。

ベルンハルト・アルプ・シンドバーグ氏はデンマークの旗を掲げることで、日本の侵攻から南京の中国人を守った(BBC日本版より)

ベルンハルト・アルプ・シンドバーグ氏はデンマークの旗を掲げることで、日本の侵攻から南京の中国人を守った(BBC日本版より)

記事ではシンドバーグ氏について詳しく紹介している。

クリステンセン氏は、シンドバーグ氏は「完全に忘れ去られ、貧困のうちに亡くなったが、デンマーク最大の英雄かもしれない」と語った。

同僚だったドイツ人のカール・ギュンター氏も、中国人のために仮設のキャンプや病院を作ってシンドバーグ氏を助けたという。

2人が働いていた工場は、デンマークのFLスミスという企業が建てたもので、シンドバーグ氏は1937年12月に雇われた。日本の南京侵攻の直前だった。

シンドバーグ氏は基礎教育しか受けていない。10代前半で退学して海外へ行き、船でさまざまな仕事に就いていた。1931年にはフランスの外国人部隊に入隊したものの、数カ月で離れている。

中国には1934年にたどり着いた。デンマーク製のライフルの実演を行っていたが、その後、イギリスの外国特派員フィリップ・ペンブローク・スティーヴンス氏の運転手となった。スティーヴンス氏は1937年11月、旧日本軍の上海侵攻を取材中、日本の機関銃で殺された。
(略)
南京の追悼施設では、シンドバーグ氏にちなんだ黄色いバラが育てられ、シンドバーグ氏の英雄的行為が称えられている。このバラは、デンマークのロザ・エスケルンド氏によって開発された。

シンドバーグ氏の働いていたセメント工場の避難所については笠原十九司氏の著作にも一部紹介されている。それによると棲霞山は南京の東北20キロにあり、ここにギュンターとシンバーグの二人のアメリカ人宣教師(工場従業員だが)が難民キャンプを開設していた、という。

日本軍の侵攻で南京付近の農民1万人が避難してきて、棲霞山にある寺院も僧が世話をして境内を難民収容所に開放して収容していた。この棲霞山付近を通過していったのは日本軍第13師団の山田支隊だという。

日本軍は村々を焼却していった「放火の軍隊」であり、行軍中の部隊や兵士多くが中国人男子を拉致、または強制連行して使役につかった。

「拉致された農民の運命が過酷だったのは、連行途中で働きがわるかったり、逃げようとしたり、挙動不審とかたわいない理由でも、簡単に殺害されてしまったことである」(『南京難民区の百日』笠原十九司 岩波現代文庫 2005年 104-109頁)

南京事件とそれにつながる日中戦争の諸所の事象を確認することは、未だに、事件とそのものを否定する発言や意見が大手を振っている日本の状況では、重要なことである。

また、南京の農民たちを匿ったシンドバーグ氏が故郷で顕彰されて、地元でも評価されはじめたことを率直に喜びたい。

なお、テキサス大学オースティン校のハリーランサムセンターにはシンドバーグ氏の論文と写真のコレクションが保存されており、ここに記述された伝記によれば、彼は、アマチュアの写真家であり、この期間中にカメラをどこにでも持ち運んで、民間虐殺と公共破壊のシーンをしばしば撮影した、とある。
https://legacy.lib.utexas.edu/taro/uthrc/01295/hrc-01295.html
(本田一美)