【書評】戦争を回避する道を探る

書籍を紹介します。

『避けられた戦争―1920年代・日本の戦争』油井大三郎著(ちくま書房 2020年)です。

帯には「こうすれば日本の運命は変わっていた」とあり、読んでみました。さらに同帯は次のように続きます。

 1920年代の日本は、国際連盟の常任理事国に選ばれ、不戦条約にも調印し国際平和をリードする大国として世界の期待を集めていた。

 だが1930年代になると日本は一転して国際協調を捨て、戦争への道を歩んで行く。

当時、戦争を避ける選択はありえなかったのだろうか。日米関係を中心に長年研究を積み重ねてき顕学が、その最新の知見を、従来の日本近代史の豊富な実証研究の蓄積へと接合、20年代日本にとって、本当は存在していた「戦争を避ける道」の可能性を掘り起こす。

 目次は以下の通り。
プロローグ
第1章  ヴェルサイユ会議と日本
第2章  ワシントン会議と日本
第3章  米国の日系移民排斥と反米感情の噴出
第4章  中国の国権回復と米英ソ日の対応
第5章  山東出兵と張作霖爆殺事件
第6章  ロンドン海軍軍縮条約から満州事変へ
エピローグーー戦争を避ける道はあった
   1  戦争を避ける2回のチャンス
   2  現在の歴史認識への教訓
   あとがき

読後感としては、今日の政治状況をどうしても言及したくなります。司法や検察を配下に置いた安倍政権の地ならしの後、にて検察を配下に置いた安倍政権の地ならしの後、菅政権はさらに学術会議人事にも介入し、研究者6人の不認証を言い出す始末。しかも、6人不認証とのみ言うだけで何ら説明責任も果たそうとしない現在こそ、必読の書ではないかとお勧めします。

前安倍政権では、司法や検察を配下に置き、財務省官吏を自死に追い込み、さらに、モリカケ、桜見る会、など、様々なデタラメがまかり通る現在こそ、戦争前夜でなくて何であろうかとの思いを強くします。

6月発刊の本書は今の世情への重大な警告書として読まれるべきと浅学ながら思います。二ホンの黒い闇は、次にはさらに治安維持法の復活を狙っているのではないか、とさえ思わせます。

政権側の本丸は現憲法ですから、私たち市民は、例えば河合栄治郎の反ファシズム対峙する毅然さに学ぶべき時かも知れません。

1920年代に国際連盟常任理事国になった日本の国際感覚の錯覚は1931年、満州事変となり日中戦争へと突き進むことになりますが、この満州事変を回避するには1920年代の中国国権回復運動に、一定の譲歩を図る工夫があれば、中国側の抗日運動をやわらげることや、蘇州・杭州の租界を返還や日本の駐留を放棄して、満州での鉄道や鉱山の権益が保持できたのではないか、と推論するが、しかし、これには軍部の了解は得られないので、ここを打開するのは、二ホンの国際関係への認識の変革が不可欠でした。

第一次世界大戦の悲劇を受けて、欧米には戦勝国の利権死守という旧外交から、協調重視の新外交への転換機運が生まれていた、とのこと。この国際的な流れに幣原は沿うべきとするものの、二ホンの政党やメディアは軟弱外交と幣原を揶揄し、結果として軍部の暴走を煽ることになってしまったことになったのはないか、と著者・油井氏は指摘します。

現代史研究とは、実際に起こった事件の経過や結果への因果分析を軸とした研究ジャンルなので、その渦中に捨てられた選択肢は無視されるのが常ですが。

しかし実際の歴史過程では多くの選択肢の中から、特定の政策が選ばれ遂行されて行くのだから「別な選択肢の発掘」の視座から、その後に続く日中・太平洋戦争が避けられた可能性の考察・提示は示唆に富むものではないでしょうか。

2020年代が始まる今、対米追従で軍備。防衛予算を拡大させるために、中国・北朝鮮・韓国を敵視する政策は、現代史痴呆・学術無知・外交無策につながっていないか、市民は目を凝らそうではないか、と思う次第です。
(宿六)

<追記>
幣原喜重郎の外交については、笠原十九司著「憲法9条と幣原喜重郎ー日本国憲法の原点の解明」〈大月書店〉も出版されていますので、併せてお知らせします。