たたかいの稀有な写真郡『人間の住んでいる島』

写真集『人間の住んでいる島』表紙

写真集『人間の住んでいる島』表紙

古本屋で写真集『人間の住んでいる島』(阿波根昌鴻 自費出版 1982年)を見かけて購入したのは、さほど古いことではない。何度か引っ越しをして、その度に画集や写真集の類いをあらかた手放してしまったが、この『人間の住んでいる島』だけは残ってきたし、手元に置いておきたいと思っている。そうさせる迫真力がこの写真集にはある。

阿波根昌鴻さんと沖縄・伊江島のたたかいは「島ぐるみ闘争」と言われて、沖縄の反基地闘争へと発展した。写真集を手にしたときはその程度の認識しかなかったが、『米軍と農民』『命こそ宝』(ともに阿波根昌鴻 岩波新書)を読み阿波根さんの生涯、その高潔な精神や思想を知り、さらに的確な情勢の把握や認識に驚かされた。

月刊誌の「世界」(岩波書店 2021年2月号)で「阿波根昌鴻――態度としての非戦」が特集されている。コロナ禍で人と人の繋がりや集会や運動が進まなくなる今、何度でも振り返り確認したい人間と平和の原点ではないか。

阿波根さんの非暴力のたたかいとは何だったのか、それをあたらめて考えてみたい。特集の冒頭には謝花悦子さんインタビューだ。謝花さんは阿波根さんと共に平和活動に取り組んできた方で、伊江島の福祉と平和を結ぶ場である「わびあいの里」(1984年~)の理事長でもある。今でも反戦平和資料館で平和の講話・対話を続けているという。病気によって不自由な生活を強いられていたが、阿波根さんの力添えで勉学と医療を受けて再生し、活動するようになったこと、戦前・戦後の沖縄の凄まじい体験が語られる。さらに今日のコロナが蔓延する状況を批判して「政治は何が目的で、何をしなければならないのか。人間のために使う予算がないと言ってはいけない」として「これは人間の業、人災であると思います」と的確に言い当てている。

常識をゆさぶる資料群』(鳥山淳)は「反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家」から出されているノートの翻刻を紹介している。このノートはたたかいの記録として残されたもので、複数の記録ノートには阿波根さんを中心として複数の人間の手による記入が確認され、「たたかいの記録」はすぐさま、「たたかいのための記録」として活用され、広範な人びとの関心を喚起していった、という。著者は資料を調査する会の代表として、途方もない分量と多様な形態からなる資料を目録化していく作業に当たり、気の遠くなるような感覚と意味があるのか、と疑問を正直に吐露されているが「その作業を繰り返してきたなかで、違う感覚が生まれてきた」とも記され、未来に託す方策と実践を提起している。

記録の交差から始まる沖縄』(新城郁夫)は1945年から1972年に至る米軍占領下の沖縄で書かれた思想的・政治的文書に米軍の監視・検閲の力が影響していると指摘して、そこから読み取れる事態を考察している。

例えば米軍による圧力を感受することにより「みだりにしゃべらない」ことを共有しつつ群れとして行動を形成していくことになり、集団の匿名性と集団の指導者が同定されないことを通じて、組織の硬直を防ぎ、流動性が生成される利点がある、とする。

また伊江島の惨状を沖縄各地の人びとに訴えた「乞食行進」(1955年~56年)についても個人として特定されることを回避しつつ、「乞食」という群れが米軍支配と沖縄社会から生み出された象徴とも捉えている。さらに記録されえない共感の連鎖として、同時期に獄中にあった瀬長亀次郎の日記と伊江島のたたかいが共振していくさまを描いている。

ガラクタの山を証すること』(榎本空)によれば、阿波根さんの可能性を、過去に閉じ込めずに、歴史を現在に対する最良の教師とした、として想起し、響かせ、開くこと、それによって生き延びることを勧めている。そして彼が遺した「ガラクタの山」はまさに鳥山淳が紹介している「途方もない分量と多様な形態からなる資料」を倫理的な可能性として視ること。例えばキリスト教の「アーメン」という祈りの言葉も、見えないことを差異のなかで共鳴しうる回路を開くのではないか、とキリスト者でもあった阿波根さんの思想を考察する。

その時、伊江島に一台のカメラがあった』(張ヶ谷弘司)は阿波根さんが1955年からカメラを手にして、島の人びとや子どもたちも撮っていたことを教えてくれる(写真集にもそれはある)。おそらく島にとってもはじめてのカメラだっただろう。

そして、米軍への証拠のために、歴史の記録ともなるとかんがえていた、という。写真学生だった著者は1969年に阿波根さんと会ったが、闘争家という印象とは程遠いという印象だったという。やがて写真の行方や保存状態が気になり、写真集として纏められることをすすめる。「阿波根さんの記録は「事」の当時者自身の手によって写された、内外も含めて極めて稀な写真郡に思われる。専門の職業写真師でもなく、また、島で唯一のカメラだったことも不思議で、奇蹟的とすら考えられるのだ。」とあるが、まさに当事者でなければ撮影できないような写真集であり、島に棲む土地と人たちの記録だったのだ。

ともあれ阿波根さんの思想と生涯は、まだまだ汲んでも汲み尽くせぬ豊穣なる大地なのではないだろうか。

写真集に戻って、頁を繰ってみれば海から見た伊江島が最初に出てきて、島の波止場と城山(タッチュー)からみた島の風景が続く。そこから「家屋の破壊と焼き払い」という、島民たちの家や農地が、米軍によってブルドーザーで強制撤去・破壊される情景となる。なんの変哲もない更地にされた無残な家跡が十一葉の写真として続くのだ。

さらに、陳情小屋での生活や食事風景、もちろん沖縄本島での「乞食行進」の様子、住民集会、共同農作業の風景、島民の青年会の記念写真や子どもたちの遊ぶ様子が映し出される。そして爆弾解体中に誤って亡くなった亡骸も当然のように掲載されている。この写真集は何かあった時など幾度も見返してみよう。伊江島の戦後史が見える。米軍支配とのたたかいや爆弾に怯えながら生活をしている島民たちの姿、島の営みが浮かび上がってくる。
(本田一美)

焼き払われた家の痕(『人間の住んでいる島』より)

焼き払われた家の痕(『人間の住んでいる島』より)


「膜舎生活」家がなくなり米軍の張ったテントで生活する(『人間の住んでいる島』より)

「幕舎生活」家がなくなり米軍の張ったテントで生活する(『人間の住んでいる島』より)


左頁:演習地の中に入り農作業をする(『人間の住んでいる島』より)

左頁:演習地の中に入り農作業をする(『人間の住んでいる島』より)


那覇国際通りを歩く(『人間の住んでいる島』より)

那覇国際通りを歩く(『人間の住んでいる島』より)


乞食行進で訪れた部落での記念写真(『人間の住んでいる島』より)

乞食行進で訪れた部落での記念写真(『人間の住んでいる島』より)


畑に落ちた爆弾穴。爆弾を掘り起こす(『人間の住んでいる島』より)

畑に落ちた爆弾穴。爆弾を掘り起こす(『人間の住んでいる島』より)

佐藤首相来沖訴訟闘争に参加(『人間の住んでいる島』より)

佐藤首相来沖訴訟闘争に参加(『人間の住んでいる島』より)

なお、2020年に真喜志美術館(沖縄県宜野湾市)で「沖縄の縮図 伊江島の記録と記憶」という写真展が開かれたことを知った。以下参照願いたい。

■参考
沖縄アジア国際平和芸術祭2020 沖縄アジア戦後民衆の抵抗の表現「沖縄の縮図 伊江島の記録と記憶」 阿波根昌鴻「人間の住んでいる島」と比嘉豊光「島クトゥバで語る戦世-伊江島編」(2020年7月3日~8月3日)
http://sakima.jp/?p=2459

わびあいの里
http://wabiai.holy.jp/index.html