板東英二が生まれ幼少を過ごした満州・図們

板東英二さんのプロフィール(公式サイトより)
タレントの板東英二さんが7月22日に亡くなった(享年86歳)。個人的な感想だが、板東さんは「世界ふしぎ発見!」での黒柳徹子さんとの掛け合いが面白く、話も軽妙なのでお笑いの人かと漠然と思っていた。実は元プロ野球の選手で、投手として数々の記録を打ち立てた人であった。そして、満州出身であったこともずっと後で知った。
坂東さんは1998年に自伝的小説『赤い手』(青山出版社)を出している。幼い頃の満州からの引き揚げから、やがて野球部で活躍し甲子園で準優勝するまでが綴られている。
坂東家が徳島県の坂東町(現在は鳴門市大麻町板東)から一旗あげようと満州に渡ったのは1939年のこと。1940年には英二が生まれほどなく朝鮮国境近くの図們に落ち着いた。徳島からの満蒙開拓移民は3千名以上とも言われる。坂東家は開拓団の事業とは別の行動のようだが、その辺りの記述は見当たらず判然としない。
図們で坂東家は森林伐採業と高級料理店を経営し、羽振りがよくなり、父親の兄弟たちも噂を聞きつけて満州にやってきたほどだという。何不自由なく暮らしていたらしい。その後はソ連の参戦により八ヶ月もの間、満州をさまよう過酷な体験をする。小説のなかではその体験は数ページしかないのだが、その後は幾度となくその体験がフラッシュバックすることになる。
生まれ故郷の図們(生まれはソ連国境沿いの虎林という説もある)と引き揚げ描写は、その後の生活のなかの端々で思い出され、振り返ることになる。悲惨な話だが、それがむしろ、前向きに生きる証となっている節がある。小説の最後では、高校生となった英二が中日球団との契約をした帰りに電車から夕陽を眺めるのだが、母と英二はともに満州の風景を想起したのだった。このように満州での出来事がトラウマとなり、幾度となく話のなかで映画のインサート映像のように蘇ってくるのだ。

延辺朝鮮族自治州。北朝鮮の国境沿いにある(googleより)
図們地図(矢印・文字を追加)。同志社大学鉄道。同好会OB会(DRFCクローバー会)ホームページより
英二が幼少を過ごした図們について説明しておこう。現在は中国吉林省の延辺朝鮮族自治州にあり、州都は延吉市で北朝鮮国境に近い。図們市となったのは満洲国成立後で鉄道が敷設されて朝鮮と満州の交通のハブとして栄えたという。
「鉄道建設にも力が入れられ、牡図線(図們~牡丹江)<:図寧線とも、引用者>が三十四年十二月着工されたのである。各鉄道により朝鮮の日本海側港湾や大連と日本との経済的結びつきも強まった。
一九三二~三十六年には土地局・土地調査委員会・地籍整理局などがつくられて、農地が整理され、三二年の「満州移民計画大綱」発表以後、日本人武装移民が入って来た。こうして十四年にわたる日本統治は、朝鮮族の苦痛の十四年でもあったのである。」(『抗日朝鮮義勇軍の真相』(朝鮮族簡史) 高木慶三訳 新人物往来社 1990年)
もともとこの辺りは間島と呼ばれ、満洲国時代の間島省は「1936年、5月現在の間島省公署の職員民族比率は中国35%、朝鮮33%、日本32%だった」(ウィキペディア)とあるが、当然ながら満人や蒙古人なども含まれる多様な人々の流入、そして民族が交わるところでもあった。朝鮮人の詩人尹東柱の故郷である(尹東柱については以下参照)。
尹東柱の生まれた場と時を考え、朝鮮移民の暮らしを振り返る
そして、詩人槙村浩は当時の朝鮮人の抗日武装闘争を描いた「間島パルチザンの歌」(1932年)を書いている。間島では1914年頃から朝鮮人の抗日闘争がはじまり、徐々に進展していくと関東軍による抗日根拠地への討伐も激しくなっていった。
小説には英二少年が父よりも慕っていたという使用人の朴さんが出てくる。これについては世話を焼いてくれたということしか記述がないのだが、おそらく朝鮮人だった筈だ。また、図們についてもあまり書かれていないが、多くの朝鮮人がいたことだろう。折りに触れて、満州の出来事が挿入され、朝鮮人の子どもとの喧嘩の話がでてくる。幼い英二が朝鮮人の子どもたちの人質となり、兄が「朝鮮飴」を渡して解放してもらったのだ。
また、兄の葬儀の時に、満州を彷徨っているなか、思い余って母が英二を中国人に売ろうとした話を聞かされて衝撃を受ける。それは英二が直前に足にしがみつき、兄弟が泣き出したことでご破算になるのだが、もしそれが実現していたら後に中国残留邦人として戻っていたかもしれない。

国境沿いにあるため驚くほど北朝鮮が間近に見える。朝鮮が見える町としては遼寧省丹東市が有名だが、こちらは河幅が狭いぶんより近くに見える(Youtubeより 以下同)
現在の図們はどうなっているのだろう。そんな気持ちで検索しているとYoutubeの動画が目に止まった。かなり最近の動画だ。その動画の中身を紹介しよう。
動画は旅行者が図們駅につくところから始まる。図們はかなり山が近くにある町だ。図們市は中国吉林省延辺朝鮮族自治州に位置し、図們江を挟んで北朝鮮の南陽と向かい合っている。自治州の州都である延吉市から高鉄で15分、車で45分くらいなので延吉まで通っている人もいる。
2025年末時点で常住人口は8万人未満で、そのうち朝鮮族が約53.3%を占める。15年足らずで人口はほぼ半減した。図們とは、満州語で「多くの川」を意味し、20世紀に日本が通商港を開設して発展、1933年に敦図鉄道が開通し交通の要衝となり、一時期は活発な中朝貿易があったが近年の北朝鮮の対外閉鎖により衰退している。

昔の図們を紹介した記録映像。朝鮮の農楽が写っている

人口10万以下という中国ではかなり小さな市だが、街中でハングルと漢字が併記されている(Youtubeより)

中国朝鮮無形文化遺産展示館。ちいさな町の施設だが建物は立派で展示内容は充実しているように見える

白龍村百年部落に残る朝鮮古民家
昔の朝鮮家屋が残る白龍村百年部落に朝鮮族のガイドと訪れるシーンがある。伝統的な朝鮮族の家屋を見学、オンドルやささやかな地下倉庫に感心し、手造りのマッコリ試飲して、その旨さに驚嘆する。
興味深いのは40代とおもわれるガイドの幼少期の思い出で、国境を越えて北の朝鮮人と交流した話だ。当時は有刺鉄線もなく普通に家庭に遊びに来て、食料なども調達したという。また、昔は嫁の地位が低く、最後に食事をしていて、残り物を集めて食べるところから「乞食飯」と呼ばれて、それがビビンバと美化された、と語る(諸説あり)。
動画では中国朝鮮無形文化遺産展示館や華厳寺などの観光も紹介されていた。朝鮮族の都市としては延吉が有名だが、町の規模が小さいぶん図們のほうが朝鮮の文化が濃厚なのだろう。坂東さんは幼少を過ごした故郷に再び訪れることができたであろうか。つらい体験であっても幼い自分が過ごした唯一の故郷の郷愁として、ほろ苦い過去への愛着として残り続けたのではあるまいか。
(本田一美)

現在の図們の小学生たちの踊り。朝鮮の伝統的な舞踊に見える(youkuより)
図們の朝鮮族中学生の踊り。こちらは今風のビートダンスだ(youkuより)

