千葉県市川で関東大震災 朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式

雨のなか約30名の市民が参集した 雨のなか約30名の市民が参集した

8月29日(土)17時より千葉県市川市の北方十字路で「関東大震災 朝鮮人虐殺犠牲者 市川追悼式」が開催された。この季節にしては肌寒く、小雨の降るなか約30名の市民が参加した。主催は実行委員会。

北方十字路といっても地元の人しか分からないだろうが、中山競馬場とその駐車場を挟んで松戸方面側通りの角にある十字路だ。その交差点の歩道スペースで行われた。

はじめに司会の方からあいさつがあり、黙祷の後、献花、そしてメッセージが続く、日朝友好千葉県の会、朝鮮総連千葉本部委員長、いくつかの市民の発言が続き、最後に市川市議のとくたけ純平さんがあいさつし終了した。

中央に花が手向けられ、連帯のあいさつが続いた

中央に花が手向けられ、連帯のあいさつが続いた


市川市では、わかっているだけでも25名の朝鮮人が虐殺されたという。
(「フリースタイル市川」 100年前に市川市でも起きた惨事を忘れない~関東大震災直後の朝鮮人虐殺~) https://fs-ichikawa.org/genocide1923/

ここにある一角、中山競馬場の駐車場あたりは昔は芋畑だったらしい。この場所を描いた小学生の絵がある。新井勝紘さんの『関東大震災朝鮮人虐殺を読み解く』(新日本出版社 2022年)という本に、その絵の説明がある。在郷軍人たちが朝鮮人を捉えようとしている絵で、口絵に掲載されている。その内容を紹介しよう。

「本横小学校4年生の山崎君は、疎開先の千葉県中山で、芋畑に必死に逃げ込んだ朝鮮人と、そこまで追い込んできた武器をもった日本人の双方を、目に焼き付けていた。」
「手に手に竹槍を持ち、頭には決死の覚悟を示そうとしたのかはちまきを固くまいた二十人ほどの民衆と、三人ほどの在郷軍人らしき人物が、青い長袖の服を着た一人の人物をやっと里芋畑に追い詰め、今まさに捕縛しようとしている図である。(略)捕縛されそうになっている人物の形相は厳しい苦渋の顔をしている。」(前掲書)

本書によれば、この絵は震災の数ヶ月に描かれて、絵を描いた小学生は「震災でもっとも怖かったこと」だそうだ、いかに恐ろしくショッキングなことだったのだろう。眼の前に広がる、整然とした車がならぶ駐車場。そこで昔は絵のような惨劇があったのかと思うと、自然と頭を下げて黙祷を捧げてしまう。

芋畑に逃げ込む朝鮮人(当時本横小4年・山崎巌/東京都慰霊堂保管)(高麗博物館 HPより)

芋畑に逃げ込む朝鮮人(当時本横小4年・山崎巌/東京都慰霊堂保管)(高麗博物館 HPより)


市川市議のとくたけ純平さんに少しだけ話しを聞いた。「はじめはまったく朝鮮人虐殺があったことは知らなかった。何かしなければとの思いがあった」「議会で歴史について問いただしても、市川市では、千葉県の出している資料に載っているらしいとの返答で関心がないようだ」と嘆いた。

また、追悼式の冒頭の発言にもあったが、「差別は人を殺す」という朝鮮人虐殺の由来となった蔑視・偏見を指摘した。それは過去の差別の話だけでなく現在の差別・排外にも注意を喚起した。

具体的には行徳の公園使用について、行徳のモスクがイスラムの集団礼拝のためこれまで30年間に渡って公園を使用していたが、2026年に突然、市川市は礼拝を認めないという対応をした。

市長による判断で、一部のネット投稿による拡散を意識しているようだが、あきらかな差別であり人権の観点からも問題があると批判した。

この追悼式は2024年から今年で3回目だという。ぜひ継続して開催してほしい。

(本田一美)

「 関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く」新井勝紘(新日本出版社 2022年)

「 関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く」新井勝紘(新日本出版社 2022年)