ハルモニたちを撮りつづける―安世鴻「重重」写真展 

写真展「重重」

写真展「重重」チラシ

2012年にニコンサロンで日本軍「慰安婦」の写真展が中止された。これはまさに会場運営者がいろいろな反響を懸念して中止したものだ。あれからずいぶん時間は経過したが、そのような「自粛」や「忖度」は増えてきている気がする。その写真展を開催してさらに展示責任のニコンを裁判に訴えた写真家、安世鴻(アン・セホン)さんの写真展「重重 消せない痕跡―アジアの日本軍性奴隷被害女性たち」が東京・神楽坂セッションハウスで開かれた(9月30-10月9日)。あらためて表現の自由を奪うものとは何だったのか、そして社会的な観点から人間の尊厳を問うものでもあるその表現の主題と歴史的な事実について考えてみたい。

写真展の会場は神楽坂の駅の裏手にある狭い路地を下ったところにあり、地下がダンスのスタジオで2階がギャラリーとなっている。

日本軍「慰安婦」とされたハルモニ(おばあさん)たちの肖像や佇まいのプリントが直接に壁面に飾られている。カラフルな写真から生々しさと鮮烈さが感じられる。

すこし隠れ家的雰囲気のギャラリーで2階にある

壁面に飾られた写真

壁面に飾られた写真

安世鴻さんに話を聞いた。

1996年に韓国にあるナヌムの家に行きました。そこで(男として)恥ずかしい思いをしました。3年くらい通いボランティア活動をしながら、何か自分にできることはないかと考え、写真を撮っていたので、それでお手伝いできるのではないかと思いました。それで他のハルモニを訪ねて全国を廻りました。

2001年からは中国の朝鮮族のハルモニに会いにいくようになりました。日本軍の部隊があったところは慰安所があった筈なので、そこにたどり着いたのです。

いろいろ聞いて探していきました。たとえばアジアの市民団体、支援組織などに聞いて、「被害者だったおばさんなら、あそこにいるよ…」ということを聞いて訪ねて行きました。

昔はハルモニたちに何を話してかけていいの分からなかった。会っていくうちに写真を撮りに行くのではなく、会いにいくということでいいと思いました。

過去の話を聞くというより、今の自分のことを話してもうらようにしています。何度も通って段々と話してもらうようにしています。

今だに「私は性奴隷ではない、洗濯をしていただけだ」というおばあさんもいたり、気持ちの「痛み」があってつらい記憶を話せない人がいます。話をしていると唐突に中断してしまいます。演出せずに、おばあさんたちの自然な表情を撮影していると表情は変わってきます。

日本で20回以上展覧会を開いています。米国、中国、カンボジアなど世界各地でも展示しています。東アジア(韓国・中国・日本)では国の対立問題として捉える傾向があるが、それ以外の国では人権問題として見てくれます。まず被害者がいるということを知らせたい。

まだ解決していない、現在進行形の問題だということを示すためにモノクロではなくカラーで撮っています。中国は赤、フィリピンは緑、東チモールはエメラルドというように地域ごとに色の特徴があります。

語り伝えること、写真を撮っていくことが仕事です。いつも「痛み」を感じているおばあさんたちに何ができるか、そのことを探しています。力を合わせて何ができるのかということで活動しています。写真を撮ること、記録することが一番大切だと思っていました。
(通訳:李 尚炫/イ・サンヒョン)

写真家・安世鴻さん

写真家・安世鴻さん

最後に文在寅(ムン・ジェイン)大統領後の「慰安婦問題」の日韓合意について聞いた。
「解決済みという認識がありますが、被害者の声が聞こえない、反映されていない。平等な関係ではないと感じる。合意の再検討について日本政府は受け入れるべきだろう、と思います」

ギャラリーの展示

ギャラリーの展示

韓国で文在寅政権が誕生したときに日本のマスコミでは「日韓合意」について、国際関係のルールを守れ、という合唱がなされた。まず「合意」が成立しか経緯や、中身を検討せずに結果のみ、政府見解のみを伝える官報ジャーナリズムも問題だし、事実そのものを優先させて履行を迫っても、禍根を残すだけだろう。やはり日本社会のなかで「日本軍慰安婦」(安さんは日本軍<性奴隷被害者>と呼称する)問題が、表層的で理解されていない、解決済みのこと、にされているということがおおきいだろう。戦争責任にも通じることだが繰り返しこのことを問い続けることが風化させないために必要だ。
(本田一美)

これまでに出会ったハルモニたちの記録が壁にあった

これまでに出会ったハルモニたちの記録が壁にあった