郵便から見える支配と戦争
年末年始となると郵便局は混雑する。携帯電話やメールが普及しても、年始にあたって年賀はがきを交換する行事は、減少しているとはいえ根強いものがある。しかし、このようなやりとりは、1937年に日中戦争が始まり「非常時ゆえ年賀状は自粛すべき」との声が広がり始め、1940年には戦時下での「虚礼廃止」という理由から、年賀郵便の取扱が休止されていたのだ(それでも出す人は多かったらしい)。そのいっぽうで戦地への兵士への「軍事郵便」は部隊・兵士の士気向上につながるとして、手紙を書くことが全国で奨励された、という。
■奨励された軍事郵便
軍事郵便とは兵士や軍属が家族などとやりとりする郵便物のことで、兵士や軍属からの家族あての郵便物は原則無料で、家族や近親者らからの郵便には切手など料金が必要だった。
軍事郵便については研究書もあり研究者もいるようだし、一部の郵便マニアがコレクションをしていたり、オークションのなかでも結構な数を見つけることができる。
郵便学を提唱する内藤陽介氏は『切手と戦争』(新潮社 2004年)のなかで1936年の「2.26事件」のときに東京に戒厳令が敷かれ、郵便物の開封・検閲されたのだが、このときから日本が急速に軍国化する契機になった、としている。
軍事郵便は検閲されていて、特に戦地からの手紙には軍隊の行動がわかる日時や所在地の記載などが制限され、記載があり場合は墨で消されたり、また伏せ字で「○○○」といった表現もされた、という(1941年10月4日「臨時郵便取締令」により、国民の郵便物に対しても日常的に家熱が行われるようになった)。
軍事郵便そのものではないが、戦時体制を啓蒙、宣伝をするための切手、スタンプ、カバー(封筒)も発行されるようになっていった。たとえば1943年12月に開戦2周年を期して戦闘場面を描いた「大東亜戦争記念報国葉書」が三枚一組で発売された。
■スタンプが語る時代
郵便には消印というスタンプが押されているが、これについても封書を発送した場所や時期についての証跡が見て取れる。とくに記念・特殊切手の発行時や全国的な記念行事などの際に使用される消印は「特印」と呼ばれて、時代の出来事を映し出す。やや大げさに言えば、時代の証言者なのではないだろうか。
さらに表面の宛名や封筒にもその時々の状況が残されている。たとえば満州事変が起きた1931年、その年の11月にある中国の郵便局では抗日スローガンを記述したスタンプが消印とは別に封筒の下部分に押されている、という(前掲書 13ページ)。
その後も失地回復を呼びかけるスローガンのスタンプが中国各地の郵便局で使用され、郵便物を宣伝媒体として活用した、として紹介している(前掲書 15ページ)。
抵抗の運動として郵便をメディアとして活用した例だろうが、いっぽう侵略した側も早くから、国を挙げて「大東亜戦争」や戦果、「東亜新秩序」をプロパガンダのために絵はがき切手やスタンプを創出し、流通させていた。
たとえば南京陥落後、現地の南京野戦局から出された封筒には「祝勝新年」の記念の印が押されているが、絵柄は城壁の上に日章旗が翻り、さらに飛行機まで飛んでいる。「中国の首都を占領した」と強く訴えているものだ。
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-947.html http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-87.html今時分、話をしても理解されないかもしれないが、子どもの頃(1960年代)は切手コレクションというものが流行っていて、日本中の大人から子どもまでアルバムに切手を配して悦に入っていた時代があった。
その時は未使用の切手に価値があり、消印の切手は二足三文となっていた。当然ながら切手には証書としての側面があり額面どおりの使用価値があり、さらに希少性から高値のついたものもあった。今ではさすがに利殖には向かなくなった。
しかし、今はむしろ切手そのものよりも、使用された葉書や封筒などを含めた総体としての郵便物のほうがおもしろいのではないだろうか。消印や葉書の絵柄、さらには宛名、通信内容など興味のつきないものがある。時代を物語る資料としてあらたな価値が見直されていると思う。
(本田一美)
軍事郵便で見る、戦争の記録 – 未来に残す 戦争の記憶(Yahoo! JAPAN)
https://wararchive.yahoo.co.jp/gunjiyubin/