あらためてメディアのあり方を考える!―映画『すべての政府は嘘をつく』

映画「すべての政府は嘘をつく」

映画「すべての政府は嘘をつく」の公式HPより


映画『すべての政府は嘘をつく』は、まずNHK-BS1「BS世界のドキュメンタリー」で2月1日と2日に前編・後編に分けてテレビ放映され、その後は「アップリンク・クラウド」で配信が開始されて、さらに劇場でも公開され各地の映画館で上映中だ。

私が観たのはビデオ・オン・デマンドで、少し前に観たオリバー・ストーン(今回の映画も彼の制作だ)の『スノーデン』は、公開している上映館が少なくて、観るために多少手間取り難儀したが、これはネットで直ぐに観れた。

映画館で鑑賞するのは得難いものがあるし、なにより集中できていいのだが、遠隔地に住んでいる人は交通の問題があり、出向くのがおっくうな人はアウトだろう。

このようなドキュメンタリーの場合は時事的側面もあるのでタイトに観ることのできるオン・デマンドのスタイルは重要だ。ミニシアターなどは座席も限られているし、不入りだと早々と打ち切りになり公開も限定されてしまう。ネットではいつでも見れるのでありがたい(それゆえ観ないで放っておく危険もあるのだけれど…)。今後はこのような封切・公開する形態が増えるのではないだろうか。

この映画は大新聞に対抗した米国人ジャーナリストのI.F.ストーン(1940~80年代に活躍)を紹介する。彼が個人の新聞を発行して、それが米国社会に小さくない影響を与えていた。I.F.ストーンの「すべての政府は嘘をつく」という言葉がこの映画のタイトルともなっている。

組織に属さず、地道な調査によってベトナム戦争をめぐる嘘などを次々と暴いていったストーンのいわばオマージュ的作品だろう。画面にはチョムスキーやマイケル・ムーアが登場して賛辞を語る。『大統領の陰謀』のカール・バーンスタイン記者は彼の言葉を引き取って「報道の敵は社会通念だ」と断言する。

また「デモクラシー・ナウ!」のエイミー・グッドマンやスノーデンのインタビューをスクープしたグリーンウォルドなど独立系メディアのジャーナリストが登場して、大手メディアが営利企業化しており、安易な娯楽情報を主流としていること、また政府の広報機関となっていることを指摘する。

こうした例は先進国の商業メディアで一般的なことだろう。

日本でもメディア企業の責任者と総理大臣が会食をしてお友達となっている。批判すべき対象と仲良くなって、キビシイ報道や批判的な記事を載せたりすることができるわけもない。

政権とメディアの癒着がこれまでになく進んでいるのは日本の特徴かもしれない。社会部の記者が政権にとって不利な記事を書くと政治部からクレームがついたりするという話は常態化していると聞く。

「安倍政権は、日本のメディアのそうした特徴をよくとらえて、好意的な媒体には単独インタビューなどに応じるなど、敵/味方のような形でメディアを分断していますよね」(「なぜ日本で調査報道は成熟しないのか」マーティン・ファクラーの発言 「世界」岩波書店 2016年8月号)

首相が憲法改正の真意について国会で問われた時に「読売」を読んでくれ、と発言したように読売新聞やフジテレビがお気に入りのようだ。メディアの側がどうしても独占会見などを欲すれば、政権のいうことを聞かざるをえないからだが、これについては政権側もメディア側も活用する理由というか要求が一致した結果だろう。ただ結局はメディア自体が政府広報機関と堕してしまうのは間違いない。

映画は大手商業メディアと独立系メディアやフリージャーナリストとの対比で語っていく。自主・独立のメディアにしか可能性がないように見えるが、これに疑問がないでもない。自主・独立のメディアが必要であり重要なことは当然なのだが、多メディア時代のなかで主体の喪失があり、なにが重要なのかは判断できなくなっている、いわば視野狭窄に陥っているのではないか。これは、もちろん受け手のみならず送り手であるジャーナリスト自身にも言える話なのだが…。

独自の取材や調査報道をするメディアが真のスタイルであることは間違いないが、多様化する現代社会のなかで、ともすれば人は自分の嗜好するメディアのみをチョイスしてしまっているだろう。つまり、メディアの受容と供給がある種完結してはしないだろうかということ。

何が必要な情報なのかは個人の自由とされている以上、個人の好みがあるだろうし(それは当然ながらマスコミ・大メディアの影響が強い)、より世間の反映としからない、均質的で反復するような情報に取り囲まれて一歩もでない状況がでてくるのではないか。

それゆえトランプ政権誕生の道筋もある意味で織り込まれていたのではないか、という気がする。彼のパフォーマンス、いままでの政治家を否定していて暴言(ヘイト発言)を吐くという、型破りのスタイルに耳目が集まった。メディアはトランプやその現象事体を面白おかしく取り上げていた側面がある(これについては日本の橋下徹にスポットライトを当ててきたマスコミのあり方と類似している)。

これは政治・民主主義の劣化と見えるが、メディアの劣化とも言える。理性よりも情動が優先されているようだ。これは危機だろう。 

たとえばウィキ・リークスなどのタレコミ情報や企業内メディア労働者のあり方について語ることは難しいだろうか?

日本の企業内や労働現場における労働者支配は外国のそれよりも強固だというし、心身一体まで支配従属させるものだという。電通の「過労死事件」を省みてもそれが社会の隅々まで行き渡っているともいわれる。

それでも、個人のアイデンティティや良心・倫理というものを回復したいとの欲求はあるのではないか。だからこそ、企業内の悪事や不正を暴く通報もあるし、スノーデンの告発があったわけだ。

いずれにせよ権力を相対化する意識や、支配の側ではない平場のフツーの人の認識が重要ではないだろうか。メディアは権力をチェックしなければならないし、それが「社会の木鐸」ということだろう。この言葉自体が色あせたものとなってしまったが、理念そのものは古びていない。そのことを確認するためにこの映画を見てほしい。
(本田一美)


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映画『すべての政府は嘘をつく
監督:フレッド・ピーボディ
(2016年/92分/カナダ/英語/日本語吹替)
出演:出演:ノーム・チョムスキー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)、マイケル・ムーア(映画監督)、エイミー・グッドマン(報道番組『デモクラシー・ナウ!』創設者)

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