禁演落語を知ってますか?笑えない「笑う噺」の封印

落語家・立川談之助さん

熱演中の落語家・立川談之助さん

禁演落語をご存知だろうか、戦時中(1941年)の10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目の落語のこと。戦後に、「禁演落語復活祭」によって解除。建立60年目の2001年には落語芸術協会による同塚の法要が行われ、2002年からははなし塚まつりも毎年開催されている。(ウィキペディアより)

いわゆる「廓噺」や「酔っ払い」「泥棒」「不倫」といった反社会的な落語が五十三種類「禁演落語」ということで上演出来なくなりました。本当に寄席の高座で上演のが禁止されて、この「禁演落語」を演じたために注意を受けたり警察に引っ張られたりした落語家もいたそうです。(立川談之助)
https://blogs.yahoo.co.jp/hamadayama9/11216799.html

その落語を積極的におこなっている噺家に立川談之助がいる。今回は出版労連出版ネッツという組合の催しで、6月22日寄り合い「九条が窮状?! 憲法は誰のもの」という、落語と組合員を交えたトークが開かれた。

立川談之助師匠の噺はけっこう枕が長く、さまざまな話題を振りまいていく。ようやく「目薬」という話に入るが、これは以前ラジオで聞いた記憶がある。文字の読めない粗忽ものの夫婦が薬を買ってきたはいいが、使い方を書いた説明書が読めないので四苦八苦する噺だ。不思議なことだが落語は筋を知っていても、愉しめるし面白い。

落語が終わってから、三人の組合員を交えてのトーク。

戦時中に時局柄ということで、落語以外にも文学や映画など文化活動が戦争体制に迎合的、協力的になっていった話。辺野古を取材していたが、沖縄基地に反対するだけで警察が監視していて、過剰に反発を受け違和感を感じたという体験談。

パナマ取材をして日本を考えた話、1989年、米国がパナマに侵略したが、国連の非難決議に日本は反対して米国に追随した。その後パナマは米軍基地を完全撤退させた。日本は米国に従属することにより経済的繁栄を得た、憲法9条を完全に追求するならば日米安保と矛盾がでてくる。日本に米国と手を切る覚悟があるのだろうか? などの多様な論点が出された。

「禁演」というからには、権力の弾圧と想像するだろうが、実はそれを実行したのは当の落語家たちだという。

驚くべきことに、この禁演を決めたのは噺家達自らだということだ。当局の取り締まりが怖いということもあっただろうが、体制批判や「バカバカしいおはなし」でご飯を食べている芸人が「時局に合わない」と判断したのである。(ふたつの禁演落語 戦渦の落語とはなし塚/櫻庭由紀子)
http://sakurabayukiko.net/2017/08/06/kinenrakugo/

落語を愉しむということは余裕がなくてはできない。今国家はそれどころではない、という空気が感じられたのだろう。もちろん当局の批判や取り締まりもあったらしいが、それ以上に今の言葉でいう「忖度」や「同調圧力」がはたらいた、ということだ。

戦時下ファシズムの日本を想像すれば、それも無理からぬ状況で、抵抗などできない社会であったといいうことだろう。落語を聞いて安心して笑えるのも、世の中が平和であればこそなのだが、いっぽう自由な発言、とりわけ時の権力に対して皮肉や風刺が少ない今日のマスコミや芸能界は、目に見えないソフトな「禁演落語」化していないか、危惧するのは私だけではないだろう。
(本田一美)

禁演落語とはなし塚のページ(HPより)

禁演落語とはなし塚のページ(HPより)


参考:禁演落語とはなし塚
https://rakugo.ohmineya.com/禁演落語とはなし塚/