高橋哲哉さんが語る「いまの状況をどうみるか」
3年前から企画しインタビューを3回続けてきて、それを書籍化したのが、高橋哲哉 前田朗『思想はいまなにを語るべきか ? 福島・沖縄・憲法』(三一書房 2018年)だ。7月15日(日)に東京・港勤労福祉会館において出版記念会が開かれた。主催は三一書房、平和力フォーラム。これまでの対話を通して、ふたたび前田朗さんが、高橋哲哉さんに聞くスタイルである。
■高橋哲哉さんの話
1)日本政治と社会の現状を前に…
日本の現状を見てカオス、混沌、絶望的です。モリカケ問題で嘘が暴かれても政権が維持されています。西日本の豪雨災害のとき5日、6日とも赤坂自民亭で宴会とギャンブル法案に執心でした。それでも政治・官僚の腐敗に対して絶望をするだけでは、ことは進みません。
メディア状況について、モリカケ問題は、朝日・毎日新聞などはがんばって政権を追い詰める材料を提供していたと思います。ただ、一時的に政権の支持率は下がりますが、また上がります。ここが問題です。
NHKなどが「外交の安倍」というふうに見せてきましたが、米朝会談においては何もできなかったし、外交が空疎だったことが暴露されました。結局はアメリカ頼みなのですが、多くのメディアはそのことを隠してます。率直に批判できないようです。
流砂という状況のように見えます。物事を判断する基準が崩れてしまう。流砂の上にいるようなとき、危ういような場については、土台や募集がないのなら自分の中に見出すしかないでしょう。ファシズムとか全体主義が覆ってくるような状況では、信仰のある人にとっては神ということになったりするのですが、それがない人は信頼できる人たちと関係を強くする時代ではないでしょうか。
天皇代替わりからオリンピックへと続くなかで、どういう問いかけをしていくか考えなければならない状況を迎えると思います。
2)フクシマ以後をどう見るか
オウム真理教事件の囚人が、死刑執行されました(7月15日時点)。さすがに一度に7人が執行されたのは衝撃でした。いくつかのメディアでも死刑制度批判があり、それについては社会で受け止めなければならないでしょう。
2020年のオリンピックで復興をアピールしたいのでしょうが、フクシマの現状は何も変わっていません。世論としては、いまだに脱原発の方向が大勢であると思いますが、原子力規制委員会や政府は歪んで来ているようで、それが懸念されます。
犠牲のシステムとしての原子力・日米原子力協定が継続・延長されていきます。「商業再処理施設」「商業濃縮施設」により潜在的核保有国を保ちたいということです。
トランプ米大統領は戦術核兵器を推し進めるでしょう。その影響も受けるでしょう。核兵器禁止条約についても安倍政権は核の傘にいるということを隠さなくなってきています。ヒロシマ・ナガサキがあり、戦後の第五福竜丸の事件があり、フクシマが続きますが、これまで日本国民は核に対して強いアレルギーがあったと考えられてきました。それがメッキにすぎなかったのでは、と疑われるようになっています。
それに関連して戦後の考え方についてですが、戦争責任、植民地責任についてどこまで責任をとれただろうか。戦後社会の思想について陰影が投げかけられていると思います。それらの責任を明確にするつもりで『戦後責任論』(講談社学術文庫)という本も書きました。
3)沖縄のたたかい
沖縄はサンフランシスコ条約(1951年に沖縄の代表がいないときに、条約に署名されて)以後に銃剣とブルドーザーでじゅうりんされました。1974年に日本に復帰後は日米安保により再度占領が重層化し、沖縄は戦後が終わったとは言えません。
日本の民主主義システムで沖縄の民意がどう反映されるのか。数として日本で沖縄の住民は少数派です。天皇メッセージでは占領を希望しました。そのように沖縄はヤマトから見て一方的に利用する存在でした。実態として植民地でした。沖縄を排除した民主主義でしたそれにどう対応するのかが求められている、と思います。
(文責・編集部)
最後に日本本土に米軍基地を引き取る問題について、疑問の質問があり、高橋さんは「日本は憲法よりも日米安保が優先しています。メディアも日米同盟が前提となっていて疑問を呈することはありません。それに満足しているのが日本人です。日米安保体制を問題化するのは<米軍基地の引き取り論>しかないのではないでしょうか。自分の近くに基地があるのはイヤだが、遠くにあればいいというのでは通りません」語り、<当事者意識>をつくる方法の必要性を強調した。
■参考
『思想はいまなにを語るべきか』三一書房 2018年
https://31shobo.com/2018/02/18006/