いまの息苦しさを打ち破る!…表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク設立集会

シンポジウムでそれぞれ問題意識を表明

シンポジウムでそれぞれ問題意識を表明

7月13日(土)文京区民センターで「表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク設立集会」が開かれ約100名が参加した。集会は各地の「表現の規制」問題や事件など現場からの報告、問題提起、メッセージなどの後、武蔵野美術大学教授(憲法学)志田陽子さんが「『表現の自由』の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために」と題する講演をおこない。その後はパネルディスカッションへ、田島泰彦さん(メディア)、荻野富士夫さん(思想・検閲)、醍醐 聡さん(NHK問題)武内 暁さん(司会、主権者市民の立場から)らが登壇し志田陽子さんも交えて発言、会場からの質問・意見も含め議論をおこなった。その後行動提起があり、市民ネットワークへの参加をよびかけた。

パワーポイントを写しなら講演する志田さん

パワーポイントを写しなら講演する志田さん


志田陽子さん 「『表現の自由』の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために
市民による自発的文化が民主主義のもとになる。9条俳句の裁判闘争は社会にインパクトを与えた。以前は市民の文化活動については内容は介入せずにおく、という原則があった。

どんな表現も不快にさせる可能性がある。不快だという声にいちいち対応すべきではない。むしろ差別的な社会となるのではないだろうか。声を挙げることを恐れることになるし、表現の不自由は社会をつくることになる。漠然と不快、迷惑と決めつけるのは不健全ではないだろうか。

表現の自由の基本をおさえておけば、明日はどっちだ、ということを考える機会につながるだろう。対抗論によって豊かになるし、開かれた社会、自由な社会となる。

表現の双方向性・循環性を重視することが自由の拡大につながるだろう。消極的自由よる守り方があるが、それは検閲の危険性があり、戦前の日本のようになってしまう。例えば自宅改造して表現空間を作ることは可能だが、それは資産のある金持ちのみに可能だ。

それに対して積極的自由を対置したい。「パブリックフォーラム」という概念があり、アメリカの裁判などでも援用されるのだが、市民のための道路や公共空間。公共施設などで市民同士が送り手と受けてが交流・交通することを進歩として位置づけている。

たとえばフラッシュモブなどは迷惑行為というのは言いがたい。市民から苦情が来ている。迷惑だと言っている市民がいる、という言説があるが、他人の権利を侵害しているのかは疑問。憲法13条に照らせば「公共の福祉に反しない限り」尊重されるはずだ。いっぽう「平穏に生活する権利」については注意が必要だ。表現の自由に圧迫に利用されないようする。たとえば公共性や政治的中立など公権力がそのようなことをいうのは筋違いで、施設の職員自身もその権利はない。

集会の自由についてだが、2013年以降は施設の利用を断られる例が増えている。住民利用の不当な取扱がある。悪質なヘイトスピーチには利用させないという場合もあるが、例えば市の後援を得ることを利用条件となっている自治体もある。しかし、民主主義の公論活性化を阻害するはたらきしかしないのではないか。公権力がやってはいけない規制であり、表現の自由を弱体化させる。

■シンポジウム:「メディア」「報道」を市民はどう考える

田島泰彦さん: 自由に語れなくなっている。ここ10年を見てみると大もとのところで枠組みが崩れていると感じる。たとえば秘密保護法、いちばん大事な情報を押さえられている。そして共謀罪も表現の自由を公権力が抑制する。メディアがチェックをしていない。総体として権力サイドに情報が流れている。

重要なことが伝えられない。オリンピックや天皇の問題など野党も賛成する状況だ。我々の社会は表現の自由に反する現象だ。どう抗い、異議申立てをするのか、対峙しなければならない、この会がその一歩となる。

ジャーナリズムは多様な議論を提供するというの筋だろう。それが未来を豊かになる。

荻野富士夫さん: 石川啄木の研究から思想史をやっていた。石川啄木の思想の形成上にあったものは社会の閉塞状況だった。そして大杉栄や小林多喜二がでてきた。今は転換期ということで考えてみたい。

今は治安維持法はだせないが、そのかわりに機能的治安体制をつくる。市民の安全を守るという名目でつくられる。『思想検事』という本で左翼シンパの弁護士の弁護活動があり、そのことを書いた。自由主義的、リベラルな弁護士が活動するようになる。まっとうな弁護活動を再評価したい。

醍醐 聡さん:公正・公平というキーワードはおかしい。間違っている。市民の意見の違いは当然で、それが前提だ、それにより相互に内省される。ヘイトスピーチにまで表現の自由を絡めようとするは違和感がある。一例を挙げれば『帝国の慰安婦』という本についてリベラルの方々が、表現の自由擁護のように声明を出したりしたが、むしろ知識人による現実無視の名誉毀損の問題ではないか。

NHKのドキュメンタリー番組を評価する向きもあるが、現代の問題は扱わないか、極めて少ない。また天皇制は利用するためにあるのだと思う。

志田陽子さん: 表現の自由を拡張・主張できないのはレッドパージの後遺症があるのだと思う。学生たちのあり方については、目立つ活動をすると就職できないと忌避される。学生からも連絡を拒否される。「不安があり、不利益を被る可能性がある」「悪目立ち」したくないと語る。若い世代の不安感を世代間で共有・リレーしセーフしていく必要があるのでは、若者たちの冷笑にどう反応するのか試されていると思う。

武内 暁さん: 九条俳句応援団をやっている。各方面の議論が必要で、事実を踏まえて考え、議論する。議題設定を権力側ではなく、市民の側でつくっていくこと。当面ネットワークは各地の表現の検閲や規制の情報提供をよびかけ、共有して知恵を出し合うことをやっていきたい。

(文責:編集部)

ジョニーHの飛び入り参加。歌で集会を盛り上げた

ジョニーHの飛び入り参加。歌で集会を盛り上げた