忖度(そんたく)で表現の自由が脅かされる時-映画「ハトは泣いている」

ハトは泣いているチラシ

ハトは泣いているチラシ

忖度(そんたく)という言葉が流行語になりつつある。大阪の森友学園の土地取引で国有地が格安で提供されたことに、疑惑が広がっている。安倍首相の周辺が関わっていたのでは!? あるいは政権の関係者ということで官僚が忖度して手心を加えた結果なのでは!? 現時点で疑惑は晴れていないが、いずれにせよ不可解な出来事なのだ。

いっぽう、お金は絡んでいないが管理する人間の忖度により表現が封じられ、否定される出来事があった。金額の問題ではない、人間の心の問題であり尊厳の問題であり、なにより平和と憲法の問題でもある。そのことを映画「ハトは泣いている」で知ることができた。

2014年2月東京都立美術館での第7回「現代日本彫刻作家展」に展示された作品が「政治的」で「都の運営要綱を根拠に」撤去を求められたニュースがあった。

『政治的』作品撤去を 都美術館『クレーム心配』
撤去を求められたのは、神奈川県海老名市の造形作家中垣克久さん(70)の作品「時代(とき)の肖像-絶滅危惧種」。竹を直径1.8メートル、高さ1.5メートルのドーム状に組み上げ、星条旗や日の丸をあしらった。特定秘密保護法の新聞の切り抜きや、「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止」などと書いた紙を貼り付けた。代表を務める「現代日本彫刻作家連盟」の定期展として15日、都美術館地下のギャラリーに展示した。(東京新聞 2014年2月19日)

中垣さんは「関係ないことなんだけど美術館は政府に忖度して」撤去をもとめたと語る。いっぽう九条俳句の問題も公民館の職員の判断であるという。

さらに「その脅迫電話があったり、いろいろあったもんだから(略)飛騨の美術館も襲撃するという話も出ていましたんで」と脅迫の事実を語る。そしてその後もいろいろあり、人付き合いにも支障が出たようで精神的にまいったようだ。

そして7月、さいたま市在住の女性が詠んだ俳句について地元の公民館が月報への掲載を拒否したことが、ちょっとした話題になった。当時の「安保法制」の問題をめぐって騒然としていた社会状況を反映したもので、その後も公民館の自治を問う市民の運動となり現在でも続いている。

俳句の不掲載については新聞報道やネットでも注目されている。

九条俳句不掲載は「公民館の中立性」 地裁弁論でさいたま市
「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を、さいたま市の三橋(みはし)公民館が月報への掲載を拒否したのは表現の自由の侵害に当たるなどとして、作者の女性(75)が市に対して俳句の掲載などを求めた訴訟の第五回口頭弁論が二十日、さいたま地裁(大野和明裁判長)であり、市側は掲載拒否の理由について「月報に『九条守れ』とのデモの主張を表示することは、公民館の中立性と相いれない」などと主張した。(東京新聞 2016年5月21日)

『三橋公民館保坂職員の忖度で「9条俳句を不掲載」と判断。句会が納得しないので、引間館長は「難しい」と判断、指導公民館(桜木町公民館)に判断を仰ぐ。斎藤桜木公民館館長の忖度で「保坂氏を擁護」不掲載と決定。市民から問い合わせがあり、稲葉教育長、清水さいたま市長までが擁護する(安倍政権への忖度)。<忖度の成果か、保坂職員は大宮の小学校に教頭として栄転している>』(九条俳句不掲載3.10第10回口頭弁論を傍聴して 2017.3.17 石垣敏夫 )
九条俳句応援団 http://9jo-haiku.com/

映画は2つの出来事を追いかけていく

これらの出来事はそれぞれ波紋を広げてゆく。中垣さんの作品はドイツ・ベルリンで展示されることになる。俳句掲載拒否の問題は事実関係を関係者が東京新聞に投稿し、他紙も報道するようになる。そしてこの問題を考える市民集会が開かれた。そして2つの流れは2015年に江古田のギャラリーで開かれた「表現の不自由展」で逢着する。

演出の松本武顕監督に話を聞いた。

松本武顕監督

松本武顕監督


「私は小川紳介(記録映画作家。『三里塚の夏』などの作品がある)プロダクションで助監督していました。それからフリーのドキュメンタリーディレクターとなり、テレビのドキュメント番組などを制作していました。 このふたつの出来事を知ったときにピンときて、これを追いかけてみたい。作品としてみたいと思いました。ただ現在のテレビメディアの状況では放送できる可能性は難しいので、自主作品だろうと考えていました。たまたま友人が定年で退職したのでその退職金を借りてつくることができました」

「映画ができたときに件の俳句の会の人たちの公民館で上映会を開きました。地域の人たちが参加して笑いなども起きてすごい盛り上がりました。いま、平和や憲法にまつわる企画や集会が、これまでなんの問題もなかったのに、見直しされて施設利用や協賛などの協力が得にくくなっている。こういった風潮を考える意味でも、この映画を公民館で上映することを運動化してみたい」

この映画は普段使われている「公共」という命題や「市民のもの」という建前の存在がいかにもろく、基準があやふやなのかを教えてくれる。表現は許容されている範囲ならば良いが、ある一線を越えた時点で排除され、見せないようにされてしまうのだ。これは検閲ではないだろうか。今のマスコミの情況だけではない。モノが言いづらくなっている社会になのだ。

なお、この映画を観たのは残念ながら公民館ではなかったが、「スペースナナ」という素敵なコミュニティ施設で、部屋の壁には多くの市民活動のフライヤーが並び、ニキ・ド・サンファルの絵が飾ってあるオシャレなところだ。いろんな催しが行われているようなので、機会を見つけて訪れてみてはいかがだろう。(本田一美)

スペースナナ

スペースナナ

ニキ・ド・サンファルの絵が飾られている

ニキ・ド・サンファルの絵が飾られている



<あなたの街の公民館で上映をしては如何でしょうか!>
映画「ハトは泣いているー時代(とき)の肖像ー」
(2016年)
企画・演出:松本武顕
制作:「時代(とき)の肖像」制作委員会
http://to-kill-a-dove.com/

スペースナナ
http://spacenana.com/

多くの示唆を与えてくれるイベントとして
「表現の不自由展」2015年1月18日~2月1日
https://www.facebook.com/hyogennofujiyu/

cinra.netの記事(2015/01/23)
「展示を拒否された作品が並ぶ『表現の不自由展』で、過剰な自粛を考える」
http://www.cinra.net/review/20150123-hyogennofujiyu