あの時代を語る…「全共闘世代」の記憶を絆ぐ

映画『きみが死んだあとで』

映画『きみが死んだあとで』より

1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件だった。はじめてヘルメットやゲバ棒で武装した学生は羽田空港にに通ずる弁天橋で機動隊と激突。そのなかで一人の若者が殺された。山﨑博昭、18歳。(映画「きみが死んだあとで」オフィスサイトより) 1960年後半からの社会運動の高揚は「全共闘」というかたちの学生運動を産み出し、世界的にもベトナム反戦運動が広がり、米国の公民権運動が激化、フランスでは「五月革命」、社会主義圏では「プラハの春」が起きた。これらの動きを「68年の世界革命」(ウォーラステイン)とみたり、「現在の<自由化>のはじまり」(小熊英二)と捉えたり、見方や評価は様々で確定してはいない。だが「それまでの組織的な問題設定・問題解決の方式から、「個」の主体性を重視する特徴を強く顕し始める転換期でもあり」(国立歴史民俗博物館・企画展示「1968年」)という論点は共有できるだろう。反抗の時代を語る映画を紹介する。(フリーライターの土方さんのブログ「土方美雄の日々これ・・・」より転載しました)


「きみが死んだあとで」の、「きみ」とは、1967年、佐藤首相(当時)の南ベトナム訪問阻止闘争で、羽田の弁天橋にて、警察と激突し、虐殺された、京大生の山崎博昭さんのことである。

私が、いわゆる学生運動に、参加するのは、1970年、一浪して、大学に入ってからのことで、1967年当時は、まぁだ、なりたての、ピッカピカな??? 高校1年生で、学生運動や、反戦・平和運動には、それなりに関心はあり、クソ生意気に、「朝日ジャーナル」などを読んでいたものの、単なる完全な「耳学問」で、デモなどには、それこそ、ただの1度も、参加したことはなかった。私の通っていた高校も、同級生の1人が、時々、ベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)のデモに参加しているというだけで、大騒ぎになるような、完全な、無風地帯だった。

大学に入るとほぼ同時に、私は沖縄や反安保の闘い、三里塚、狭山・・と、学内から各地を転戦し、とある党派にも入り、ほぼフツーの学生生活とは、無縁の人になってしまうが、しかも、私が属していた党派は、かつて、山崎博昭さんが属していた党派と、同じ党派だったにも関わらず、山崎さんの死は、何だか、とても遠い昔の話のように、感じられた。つまり、「きみ」の死と、私は全然、真っ正面から、向き合ってきたわけではない。向き合っていたのは、少し、年上の友人である、故高橋寿臣である。

3時間20分もの長い、代島治彦監督の長編ドキュメンタリー映画「きみが死んだあとで」は、「上」と「下」にわかれ、「上」では山崎さんの生い立ちから、死に至るまでが、兄の建夫さんや、高校や大学時代の友人の証言を通して、克明に描かれている。それに対して、「下」では、山崎さんが死んだあとの、日本の学生運動や反戦・平和運動が、かなりの猛スピードで、描かれていく。つまり、ここからは、ほぼ、私と「同時代」の出来事なのだが、観ていて、正直、つらいものがあった。

しかし、激しさを増す武装闘争と、その行き着く先は、本当に、連合赤軍による凄惨な同志虐殺と、いわゆる「内ゲバ」への道だけだったのだろうか???と、私は自問自答せざるを得ない。確かに、同志殺しや「内ゲバ」が、日本の反権力闘争に残した負の歴史は、あまりにも大きく、私にもその責任の一端は、間違いなく、ある。そのことは、認めざるを得ないし、責任回避をする気も、さらさら、ない。

映画の中で、東大全共闘代表で、予備校教師の山本義隆は、そうした、その後の負の歴史を踏まえつつも、「ただあれだけの大衆的な広がりをもった時期があったんでね。あの頃の闘争について、まぁ否定的な見解ばかり語られるけれどもね、あの時代の運動っていうのは価値があるところはあったと思うんだな」と語り、山崎さんの死をきっかけに、10・8羽田救援会をつくり、それを、その後の救援連絡センター設立へとつなげた、物理学者・故水戸巌さんの妻、喜世子さんもまた、救援運動への「内ゲバ」の論理持ち込みを等を、激しく批判しつつも、「角材と石の時点では共感を呼んだんですよね、市民の、そこまでならいいよっていう、みんな共感できるよっていう、共感を呼んだ」と、語っている。その先に、未来があったのではないかと、私もまた、ついつい、そう、思ってしまう。

あるいは、自分のしたことを、全否定することは難しいということなのかもしれないが、別の未来があったのではないかと・・。

映画は、もちろん、何かを結論づけているわけではない。山崎博昭さんの、死へと至る経緯と、その後の運動の軌跡を、証言と映像で、提示したのみである。そこから先を考えるのは、観た者1人1人。つまり、私もその1人だ。

渋谷のユーロスペースにて、1日1回、上映中。

この映画を観つつ、死んだ友人、高橋寿臣のことを思った。高橋は、山崎さんの死んだ現場の、それこそ、すぐ目と鼻の先に、いたのである。前夜、法政に泊まり込んだのも、一緒。少し、泣いた。ジジイのくせに・・ねッ。

(土方美雄)

『きみが死んだあとで』

映画『きみが死んだあとで』より


映画『きみが死んだあとで』

映画『きみが死んだあとで』チラシ

■参考
映画『きみが死んだあとで』オフィシャルサイト
http://kimiga-sinda-atode.com