映画『東京裁判』感想記  

映画『東京裁判』

映画『東京裁判』のチラシより

    

 8月半ば、渋谷・道玄坂で映画『東京裁判』を観た。11時から4時半頃までの長丁場らしいが、若い時に徹夜で観た『人間の条件』に比べれば、と意気込んで入る。狭い会場ではあったが、ほぼ満席。若い人が多く、中高年も混じるが、私のようなジジババはパラパラ程度。

 映画の冒頭、ピストルで胸部を撃ち自殺を図った東条の治療映像が映し出される。重要被告を自殺で失ってはならぬと、救命して証言台に立たせようとするGHQの執念を感じさせる。

 開戦の際の戦争指導者・天皇がどう関わったのかが問われるのかと思いきや、天皇の映像が映しだされることはなく、画面は戦場の有様を映し、淡々とナレーションが流れる。検事・弁護側の応酬には、裁判とは真実解明に期するものではなく、妥協の産物の様相を見せる。ことに米人による弁護の論法は、今の右派の参考論法に示唆を与えていることが理解できた。

 つまり天皇は平和主義者で開戦を拒んだが、陸海軍の強い要請で開戦の止むなきに至った、という論法だ。国体護持を狙う日本と、占領統治には天皇の威光を利用したほうがやりやすいとする政治力学が、極東軍事裁判では天皇を訴追せずに、東条ら陸海軍首脳部が戦争指導を担った、という筋書となったようだ。

 マッカーサーの意向を汲んだ裁判長・キーナンは筋書きに沿った証言を東条に求めるものの、彼の証言に一部曖昧な部分があったことから、再度東条を喚問し、死刑宣告に足る証言を言わせる場面となる。このような政治的妥協の『東京裁判』と人道の罪を視野に入れた『ニュルンベルク裁判』とは裁判の質的相違があるとの感をぬぐえない。

 さらに悪いことに、731部隊に触れた言葉も映像もない映画なので、これを観た多くの人たちの戦争観は、731部隊の蛮行などの問題性が素通りとなってしまう。731部隊の存在すらも知らぬ人たちにとって、今度は、映画『東京裁判』では扱っていないのだから、731部隊なんて存在しない、731部隊こそ歴史修正ではないか、ということにならないか。そんな不安を募らせながら観た。

 やがて画面にマギー神父が証言台に登場するのだが、しかし、マギーの証言には触れずに、直ぐに映像は大河の画面となり、ナレーションは「兵士たちは軍服を脱ぎ捨て民間人の服装云々」と語り「南京事件の時には、この大河が真っ赤に血で染まった」と説明する。裁判ではマギー神父のフィルムが映し出されたのではないかと思うが、映画『東京裁判』では、マギーのフィルム映像はなかった。

映画『東京裁判』予告より

 映画終了後、映画監督と映画評論家のトークがあった。隣の若い女性はメモを取り始めた処をみると、映画界では著名人のお二人のようだ。名前のメモはしていない。映画監督氏の言うことには、驚くなかれ、「東条 英機がテーマの映画を作りたい、いや製作を始めた」との話が出た。マギー牧師の証言『マギーが見た殺人は一人だけ』を引き合いに、東条 英機を描こうというものらしい。

 右派の言う『検察がマギーに「何人殺された場面を観たのか」の問うと、マギーは「見たのは1人だ」』と答えたとのことだが、「東京裁判」ではマギーの映像は、証言台に立つ場面だけで、この検察質問の場面は、なかったように思う。右派は、このマギーの『見たのはひとり』との証言を議事録から調べ出したのだろうか? 

 そもそも右派らは、マギーのフイルムを観ているのだろうか、との疑念を持つ。見ていれば、マギーのフィルムは、南京市街をカメラで隠し撮りして歩き、路上のあちこちに死体が転がっており、大きな水たまりにも無数の死体を映している。さらに彼の2階の自室から、カーテン越しに路上の死体や、道を行き来する日本兵の様子も撮影している。カーテンの震える様子はマギー神父自身の震撼というべき映像だ。

 このフィルムはアメリカ本国のトリビューン社に送られ、南京の日本軍蛮行が世界に広く知られることとなった。当の国内日本人は、徹底した検閲効果が功を奏し、南京の蛮行を知る術もなく「南京陥落ちょうちん祝賀」が行われていたのだ。ジャーナリズムが圧殺された時代とは言え、従軍記者たちは何も出来なかったのか、と軍部検閲に怒りがこみ上げる。

 マギーが答えた「殺されたのは一人」を根拠に、南京事件の否定映画を作ろうというのだろうか。現代史研究者たちの研究成果である南京大虐殺の事実は隠せない。国体護持のために東条は自ら絞首台に昇り、天皇の戦争責任を不問にさせたという東条賛美の映画になるのではないのか?! 

 終了後、この二人の映画関係者に万雷の拍手が送られていたが、ムッソリーニやヒットラー賛美映画になることに気付かないのか、とうんざり気分で館を後にした。(やどろく)

映画『東京裁判』予告より


■映画『東京裁判 4Kデジタルリマスター版』

アメリカ国防総省が撮影していた50万フィートに及ぶ膨大な裁判記録のフィルムをもとに、『壁あつき部屋』(56)や『人間の條件』シリーズ(59~61)などで戦争の非を訴えた、反骨の名匠・小林正樹監督が5年の歳月をかけて編集、制作した。客観的視点と多角的分析を施しながら「時代の証言者」としての“映画”を完成させたのである。83年に公開され、単に裁判の記録といった域を越え、日本の軍国主義の歩みと激動の世界情勢を照らし合わせながら、戦後38年当時の日本人に人類がもたらす最大の愚行「戦争」の本質を巧みに訴え得た本作は、第35回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞をはじめ国の内外で絶賛された。

初公開から36年、故小林正樹監督に代わり、脚本・監督補の小笠原清とエグゼクティブプロデューサー杉山捷三の全面協力のもとで完成した4Kフィルムスキャン&2K修復デジタルリマスター版。音響もブラッシュアップされ、特に昭和天皇の玉音放送のシーンでは詔書全文の完全字幕化も実現。鮮明な画像と音響がもたらすリアルな臨場感とともに甦った本作は、再び「戦争と平和」なる言葉の重みとともに、昭和から平成そして令和へと時代が移り変わっても戦争がもたらした負の遺産を改めて観る者に問いかける。(略)

監督:小林正樹/音楽:武満徹
1983年/日本/モノクロ/DCP/5.0ch/277分/配給:太秦
(ユーロスペース劇場サイトより)
2019年8月3日より東京・ユーロスペースで上映公開される。その後は順次全国公開。

■参考
映画ナタリー
https://natalie.mu/eiga/news/338802