纐纈厚さん講演〝「日中15年戦争」は、私たちに何を語りかけているか〟

国会前集会でアピールする纐纈厚さん

国会前集会でアピールする纐纈厚さん


7月8日、早稲田奉仕園で纐纈厚(こうけつ あつし)さん(山口大学名誉教授)の講演会が行われました。講演の主題は「「日中15年戦争」は、私たちに何を語りかけているか」、主催は、日中戦争80年共同キャンペーン(週刊金曜日ほか6団体のネットワーク団体)。

 わたしは同キャンペーンの参加団体の1つ「日中戦争80年市民フォーラム」のメンバーで、この講演会の企画にも携わりましたが、個人的にもいくつかの「私たちの課題」を発見することができました。ここではその個人的感想を述べたいと思います。

見えてきた「私たちの課題」

【課題1】刷り込まれた「太平洋戦争」史観からの脱却
現在の日本では1945年に終わった戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのが一般的です。しかしこの呼称そのものが、実はアメリカによる「刷り込み」によるものだと、纐纈さんは指摘します(以下、纐纈さんの講演から紹介します) 。

 ---講演(1)

 戦後、GHQは「先の戦争を大東亜戦争という用語を使わず、太平洋戦争と呼ぶように」との指令を出しました。そこには、あの戦争は「アメリカとの戦争」であり、「アメリカに負けた戦争」であり、「二度とあのような悲惨な体験をしないために、アメリカには逆らえない」という従属意識を植え付けさせる、という意図がありました。

 この「刷り込み」は成功しました。しかしその結果、中国やアジアへの侵略加害は忘却されていった。日本がこれらの国々に何をしたのか、多くの日本人が歴史的事実すら知らないまま今日に至っています。

 『戦争と人間』を書いた作家・五味川純平氏は以下のように述べています。

「もし日本が中国に負けたのであり中国大陸で負けたからこそ太平洋でも負けたのだということを、事実として実感をもって、全国民的規模で確認していたら、戦後のわれわれの政治・思想運動の状況は今と非常に違うものになっていたに相違ない」。

 事実、1945年の段階で、中国大陸に侵略していた日本軍の兵数は198万人、対してアメリカ・イギリスと戦った南方戦線の兵数は164万人。1941年-1945年の軍事費も、中国戦線の415億円に対し、南方戦線は184億円で半額以下だったのです。

 五味川氏の指摘通り、アメリカの刷り込んだ「太平洋戦争」史観は、戦後日本の政治・思想運動の状況に大きな影響を与えたと思います。だとするなら、「太平洋史観」から加害と被害の両面を持ち合わせた「アジア太平洋戦争」史観への転換は、私たちにとって必須の課題でしょう。ある意味、戦後を「やり直す」ことが必要なのだと思います。

【課題2】「戦争によって国を養う」体質を終わらせること
 講演の後半、纐纈さんは「日中戦争を問い続ける意味はどこにあるのか」という主題に沿って話されました。ここでは個人的に強く印象に残った論点を紹介します。

 ---講演(2)

・台湾出兵(1874)→日清戦争(1894-95)→日露戦争(1904-1905)→第一次世界大戦(1914-18)→満州事変(1931)→盧溝橋事件(1937)=日中15戦争(1931-45)→対英米蘭戦争(1941-45)==アジア太平洋戦争

・これらの戦争や出兵を踏み台にして戦前日本国家は、膨張や発展を続けた。しかし敗北によって、力による発展の論理は破綻する

・時代的・地理的には個別の戦争ではあったが、戦争主体としての近代日本国家に内在する「戦争国家」(戦争によって国家を養う)の体質が露呈していく侵略歴史こそ日本近代史の実態

・その侵略の体質(=侵略性)が一体何によって日本国家に血肉化していったかは、現在と未来の方向性を思考するうえで恒常的な課題(現代日本国家体質にも連続する体質であるがゆえに)

「戦争によって国を養う」という体質を現在の日本も引き継がれたのではないか…この指摘は重要だと思います。

 言い替えると、日本は「二度と戦争をしない国」になど生まれ変わってはいない。地金の部分では「戦争によって国家を養う」体質が残存しており、その上に平和国家というメッキを施しているだけではないか。そのような認識の転換が必要ではないか。

 そして、そのような体質を終わらせ、日本を本当の意味で「二度と戦争をしない国」に作り替えるという大きな課題と向き合う必要があると思います。

講演する纐纈さん

講演する纐纈さん

【課題3】本質を覆い隠す「文化的レトリック」への抵抗力・批判力を高めること

 ---講演(3)

・アジア論に内在する大陸侵略思想は、赤裸々な軍事第一主義を必ずしも採用していない。(略)文明や文化に関連する用語や発想を多用し、侵略意図を覆い隠そうとする手法が目立つ。そのことが侵略の事実や実態への認識力を弱め、逆に侵略思想を積極的に受け入れる結果となったのではないか。侵略戦争への国民動員が容易に進められてきた背景が、ここにあるように思われる。

 纐纈さんの指摘にあるように、大日本帝国は「侵略するぞ」「支配するぞ」と直接的な表現は採らず、文明的・文化的な大義を実現するため出兵するといったレトリックを多用してきました。それに多くの文学者・作家が動員され、あるいは自発的に協力しました。

 このような手法は戦後の権力者にも継承されていると思います。

 このような「まやかし」がなぜ成功したのか、私たち民衆にも、騙される理由があるのではないか。弱点を突かれているのでないか。反知性主義がはびこりつつある今、この点についても私たちが対抗戦略を練っていく必要を感じています。

 以上3点とも大きな課題ばかりです。戦略的な思考と取り組みが必要だと思います。戦略を練り上げる議論の場があちこちで必要だと思います。自分もできる限りの努力をしたいと思います。ぜひ、一緒に考え、わたしたちの対抗戦略を練り上げていきましょう。

「日中戦争80年共同キャンペーン」は8月以降も毎月学習会を企画予定です。
情報はhttps://www.facebook.com/nicchyusenso80nenkyodocampaign/?fref=ts
で公開します。ぜひお集りください。
(植松青児:日中戦争80年市民フォーラム)