沖縄の少年兵「護郷隊」…一億総特攻の尖兵

日僕らは戦場で―少年兵の告白―」

NHKスペシャル「あの日僕らは戦場で―少年兵の告白―」(タイトルバックより)

「護郷隊」(ごきょうたい)については、映画『沖縄スパイ戦史』で教えられたが、それ以前のテレビでも採り上げ放送されていたことが、迂闊にもわかった。2015年8月11日にNHKスペシャルの枠で「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」というタイトルで地上波で放送されていた。

そもそも沖縄戦の番組制作の過程でディレクターが、沖縄北部で「少年兵部隊」が「やんばる(山原)」と呼ばれる森の中でたたかった、という話を聞いたことから始まったという。もとよりまったく知られていない話なので、映像や資料は残っていない、それゆえ直感的にわかるようにアニメーションを挿入して、取材記録とアニメーションを組み合わせた形で、実相に迫っている。

■ゲリラ戦を指揮した陸軍中野学校の将兵たち

日本の特務機関として知られる陸軍中野学校は、参謀本部直轄であり、当時は存在そのものが極秘とされていた。戦争のための情報を収集し、宣伝や謀略のため人材を育てるため1938年から1945年まで活動した。

日本軍は太平洋戦争以後、フィリピン、マレーシア、インドネシア、香港などで次々と占領地域を拡大していったが、米国の圧倒的な物量を誇る猛攻に巻き返しが困難となっていた。この頃、軍が注目したのが「遊撃戦」すなわちゲリラ戦だ。奇襲攻撃により強大な敵を足止め、時間を稼ぐことが可能だ。このゲリラ戦の実行役として、陸軍中野学校に白羽の矢がたったのだ。

中野学校卒業生がまとめた記録によれば、台湾の先住民である高砂族をゲリラとして徴用、パプアニューギニアで連合軍に奇襲攻撃をかけたという。他にもインドネシアやフィリピンなどにも派遣されてゲリラ部隊が編成されている。これがのちに沖縄で少年たちを組織する素地ともなった。

戦況が厳しさを増し、米国がフィリピン上陸を果たした同じ頃(44年10月)、数名の陸軍中野学校出身者が沖縄に入った。村々の少年たちを集めゲリラ訓練をおこない、護郷隊を組織していった。

当時としても少年たちを召集するには法的にも問題があった。志願兵であれば14歳以上の招集は可能となったのは、末期であり(44年12月)、半ば強制的な招集であり、実態としては有無を言わさぬ命令だったという。

少年たちには過酷なゲリラ戦の訓練が待ち受けていた。少年といえどもビンタや正座のしごきは当たり前で、誰か一人のミスでも連帯責任として相互に殴り合いもさせられたという。最終的には、どれだけの少年が集められたのか。約990人という数字が出されている。

■「1人10人殺せば死んでもよい」

米軍が沖縄に上陸すると更に熾烈な状況となった。護郷隊が敵の足止めのために橋を爆破したり、民家を焼いたりした。自らの手で故郷を破壊するという悲劇が生まれた。また、少年兵が「逃げた」と思われて処刑された、という事件もあったという。

少年兵としての利点を示すエピソードもある。少年隊員が米軍の駐屯地に子どもとして近づき、気を許した米兵からチョコレートをもらって帰ってくる、そして燃料や弾薬庫などの位置を上官に報告し、その情報をもとに夜襲をかけて甚大な被害を与えるのである。

少年兵となった子どもたちも、戦闘という異常な状況に投げ込まれると相手を殺すことしか考えない。「一人十殺」「死ぬことを恐れなくなる」「友人が亡くなったと聞いても仕方ない」「かわいそうと思うこと、人を憐れむということもない。自分もそうなるだろうし」等など、生き残った元少年兵だった方々の証言に戦慄を憶える。

沖縄北部にある恩納岳は、護郷隊の本拠地となり、米軍の激しい砲撃にさらされ、歩けない負傷兵は銃殺され、部隊は退却し7月に解散した。悲劇の山なのだが、戦後は米軍の実弾演習場となり今でも占拠され続けている。

なお、放送後に『僕は少年ゲリラ兵だった』NHKスペシャル取材班(新潮社 2016年)、が発行された。番組よりも実態が詳細に記録され、また、大本営による本土決戦におけるゲリラ戦の構想も記されている。

手短に紹介すれば、本土内でも中野学校出身者をリーダーとするゲリラ部隊が創出される予定だった。1945年「義勇兵役法」が公布され、男女とも健康な15歳~60歳の者は「国民義勇戦闘隊」へと編入される。大本営陸軍部は、その4月には国民義勇隊向けに小冊子『国民抗戦必携』を発行して、まさに「一億総特攻」の備えを進めた。しかもこの計画は全国で実際に在郷軍人や青年たちに訓練を教え、広めていったということだ。

改めて思うのは、証言の重要さだ。陸軍中野学校のことは一切公言してはならない、という命令が、敗戦後も卒業生たちを呪縛しているのは、なんとも恐ろしくなるが、少年兵だった人々も誰にも話さずに、封印してしてきた。それはつらい記憶を想起したくない、畏怖すべきものだったろう。「戦争の狂気を伝えるため」証言された方、それを取材し、集めたスタッフにも頭が下がるが、指導者たちはお国のため皆を「狂気にさせ」冷静に計画し遂行していったことを忘れてはならないだろう。
(本田一美)

NHKスペシャルの紹介記事(nhkブログより)

NHKスペシャルの紹介記事(nhkブログより)
https://www.nhk.or.jp/school-blog/300/224404.html

■参考
沖縄戦元隊員証言、護郷隊少年兵が互いに制裁(「琉球新報」2015年6月22日web版)
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-244607.html