「独裁政治」の躍動が始まった

 
―行政権力の独裁権力化の形成と権力分立制の抹殺

今、私達が認識しなければならないことは、安倍晋三内閣総理大臣によって、国家の政治が、日本国憲法に基づく「民主政治」から、自由民主党「日本国憲法改正草案」*1)に基づく「独裁政治」に転換させられたという事実である。

「民主政治」を破壊して生まれる「独裁政治」のことを「ファシズム」と呼ぶ。

「ファシズム」(fascismo[イタリア語]、fascism[英語]、イタリア語のファッショ[fascio<棒の束> ]から、個人の尊重を否定し、国を統轄する国家への偏重を求める全体主義の意味に)は、イタリアを母国として、イタリアのムッソリーニ・国家ファシスト党政権の成立(1922年10月31日)、ドイツのヒトラー・ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)政権の成立(1933年1月30日)、スペインのフランコ・軍事独裁政権の成立(1939年4月1日)、日本(大日本帝国)の近衛文麿・軍国主義天皇制政権の成立(1940年7月22日)によって、先駆的に展開された全体主義的反共産主義・反民主主義専制政治体系のことである。

「ファシズム」は、資本主義を守る・強くするために、資本主義の矛盾を独裁的暴力で克服しようとする政治体系である。即ち、国家が、民衆による「改革」や「革命」の道を遮断した上で、デマゴギー(Demagogie 事実に反する謀略的・扇動的宣伝)を用いて、民衆の不満・不安や欲望を利用して、民衆に対して「改革」や「革命」の実行を言いながら、民衆に対して「反動的反民主的改革」や「反革命」(民衆暴虐体制)を実行する政治体系であり、また、「平和」を掲げながら、「侵略」を実行する政治体系であり、そして、それを前提にて、(A)対外的には、ナショナリズム(nationalism 国家主義・国粋主義)を国民に煽って、他国と他国民族と他国人民に対する侵略主義と排外主義(他国民族・他国人民を支配するために、民族間の憎悪や反目を煽る思想と立場)と抑圧主義を実行する。

(B)対内的には、反共主義と反民主主義を国民に煽って、<a>初めは、ソフトに(合法を装って)・部分的に、<b>最後は、暴力で全面的に、国民主権とそれに基づく民主主義や、基本的人権や、地方自治や、司法権の独立や、議会政治(議会があっても)や、政党や、団体などを抹殺して、国民に対して、一つの思想を押し付ける思想的独裁と暴力を押し付ける暴力的独裁を実行する、全体主義的反共産主義・反民主主義専制政治体系である。

安倍内閣総理大臣によって展開される「ファシズム」は、21世紀の「日米安全保障条約」体制を全開させるために作り出されたものであるから、「『安保』ファシズム」と呼ぶことができる。

21世紀の「日米安全保障条約」体制とは、1960年6月23日発効の「1960年日米安全保障条約」と2006年6月29日に発表された日米共同文書「新世紀の日米同盟」*2)で構成されるもので、それは、「新世紀の日米同盟」が示している「地球的規模での協力のため」の「日米同盟」(対米日属の米国至上主義型米日核軍事・経済同盟)体制のことである。具体的には、全世界で侵略戦争と経済戦争(外国の経済を破滅させる闘争)を展開する米国至上主義型米日核軍事・経済同盟体制のことである。

21世紀の「日米安全保障条約」体制は、(1)1990年代初頭から展開されたアメリカ発の「グローバリゼーション」(globalization 経済の地球規模化)に基づいていて世界中に進出しているアメリカの独占資本の多国籍企業と投資機関の投機マネーの権益を守るために、及び、(2)アメリカに代わって21世紀の「覇権国家」になろうと台頭してきた中国に対抗するために形成されたもので、アメリカに従属して、アメリカと共に、アメリカの国益(アメリカの国家と多国籍企業と投機マネーの利益のこと)のために、<a>侵略権である集団的自衛権と海外侵略用自衛隊基地を用いて、世界中で侵略戦争や侵略目的の武力による威嚇及び武力の行使を実行する、或いは、<b>経済戦争を実行する日本国(「『安保』の国」)を要求している(ジブチに自衛隊基地が建設され、2011年6月1日より使用されている)。その要求は、日本の国家と資本主義と多国籍企業と投機マネーにとって、利益となる。安倍内閣総理大臣は、その要求を実現しようとして、「『安保』ファシズム」を発動させた。

「『安保』ファシズム」の標識は、(Ⅰ)<a>強大な軍事・警察=検察・官僚機構を柱とする中央行政権力専制型統治機構と、<b>侵略する「軍」と、<c>「『安保』反対派」のいない「安保」翼賛議会と、<d>「安保」翼賛裁判所と、<e>ファシズム化した政党と、<f>ファシズム化した財界および大企業を持ち、(Ⅱ)反共産主義化・反民主主義化・国粋主義化・親権力化したマスメディアや労働組合や宗教団体や社会団体及び暴力集団を協力隊として持ち、(Ⅲ)ファシズムに熱中する民衆を持ち、(Ⅳ)天皇をそれの精神的統括者の地位に置く、(Ⅴ)米国至上主義型米日核軍事・経済同盟体制を基礎とする対米従属の「日本型ファシズム」である。

「『安保』ファシズム」という「独裁政治」が可能となるためには、日本国憲法を基礎とする「民主政治」を成り立たせている次のような要素を否定しなければならない。

第一は、立憲主義(憲法に基づく機関による憲法に基づく行為)・法治主義(憲法に違反しない法律に基づく行政・司法の実行)の否定である。それが否定されると、天皇・国会・内閣・裁判所・中央省庁及びその機関の最高地位者による組織独裁・個人独裁が可能となり、「独裁政治」が実行できる。

第二は、権力分立制(国家の権力を立法権力・行政権力・司法権力に分割し、分割した3つの権力を、それぞれ別の人や集団に担当させること、この3つの権力を行使する機関が他の機関から相対的自立性を有して活動すること)の否定である。それが否定されると、権力集中制が可能となり、財や軍や警察=検察や官僚を擁する行政権力への立法権力・司法権力の従属、究極的には、行政権力による立法権力・司法権力の併呑(行政権力による立法・行政権力による司法)が行われて、行政権力及びその最高地位者による「独裁政治」が実行できる。

第三は、議会政治(国家の「意思」を決定する権能を有する権力機関<日本国憲法第四一条>である議会(国会)での自由な討議を経て、憲法に基づく法律や予算や条約等が制定されて、国家の「意思」が決定されること、議会での自由な討議を経て、国家の問題が解決されること)の否定である。それが否定されると、行政権力(その権力を行使する内閣・中央省庁)によって、国家の「意思」が決定され(議会は、行政権力の提出する法律案・予算案・条約案等を無条件で成立させるだけ)、また、行政権力によって国家の問題が解決され(議会は、国家の問題についての行政権力の言い分を受け入れるだけ)、究極的には、議会が廃止されて、行政権力及びその最高地位者による「独裁政治」が実行できる。

第四は、分立する3つの権力の独裁を阻止している3つの権力の内部に存在する民主的制度の否定である。

先ず、法律や予算や条約の制定及び特定の国家の問題に関する決議の制定を通して、国家の「意思」を決定する権力である立法権力について、「独裁政治」を行うために必要となる立法権力の独裁権力化のためには、衆議院の過半数の議席を確保して内閣を組織する与党の独裁を形成しなければならない。それは、内閣が提出する法律案や予算案や条約案を無修正で成立させたり、内閣や中央省庁が望む通りの国家の問題についての決議を成立させたりして、或いは、内閣・中央省庁の不祥事を揉み消したりして、内閣と中央省庁(行政権力)の独裁を可能とするためである。

与党独裁を形成するためには、立法権力内の民主的制度を無きものとしなければならない。与党が、次のようなことを実行することである。

例えば、与党が、<a>野党の質問時間を減少させていく、<b>野党の要求する証人の出頭や記録の提出に同意しない、<c>野党の合意を得ないで委員会や本会議を強引に開催する、<d>審議不十分でも議案の強行採決を行う、<e>世論の圧倒的多数が反対する議案でも構わず強行採決を行う、<f>野党提案の議案を審議させない、などである。

安倍内閣の与党である自由民主党と公明党は、現在、そのような国会運営を行っている。

与党独裁議会が形成されれば、立法権力の独裁権力化が実行でき、行政権力の独裁権力化が可能となる。

なお、全政党が(それに準ずる数の政党が)与党となれば、立法権力も、行政権力も、独裁権力となる。

次いで、国家の「意思」を誠実に執行しなければならない権力である行政権力について、「独裁政治」を行うために必要となる行政権力の独裁権力化のためには、行政権力内の民主的制度を無きものにしなければならない。その最大のものは、日本国憲法の公務員原理――「主権者国民奉仕・憲法忠誠」原理の廃棄である。

日本国憲法は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第一五条第二項)、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(第九九条)と定めて、「主権者国民奉仕・憲法忠誠」という公務員原理を掲げている。それ故、国家公務員には、国家公務員を統率する内閣・中央省庁(行政権力)による反国民尊重主義・反立憲主義・反法治主義的行政事務の遂行命令に対しては、「抵抗的拒否」が許される。そのために、日本国憲法は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服せられない」(第一八条)と定め、国家公務員法は、「職員は、法律又は人事院規則に定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、休職され、又は免職されることはない」(第七五条第一項)と定めて、国家公務員の身分保障を行っている。

この国家公務員の「抵抗的拒否権」の根拠となっている「主権者国民奉仕・憲法忠誠」の公務員原理を、「内閣忠誠」の国家公務員原理に交換させれば、行政権力の独裁権力化が可能となる。

安倍内閣は、2014年5月30日、内閣官房に「内閣人事局」(内閣法第二一条)を設置し、幹部公務員(600人)の人事を内閣官房(総理大臣官邸=官邸と呼ばれる所、内閣法第一二条)が取り扱うという制度を作り上げ、官邸――内閣総理大臣・内閣官房長官(内閣法第一三条)・内閣官房副長官(3人。3人の中の1人が内閣総理大臣の指名で内閣人事局長となる。内閣法第一四条第一項・第二一条第四項)・内閣総理大臣補佐官(5人以内。内閣法第二二条第一項)で構成――に忠実・従順な幹部公務員を作ることを通して、全国家公務員が内閣に忠誠を励むようにする「内閣忠誠」体制をでっち上げた。

更に、紛争を国家の「意思」を表現する憲法・法律・条約等の法規範を用いて解決する権力である司法権力について、「独裁政治」を行うために必要となる司法権力の独裁権力化のためには、司法権力内の民主的制度を無きものにしなければならない。その最大のものは、「司法権力の独立」を支える「裁判官の独立」の抹消である。

「裁判官の独立」とは、裁判官の人事を行う最高裁判所(裁判所法第一二条)と最高裁判所の長たる裁判官(最高裁判所長官)を指名し、その他の裁判官(最高裁判所判事)を任命する及び最高裁判所の指名した者の名簿によって下級裁判所の裁判官を任命する内閣(憲法第六条第二項・第七九条第一項・第八0条第一項、裁判所法第五条第一項)から裁判官の職権の独立が保障されていることである。

日本国憲法は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(第七六条第三項)として、また、「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない」(第七八条)として、更に、最高裁判所の裁判官及び下級裁判所の裁判官の「報酬は、在任中、これを減額することができない」(第七九条第六項・第八0条第二項)として、「裁判官の独立」を保障している。

裁判官に「裁判官の独立」が保障されているから、天皇・国会・内閣・中央省庁・自治体の機関とその機関の最高地位者及び大企業とその企業の最高地位者によるによる反立憲主義・反法治主義的行為に対して、違憲・違法判決が出るのである。その保障がなくなれば、そのような違憲・違法判決が出ることは、例外となる。

「裁判官の独立」が抹消となってしまえば、最高裁判所の統率する司法権力の独裁権力化が可能となり、立法権力や行政権力の独裁権力化を支えることが可能となる。

最高裁判所は、「裁判官の独立」を否定するために、次のような手を打ってきた。

1つ目は、最高裁判所が、「再軍備」に対抗し、「平和と民主主義をまもる」(設立趣意書)ことを目的にして、1954年4月24日に結成された弁護士・学者・裁判官・検察官・司法修習生等で構成される「青年法律家協会」*3)に所属する裁判官に対する脱会工作(1969年11月中旬から)と排除措置を行い、その蛮行に対処するために「青年法律家協会」を改組して1970年7月11日に発足した「青年法律家協会裁判官部会」(会員約350名)を、「青年法律家協会」から脱退に追い込んで(1984年6月2日)、消滅させたことである*4)。 「青年法律家協会裁判官部会」の後継組織である「如月(きさらぎ)会」(1985年8月結成)も、消滅した*5) (1997年10月)。

「青年法律家協会裁判官部会」の活動は、現職裁判官による「裁判官の独立」を保持しようとする活動及び日本国憲法を擁護しようとする活動であったため*6) 、最高裁判所は、その退治に必死となった。

最高裁判所が行ったその裁判官排除措置とは、例えば、1970年4月1日、最高裁判所裁判官会議は、裁判官志望の司法研修所第22期司法修習生3名の任官を拒否した。3名のうち2名が青年法律家協会の会員であった(1人は女性)。ここから、青年法律家協会に加入する司法修習生に対する任官拒否が始まった。司法研修所第22期(1968年4月1日~1970年3月31日)から第34期までの青年法律家協会の加入の司法修習生25名が、任官を拒否された(任官を拒否された総数は、40名)*7)

1970年4月8日には、岸盛一最高裁判所事務総長が、「裁判官が、政治的色彩を帯びた団体に加入していると、その裁判官の裁判がいかに公正であっても、その団体の構成員であるがために、その団体の活動方針にそった裁判がなされたとうけとられるおそれがある」。「裁判官は、深く自戒し、いずれの団体にもせよ、政治的色彩を帯びる団体に加入することは、慎むべきである」とする「最高裁判所公式見解」を発表した。1970年5月2日には、石田和外最高裁判所長官が、「裁判官はあくまでも政治的に中立でなければならない」。「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりとした共産主義者は、その思想は憲法上は自由だが、裁判官として活動することには限界がありはしないか」。「いまの段階では憲法を守り利用するが、実際はカムフラージュで、究極的には否定するという考えもあるが、これも憲法を否定するものと考えなければならない」との談話を発した*8)

何れも、青年法律家協会加入裁判官を念頭に置いての発言であった。

1971年3月31日には、最高裁判所裁判官会議が、青年法律家協会加入の熊本地方裁判所の宮本康昭判事補の再任を拒否した。

2つ目は、最高裁判所による「裁判官の独立」を否定する活動の容認である。

例えば、1969年8月14日、札幌地方裁判所の平賀健太所長が、「長沼ナイキ基地訴訟」を審理中の福島重雄裁判長に書簡を送り、「農林大臣の判断を尊重すべきである」*9) との指導を行った。そのことが、1969年9月14日夜8時の「テレビニュース」で報道され、「平賀書簡」問題として、社会を揺るがした。同「書簡」のコピーがマスメディアに流出したことについて、最高裁判所は、熊本地方裁判所の宮本康昭判事補に濡れ衣を着せた*10)

最高裁判所は、1969年9月20日、臨時裁判官会議を開いて、平賀健太所長に対して、「注意」処分と札幌地方裁判所所長から東京高等裁判所判事への異動(栄転)を決定した。

第5は、地方自治の否定である。地方自治は、地方公共団体(都道府県・市町村・特別区・組合・財産区、地方自治法第一条の三)が国家機関から相対的自立性を有していることを保障する団体自治と、地方公共団体の運営(その意思の決定と執行)を住民(その代表を含む)が行うことを保障する住民自治で構成されるが、それが否定されると、国家による全地方公共団体の住民=全国民に対する暴虐と戦争等の非常(緊急)時の総動員が可能となり、国家の行政権力による地方公共団体への「独裁政治」が実行できる。既に、国家の行政権力による地方公共団体に対する「独裁政治」が、沖縄県で実行されている(沖縄県名護市辺野古の米軍基地建設の実行という形態で)。

以上のような日本国憲法に基づく「民主政治」を成り立たせている要素が、安倍内閣総理大臣とその統率下にある安倍内閣及び安倍自由民主党、並びに、公明党によって否定されて、「独裁政治」の実行が現実のことであることを証明したのが、東京高等検察庁・黒川弘務検事長の定年延長問題であった。

安倍内閣は、2020年1月31日に、2020年2月7日で定年退職する東京高等検察庁の黒川弘務検事長の定年を六ヶ月延長する閣議決定(検察庁法の違反)を行った。現在の稲田伸夫検事総長(2021年8月14日に65歳定年を迎える。検事総長は、就任約2年で退任する(2020年7月)のが慣例となっている)の後任にしようとするための処置だと報道された。

検察庁法は、第二二条で、「検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する」と定めている。定年延長を認める規定はないので、検察官は、定年延長が認められない。その延長の事例も、これまで、一件もない。

なぜ、検察官の定年延長が認められないかの理由を示せば、刑事訴訟法は、「公訴は、検察官がこれを行う」(第二四七条)と定めて、検察官のみが、犯罪の被疑者を裁判にかける権限(公訴権)を有するとしている。

検察庁法は、「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う」(第四条)と定めている。

公訴権を独占し、刑事裁判過程を統制する権限を有する検察官(準裁判官)が、不公正な職務の執行を行ったら、被疑者・被告人の人権は蹂躙され、刑事裁判は、暗黒裁判となる。それだけでなく、自己に有形・無形の利益を与えてくれる権力者や有産者の犯罪と裁判に手心を加えることができる。基本的人権及び国民主権とそれに基づく民主主義を保障している日本国憲法のもとで、そのようなことが起こらないようにするために、検察庁法において、検察官の定年延長を禁止した。

検察官の定年延長が可能となると、検察官の定年延長を決める内閣が、その統率者である内閣総理大臣が、「延長」を「餌」にして、検察官個々人及び検察機構を自己に従属させて、検察官に不公正な職務の執行を強制することができる。

安倍内閣総理大臣は、「独裁政治」の強化のためにも、或いは、総理大臣辞任後の「森友学園・加計学園」問題及び「安倍晋三内閣総理大臣主催『桜を見る会』」問題での訴追を阻止するためにも、内閣総理大臣と内閣に従属する検察機構を欲した。官邸の代理人・官邸の守護神と呼ばれ、「共謀罪」の創設に尽力した黒川弘務検事長をその功に報いる意味も含めて検事総長にして、それを果たそうと企図した。

問題は、どのような方法で、それを果たすかであった。

官邸が目をつけたのは、国家公務員法第八一条の三・第一項の「定年による退職の特例」の規定であった。同項は、「任命権者は」、定年に達した職員が退職すべきことになる場合において、「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは」、「その職員に係る定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる」と定めている(なお、第一項の事由が引き続き存するという十分な理由があれば、人事院の承認を得て、一年を超えない範囲内で期限を再延長することができる、ただし、三年を超えることができないと定めている。同条第二項)。

しかし、報道を利用して追跡を行えば、国家公務員法の当該条項が1981年に設置されるとき、斧誠之助人事院総務局任用局長は、1981年4月28日の衆議院内閣委員会で、「今回の法案では、別に法律で定められている者は除くことになっている(第八一条の二・第一項――引用者)」ので、「検察官や大学教員には適用されない」と答弁している。このことを指摘された安倍内閣総理大臣は、2020年2月13日の衆議院本会議で、「検察官も一般職の国家公務員である」。「検察官の勤務延長については、国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と答弁した。この解釈変更に関して、1975年2月7日の衆議院予算委員会において、吉國一郎内閣法制局長官は、「法律の解釈は、客観的に一義的に正しく確定せらるべきものでありまして、行政府がこれをみだりに変更することなどありえない」と答弁している。

森雅子法務大臣は、2020年2月20日の衆議院予算委員会において、「1月24日から(検察官にも)勤務延長が適用されるようになった」と答弁し、法務省が2020年1月24日に解釈の変更を決めたことを表明した。

安倍内閣は、この解釈の変更と黒川弘務検事長の定年延長を正当化するために、2020年3月13日、<a>検事総長(最高検察庁の長)を除く検察官の定年を63歳から65歳に引き上げ、<b>63歳となった次長検事(検事総長の補佐)と検事長(高等検察庁の長)は、本来は、検事に降格となるが、内閣の判断で、一年以内なら引き続きその職に留まることができる(一年以内の再留任・再々留任も可能)とする検察庁法改定案(第二二条)を閣議決定し、国会に提出した。

安倍内閣は、官邸が好みの人物を検事総長に就任させることができる道を作ろうとしている。

法律を執行する内閣が、法律を制定した目的を解釈で勝手に変更することができるとなったら、法治主義は失われてしまう。国会の立法権力は内閣に略奪されたことになり、権力分立制は有名無実となる。或いは、官邸が好む人物を検事総長に据える道が作られたら、検察庁は、官邸に従属する検察庁となる。官邸の思惑で、刑事事件の起訴・不起訴が決まり、且つ、裁判干渉が行われて、司法権力の独立は侵害されて、権力分立制は、有名無実となる。その結果、内閣総理大臣の「独裁政治」が罷り通るようになる。

私達は、「安倍政治」が「独裁政治」であるの観点を持たないと、「安倍政治」に正しく対処することはできない。その「安倍政治の目的」は、自由民主党の「日本国憲法改正草案」が掲げる国家と国を実現することである。

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1)

自由民主党が2012年4月27日に決定した「日本国憲法改定草案」は、次のことを実現しようとしている。
第一に、天皇を「元首」(対外的には、国家の代表、対内的には、行政権力の実質的又は名目的な長)、且つ、「象徴」にして(第一条)、日本国を「『天皇』共同体」(天皇のもとに集結する集団体)にしようとしている。
第二に、「戦争の放棄」を放棄して、国防軍を作り、その国防軍が、あらゆる武器を保有・行使して、自衛の名で、あらゆる戦争とあらゆる武力による威嚇及び武力の行使ができるようにしている。また、その国防軍が、反アメリカ・反国家・反大企業運動を弾圧できるようにしている。憲兵(軍事警察)・軍事法廷・軍事監獄、軍機保護法を作れるようにしている(第九条・第九条の二)。

第三に、徴兵(兵役強制)・徴用(労働強制)・徴発(物品取り立て強制)ができるようにしている(「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守(る)」という規定を設置している。前文)。

第四に、国防軍がアメリカ軍に統率される存在であることを定めている(国防軍は、戦争する場合、「国会の承認その他の統率に服する」の規定を設置している。「その他の統制」が、アメリカ軍の統制である。第九条の二・第二項)。

第五に、国家と軍隊と戦争の必要によって制限・剥奪される基本的人権を設置している(「公益および公の秩序に反しない」限りでの自由および権利の保障の規定を設置している。第十二条)。

第六に、内閣総理大臣に国防軍の最高指揮官の地位を与え(第九条の二・第一項)、また、衆議院の無条件の解散権を与えて(第五十四条第一項)、大統領的内閣総理大臣を作り、国会を内閣総理大臣の従属機関にして、内閣総理大臣専制型統治機構を作ろうとしている。従って、裁判所も、最高裁判所の裁判官を任命する内閣(第七十九条第一項)を統率する内閣総理大臣の従属機関となる(「権力分立制」の放棄)。

第七に、国に政党の指導権を付与して(第六十四条の二)、政党を抹殺できるようにしている。

第八に、国と地方自治体の協力を義務化して(第九十三条第三項)、地方自治体のもつ団体自治を否定する方法で、地方自治を名目的なものにしようとしている。

第九に、侵略・内乱・自然災害等の急いで対処しなければならない事態(緊急事態)が生じたと内閣総理大臣が判断した場合、内閣総理大臣は、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができるようにしている(第九十八条第一項)。

「緊急事態の宣言」が発せられると、(1)内閣は、法律と同一の効力を有する政令(緊急政令)を制定できる(第九十九条第一項)。国会は開会していても、立法権力を内閣に奪われてしまう。内閣は、憲法を停止する政令を制定できる。内閣専制が可能となる。(2)内閣総理大臣は、財政上の必要な支出その他の処分を行うことができる(第九十九条第一項)。国会のもつ財産処理権(第八十三条第一項)が内閣総理大臣に奪われて、内閣総理大臣の恣意的な財政処理が可能となる。(3)内閣総理大臣は、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる(第九十九条第一項)。地方自治は休止となる。(4)内閣は緊急政令を以て、基本的人権に統制を加え、或いは、「戒厳令」を発することができる(第九十九条第三項)。

「戒厳令」とは、軍が立法権・行政権・司法権を手中にすることの宣言であるが、戒厳が宣言されると、軍事独裁が実行され、国民主権とそれに基づく民主主義の制限・剥奪(国会・内閣・裁判所の休止・廃止、政党・団体の活動停止・解散)が行われる。また、基本的人権と地方自治の制限・剥奪が行われる。軍による民衆虐殺や裁判なしの死刑も行われる。

「緊急事態」を設置して、憲法を停止できるようにしようとしている。
第十に、憲法改正の発議を、衆議院と参議院の総議員の過半数の賛成でできるようにしている(第百条第一項)。改憲の安直化を実現しようとしている。
第十一に、国民に憲法尊重義務を課して(第百二条第一項)、国民を当該憲法とそれに基づく憲法政治に縛りつけようとしている。

第十二に、天皇と摂政を憲法擁護義務から解放している(第百二条第二項)。天皇神聖不可侵を確立しようとしている。
第十三に、アメリカと天皇を戴く「戦争国家」を持つ日本国(『安保』の国)を作ろうとしている(前文・第九条・第九条の二第二項)。

2)

2006年6月30日付「朝日新聞(朝刊)」に全文掲載。

3)

青年法律家協会弁護士学者合同部会編『青法協――憲法とともに35年』・日本評論社・1990年・2-13頁。青年法律家協会弁護士学者合同部会編集・発行『人権の砦として――弁学合同部会40年の軌跡――』。2012年・8頁、245頁。

4)

前掲『青法協――憲法とともに35年』・237-249頁、前掲『人権の砦として――弁学合同部会40年の軌跡――』所収、花田政道「裁判官部会の分離独立とその後」(128-132頁)。

5)

日本民主法律家協会発行「法と民主主義」・2019年12月号・第544号所収、北澤貞男「青法協裁判官部会の消滅の意味と新安保法制違憲訴訟の行方」(46-49頁)。

6)

前掲・北澤貞男「青法協裁判官部会の消滅の意味と新安保法制違憲訴訟の行方」・47頁。

7)

前掲・『人権の砦として――弁学合同部会40年の軌跡――』。220頁。

8)

前掲・『青法協――憲法とともに35年』・119-125頁。

9)

前掲・『青法協――憲法とともに35年』・108-117頁。

10)

鷲野忠雄『検証・司法の危機』・日本評論社・2015年・35頁。