横田耕一さん講演…「天皇代替わり」にみる「天皇教」の残存

「大嘗宮の儀」を伝えるニュース放送(「大嘗宮の儀」終わる 両陛下未明に赤坂御所へ(19/11/15) ANNnewsCH より)

「大嘗宮の儀」を伝えるニュース放送(「大嘗宮の儀」終わる 両陛下未明に赤坂御所へ(19/11/15)
ANNnewsCH より)

11月11日(月)に御茶ノ水クリスチャンセンターにおいて横田耕一氏(九州大学名誉教授)による講演があった。主催は政教分離侵害を監視する全国会議とNCC靖国神社問題委員会。

はじめに主催者の星野さん(キリスト教や仏教徒、弁護士でつくる「政教分離の侵害を監視する全国会議」事務局長)から、自分たちが、天皇についての儀式やマスコミ報道の点検と学習会をおこなってきて、この一年の時代の逆流の証人となっていることの危機意識と現状認識があった。

そして、横田耕一さんの講演、最後に11月12日に参議院会館で「違憲の天皇即位儀式・大嘗祭に抗議し署名提出」の緊急記者会見の案内があり、参加をよびかけた。

横田耕一さん 講演

天皇教という言葉を使っている。国家神道は使わない。戦前は国家神道としていたが、それだとハッキリしない。天皇の問題が抜けている。なぜか?
天皇はアマテラスオオミカミから始まっている。伊勢神宮はそれを祀っている。そういう報道をマスコミは伝えている。

天皇制の支持については明仁から増えた。天皇は国民から支持されていて、公的行為も支持されている。しかし、被災地訪問や宮中祭祀などは公的行為ではない。

明仁の退位のメッセージ、被災地へのメッセージなど政治的な発言は憲法違反である。退位については公務が忙しいというが、公務と称してやらなくていいことをしている。

退位については法律を作成したが、共産党を含めた、すべての党が賛成した。共感している。全会一致で通すという状況である。リベラルなども屈服している。それが「天皇教」というもの。

宗教と政治を分けるということ。フランスやドイツでも違いがあるが、フランスでは公共の場でイスラム教のかぶるブルカなども違法である。いっぽうアメリカなどでは認めている事情がある。

大日本帝国憲法は信教の自由を認めているが、国家の安寧秩序の範囲内であった。明治国家は神道を国教化しようとしたが成功しなかった。結果として教育勅語などで天皇を万世一系の神の子孫として、神聖不可侵、統治権や大権(統帥権、祭祀大権等)の天皇教となった。それが祝祭の儀式(即位礼、大嘗祭、戦勝儀式)や「萬歳」「日の丸」「君が代」そして、軍隊(皇軍=「軍人勅諭」)、栄典付与(位階・勲章)、「非国民」に対する弾圧(不敬罪、治安維持法)、戦争・事変(靖国神社・護国神社)とつながっている。

敗戦後は国民主権となり、天皇は総理大臣の下にある。天皇がおこなうのは国事行為のみになる。例えば元号なども内閣が作成しなければならない。一世一元は間違いである。

「代替わり」は違憲だらけである。私的宗教儀式を宮内庁などの国家機関が定めて発表している。

まず「即位礼正殿の儀」を国事行為として「高御座(たかみくら)」「剣、璽(じ)」を使用して、宗教儀式となっている。「大嘗祭(だいじょうさい)」は、メインが「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」(11月14,15日)だがこれも公費が支出される(宮内庁によれば総額で約24億4千万円)。

公費支出をめぐっては、今も「憲法の政教分離原則に反する」との批判が根強くある。皇嗣の秋篠宮さまは、昨年の記者会見で「公費を支出するべきでない」との考えを表明。(「朝日新聞」2019年11月15日 https://www.asahi.com/articles/ASMCF6TXMMCFUTIL063.html

また、公務員である宮内庁長官や侍従長、式部官、女官、職員等が神道儀式に関与している。まさに政教分離違反だ。

そして「即位後朝見の儀」(5月1日)、「即位礼正殿の儀」(10月22日)は国民主権原則違反である。

「即位の礼」儀式 憲法に抵触
「「神話」にもとづいてつくられた、神によって天皇の地位が与えられたことを示す「高御座」(たかみくら)という玉座から、国民を見下ろすようにして「おことば」をのべ、「国民の代表」である内閣総理大臣が天皇を仰ぎ見るようにして寿詞(よごと=臣下が天皇に奏上する祝賀の言葉)をのべ、万歳三唱するという儀式の形態自体が、「主権者はだれか」という深刻な疑念を呼ぶものです。」
(「しんぶん赤旗」2019年10月22日 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-10-22/2019102204_03_0.html

これらの違憲状態に対して、訴訟するのは難しい。裁判所から何の害があるのか? ということで、利益が侵害されていなければ負けてしまう。

やはり運動として、政治のなかでやる必要がある。国会で問うべきである。戦後もずっと国民のなかに「天皇」イメージが続いて残っている。それは「天皇教」というべきもので神道ではない。

戦後の憲法擁護の運動に限界がある。文部省が配布した『あたらしい憲法のはなし』には「天皇陛下」とあり、トンデモ本である。これでは護憲運動に使えない。戦前の考えが払拭されていないのである。私達の天皇意識とは、同調するものは許容するがそれ以外は排除、攻撃する。日本は結婚式は教会でおこない、葬式はお寺でやる。クリスマスを祝うし、何でもある。宗教意識が希薄なので、神道では天皇が消えてしまう。

最後に、天皇制が差別の原理となるから批判する。生まれながらに差があるのが天皇制で、それを憲法に入れているのが問題だ。

(講演要旨・レジュメより 文責・編集部)

文部省「あたらしい憲法のはなし」の天皇の箇所。かなり問題がある

文部省「あたらしい憲法のはなし」の天皇の箇所。かなり問題がある