原発災害を越えて…南相馬市の憲法学者の生家を護りたい

「憲法研究会」当時の鈴木安蔵

「憲法研究会」当時の鈴木安蔵(You Tubeより)

2011年の東日本大震災とそれによる原発事故で深刻な被害を受けた南相馬市。地震により沿岸部には津波が押し寄せ、あたりの地形や家屋をなぎ倒した。さらに電源の喪失によって運転中であった東京電力・福島第一原子力発電所の1号機~3号機が停止後の炉心の冷却に失敗し、炉心を損傷する事故(過酷事故)により、放射性物質の漏洩が起きた。この地域周辺への放射能汚染による影響で避難指示区域とされて、いっとき住めない街となった。その後も原発事故の影響で、住民全ての帰還は困難な状況が続き、2016年7月12日に帰還困難区域を除いて、南相馬市への避難指示は解除され現在では徐々に住民も戻ってきて復興の足取りを進めつつあるところだ。

小高区にはゆかりのある作家の埴谷雄高(本籍地)や島尾敏雄(両親の出身地であり、祖先の墓に眠る)がいて、区内の浮舟文化会館には埴谷島尾記念文学資料館が併設されている。また、米国の文学賞「全米図書賞」(2020年)に輝いた芥川賞作家の柳美里[ゆうみり]さんは、2018年より南相馬市でブックカフェ「フルハウス」を経営している。震災から10年となった南相馬市の現在を、インタビューで答えている。そして「絶望感が強くなっている時に、本、本屋というのは魂の避難所としての役割があるんじゃないかなと思っています」と希望を語る(好書好日より 2021.02.27)。
https://book.asahi.com/article/14191440

自宅を改造した「フルハウス」(好書好日HPより)

自宅を改造した「フルハウス」(好書好日HPより)

また、日本国憲法の原案起草の中心人物で、憲法学者である鈴木安蔵の出身地でもある。

地元の新聞は南相馬の「小高区出身の憲法学者である鈴木安蔵の功績をたたえ、実家の保存や活用を目指す取り組みが地元の有志により始まった」と(「福島民報」2021年1月28日)伝え、記事では鈴木安蔵の実家の現状とその家の保存・活用のとりくみを紹介している。

鈴木の実家は小高区中心部にあり、木造平屋で大正後期に建てられたとされる。伝統的な商家造りが評価され、二〇一八年に「鈴木家住宅」として国登録有形文化財になった。子孫が長く薬局を営んでいたが、原発事故で避難指示が出され、その後、営業をやめた。長年空き家になっており、老朽化が進んでいる。

 現状に心を痛めた小高区出身で相馬市在住の志賀勝明さんが会長となり、「鈴木安蔵を讃[たた]える会」を設立した。住宅を住民が集う場所にし、郷土史の勉強会の開催などを通して地元の偉人の活躍に再び光を当て、その名と功績を発信する考えだ。讃える会は広く会員を募っている。有志だけにとどまらず、市と市教委も後押しし、官民挙げた活動を展開してもらいたい。
(【鈴木安蔵の顕彰活動】小高の活性化につなげよ「福島民報」)

https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021012883076

さらに、TBSラジオの「人権TODAY」(2021年2月27日)という番組では、「憲法の民間草案の起草者の生家を、原発事故からの復興に活かしたい」と「鈴木安蔵を讃える会」の活動について取材、放送した。大正後期に作られた木造平屋の鈴木安蔵の生家は、たびたび続く地震によって影響がでているようで、以前はなかったところにひびが入ったりして補修も迫られているようだ。

会長である志賀勝明さんの発言を引用しよう。「ここで、やっぱりまず、安蔵さんの功績を学ぶ会みたいなのを開きたいなって思っています。あとここには、安蔵さんに関わる資料なんかを展示したいな、というのは思っています。今回のコロナによって、個人の基本的な人権のことがすごく問われているわけでしょ。やっぱりここに来て、いろいろね、自分で確かめてほしいな、と思います」
https://www.tbsradio.jp/565989

「鈴木安蔵を讃える会」は福島や南相馬市の小高だけでなく、広く全国に意義を伝え入会を募っている。
(本田一美)

鈴木安蔵
1904年小高町(現南相馬市小高区)に生まれる。相馬中学校に進学し、弁論部で活躍。また、上級生による下級生への暴力を校内から追放するために「同盟休校」の指導者となり、校内からの暴力を消した。1924年、京都帝国大学文学部に入学した。「京都帝国大学社会科学研究会(京大社研)」の活動で京大社研の活動が治安維持法第2条に違反したとして逮捕された(1926年)。最初の治安維持法適用事件としての「日本学生社会科学連合会事件」である。禁固2年の有罪判決を受けた。大学を自主退学し、憲法学・政治学の研究を進め再び逮捕(1929年)。
敗戦の年の1945年11月5日、「憲法研究会」が発足、幹事役として『憲法草案要綱』を起草。GHQが日本国憲法草案を起草する際に参考とした。日本政治学会理事を務め、静岡大学、愛知大学、立正大学で教授を歴任。1983年(79歳)で生涯を終えた。(南相馬市HPより)

(南相馬市HPより)

https://www.city.minamisoma.lg.jp/portal/culture/haniya_shimaobungakushiryokan/study/5314.html

国登録有形文化財「鈴木家住宅」

国登録有形文化財「鈴木家住宅」(TBSラジオHPより)