「無意識としての9条」を語る

5月3日(月)、憲法記念講演会がオンラインで開催されて、柄谷行人氏(哲学者)、蟻川恒正氏(日本大学)が講演した。主催は全国憲法研究会。憲法学研究者の学会(略称、全国憲)。はじめに主催者を代表して小沢隆一氏があいさつ、政治に憲法を守らせる意義を語った。
ここではゲストスピーカーの柄谷行人氏の講演要旨を掲載する。

柄谷行人氏

柄谷行人氏

講演者:柄谷行人氏(哲学者)

私自身のことで憲法について言えば、日本が湾岸戦争に向き合ったときに、無意識がはたらいている、と考えるようになった。立憲主義は意識的でなければならないが、実は憲法というものは成文憲法に限らないということで、そのことは慣行の政治の国家体制を意味するものではないか。

国家制度があるところ憲法があったといえる。江戸時代・徳川の政府が鎖国だったというのは間違いだ。朱子学、陽明学が入り、中国、朝鮮との交易があった。

日本国憲法は徳川時代の回復である。このことはカトリックの教会で話したことがある。日本では3.11以後に反原発の広範なデモを見た。社会的変化が起きて原発は一時的に停止したが、その後は再稼働が進んだ。それだけだと人びとは原発をなくすどころか原発を輸出しようとする安倍を支持しているように見える。

憲法9条の戦争放棄についてはおおもとは英文を和訳したもので、海外では平和憲法として知られている。米国にニューディラーによって書かれたもの。

日本には自衛隊があり、米軍基地がある。軍隊は自衛隊と名付けられた。現行憲法では自衛隊は存在しないものとして解釈されて存続してきた。もし戦争をしたいのなら、それを止められない。改憲の意思は選挙では沈黙してしまった。安倍は9条を変えるのではなく「加憲」であるという。なぜ変えられないのか。

護憲派はなぜ支持されているのか。なぜ憲法9条が残っているのか知らない。なぜ保持されるのだろうか、ドイツには9条はない。戦争体験のせいだろうか、戦争に対する反省なのだろうか。そうではない、無意識のせいだろう。日本には意識的な戦争の反省はない。

「パリ戦条約」の理念が憲法に結実したのは「押し付け憲法」であった。朝鮮戦争の時は吉田首相が改憲を拒否した。米国の要求を呑まなかったのである。憲法を変えずに自衛隊というかたちにした。この時から解釈していた。いつか改憲できると考えていた。左翼は真の人民軍をつくろうと考えていた。軍隊をなくすことは考えていなかった。

超自我としての憲法9条

フロイトの理論を参照すると「死の欲動」がある。フロイトは第一次世界大戦を当初は支持していた。戦争の原因については「我々の原始人を呼び起こす」として抑圧されたものであり、戦争は野蛮さを露出させてきた。そして戦争神経症の患者を見た。そこに反復強迫を見た。

文化は人間集団における「超自我」で、『文化への不満』(フロイト)では戦争もやむを得ない、として「超自我」は外に向かって「攻撃欲動」を発して、戦争が求められるようになる。しかし、戦争後には、そのありかたに無意識の罪悪感が残る。それで欲動の断念を外部の力でおこなう。それが倫理性であり、それを求めるようになる。外部から来たものが深く根を下ろすことになる。

日本文化として「無意識としての9条」が成立した。根本には徳川時代にそのような文化があった。それが憲法1条と9条に見いだされる。

日本が14世紀以来、天皇が象徴としてあって、戦国時代が長くつづいていた。朝鮮侵攻が失敗した後の徳川時代は、第二次大戦後の日本と類似している。法と令による統治で武士は帯刀を許されたが、それは象徴となった。武士は官吏となり朱子学が受容されて、武士は読み書きをするようになった。

システムとして天皇を中心に位置づけた。徳川幕府は朝鮮と国交回復させて、それは徳川の平和をもたらした。戦後の憲法1条と9条は徳川の回帰だということができる。

明治維新になり変更されたものとして、徴兵制ができた。そして武士道がでてきた。武士という概念がでてきて、大元帥となった。

日本は日清戦争に熱狂した。その後に反戦運動がでてきた。内村鑑三はそのときは反戦ではなかったがその後反戦となった。日露戦争のときに与謝野晶子は弟を想い、徳川体制を語った。それは戦争批判であり、徳川の憲法から批判した。従来はヒューマニズムの観点からの評価であったが、むしろ、じっさいは徳川時代の商人文化であり、そこを見ないといけない。

日本については悲観的であると同時に楽観視する。日本文化の回帰であり、「欲動の断念」(フロイト)が倫理性を作り出す。強制されることにより徳をつくり、それが求められる。

(文責:編集部)

憲法記念講演会チラシ

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