在日コリアン三世にとって「祖国」とは? 『荒野の向こう側』姜龍一

力道山や大山倍達をはじめとして朝鮮半島出身者や在日コリアンが格闘技やスポーツの世界には多いという。プロレスファンならば大木金太郎、星野 勘太郎や長州力、前田日明などが思い浮かぶだろう。在日コリアンを描いた映画『パッチギ!』や「チョーパン」(朝鮮パンチ)も言葉は頭突きを表すし、大木金太郎の得意技がまさに頭突きであった。また、空手に似たテコンドーも知られているが、実のところ朝鮮半島の武道・格闘技は多彩であり、興味がつきない、そんな一端を教えてもくれる小説を紹介しよう。

『荒野の向こう側』

『荒野の向こう側』


在日コリアン三世にとって「祖国」とは? 私たちは何者であらねばならないのか?
【書評】『荒野の向こう側』姜龍一(カンヨンイル)
2021年2月 新幹社

 寝食を忘れて一挙に読んでしまった。面白いだけではない。読みこむうちにますます隣国の歴史の奥深さと日本の近現代史の暗闇が浮かび上がる底力を持った小説だ。

 主人公は高龍雄(コ・ヨンウン)、1988年生まれの「在日コリアン」三世。

「俺は、在日韓国人子弟を祖国発展の礎石となるべく教育する為、光復(日本の敗戦による植民地朝鮮の解放)直後の一九四六年に設立された大阪市南部の民族学校・H学院K高等学校三年である」

 この主人公の十七歳から二十七歳までの激動の青春を描いた物語だ。

 2005年初夏、幼少の頃から空手、柔道などの武道に親しんできた十七歳のヨンウンは高校三年にしてプロキックボクシングのデビュー戦を迎える。

 「コ・ヨンウン」本名で挑んだデビュー戦。リングアナウンスで名前が呼ばれた時に会場のどこからか聞こえてきた「なんやコイツ、チョン公か」という嘲笑をヨンウンは聞き逃さない。デビュー戦を勝利で飾るものの、喜びもつかの間、暴走族あがりの対戦相手のチンピラ仲間に絡まれて警察沙汰を起こしてしまう。しかし、この事件がきっかけとなり「祖国」韓国の地方都市、天安(チョナン)にあるミッション系新興大学の体育学部武道学科に留学することになる。

 ここから物語は韓国に舞台を移す。

ヨンウンにとって「祖国」はどんなところだったのか?

「この日本人野郎(チョッパリセッキ)独島(トット)を返せ」

 ヨンウンがオリエンテーション合宿で同期の新入生から浴びせられた罵声である。

 植民地時代の朝鮮出身の作家、小林勝(1927-1971)の小説に『蹄の割れたもの』という作品がある。この小説の中に「チョッパリの直接的な意味は、蹄の割れたもの、というので、人間の姿をしていながら、犬畜生にも劣るけだものをいうのだろう」とあるように「チョッパリ」は日本人の蔑称だ。

 日本にいれば「チョーセン人」、韓国に来てみれば「チョッパリ」や「半日本人(パンチョッパリ)」。ヨンウンは日本でも韓国でも差別される在日コリアンの現実を思い知らされる。「祖国」に馴染めず、新生活のスタート早々、孤独で憂鬱な日々を送ることになる。

 アイデンティティの不確かさに思い悩む中、ヨンウンを待っていたのは運命的な出会いだ。神学部に通う同じ1年生の女子大生、金蘭栄(キムナニョン)と、同じ武道学科の同期の朴清満(パクチョンマン)の二人との出会いだ。ナニョンはやがて恋人となり、チョンマンは苦楽を共に武道修行に励む無二の親友となる。

 ヨンウンとナニョン、チョンマンの3人が繰り広げるまさかの展開の中で、もう一人の重要人物、八十歳の武道家、韓鳳武(ハンボンム)との出会いがある。ハンボンム先生はチョンマンの師であり、彼がヨンウンを引き合わせたのだ。

 ハンボンム先生は韓民族の魂を受け継ぐ武道、圓道和(ウォナド)を極めた武道家だ。ハンボンムは日本統治時代の1928年に韓国南端の港湾都市・馬山市で生まれ、幼い頃に家族に連れられて日本に渡った。戦争末期には日本陸軍の少年飛行兵になり「皇国臣民」として航空訓練を受け特攻の任務寸前に終戦を迎えて生き延びた。終戦後間もなく家族とともに故郷、馬山に引き上げたのだが、そこで待っていたのは同じ民族どうしが血で血を洗う戦いを繰り広げた朝鮮戦争だった。動乱は丸3年間続き、地獄絵図のような荒廃がもたらされた。

 ハンボンム先生は日韓の近現代史の生き証人そのものだ。さらにこの武道家が極めた圓和道は1万年前とも言われる古朝鮮時代から受け継がれてきた朝鮮固有の古代哲学、三極観思想に基礎を置く。在日コリアンという日本の朝鮮半島侵略と植民地支配という近代現代史150年という歴史的スパンから古朝鮮時代からという壮大な歴史スケールも背景にしながら物語は進む。もちろん、朝鮮半島から日本に移り住んだヨンウンの祖父母らの在日一世の世代、そして母親たちの二世の世代、そしてヨンウンたち三世とヨンウンのファミリーヒストリーには日韓の近現代史が深く刻まれている。

 朝鮮近現代史専攻の歴史学者・梶村秀樹(1935-1989)は朝鮮史の魅力を次のように書いている。

「朝鮮史の勉強は、二種類の発見の驚きの連続だった。

 第一に、その内容をなす個々の事実からして、単純な初耳のことも多かったし、それらの事実を通して見えてきた朝鮮史の全体像は、思いがけぬ豊富さと複雑さを備えていた。」

「第二のより重要な驚きは、朝鮮史の勉強が、自分が何者であるかを発見させ、何者でなければならないかを思い知らせてくれた点からきた」
(『朝鮮史 その発展』講談社現代新書、1977年)

 在日コリアン三世の主人公が自らのアイデンティティを自ら問いかける中で語られる朝鮮史。そして在日コリアンの存在すら知らないナニョンのような若い世代のリアル。この小説の面白さは隣国韓国や在日コリアンの歴史に貧しい知識しか持たない私を含めた読者である日本人に、「自分が何者なのかを発見させ、何者でなければならないか」を自然に問いかけてくれるところにあるのではないだろうか。

 著者は主人公のヨンウンと同世代の1988年生まれ。若い世代にこそ読んでほしい小説だ。
(丸田潔)