「サ講和」後70年の日本と「復帰」後50年の沖縄

 沖縄返還協定批准に反対し、完全復帰を要求する県民総決起大会(1971年11月10日)(時事通信社 より)

沖縄返還協定批准に反対し、完全復帰を要求する県民総決起大会(1971年11月10日)(時事通信社 より)
https://www.jiji.com/jc/d4?p=oki514-jlp01370106&d=d4_news

戦後日本の枠組みを決めたサンフランシスコ講和条約(1952年発効)から70年、戦後は米軍統治下にあった沖縄が再度日本へと「復帰」(1972年)してから50年となる2022年、その二つをテーマとして集会が開かれた。4月28日に「象徴天皇制・日米安保体制下の日本と沖縄の歴史と現在」と題して文京区民センターで開催され、<沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29 連続行動>一環のとりくみである。主催は同実行委員会。講演は大野光明さん(運動史研究)と池田五律さん(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)で問題提起を受け討論を行った。

大野光明さん
■日本(ヤマト)にとっての「沖縄問題」への視座

無権利の沖縄人たち、沖縄では島ぐるみ土地闘争や、そして土地取り上げ反対闘争を続けたこともあり「戦後史」という呼び名そのもに違和感を感じる、意識として「沖縄には戦後はない」(『沖縄ゼロ年』目取真俊)というものがある。視点を広げてアジア・太平洋戦争後の進展ではないか?

沖縄は日本とは別の米軍統治という異なる歴史があり、太平洋でも核実験があった。他方では経済成長などで豊かにはなった。それが同時に「アジアの植民地主義」の記憶が忘却、あるいは消去されたのではないか。

69年に日米共同声明があり、沖縄市政返還が明らかにされたが、沖縄人の闘いが、返還要求の高まりが影響した。それにより日米安保への危機意識もあり、日本政府による沖縄の統治、日米両国による基地管理、ベトナム戦争後の復興への参画のプランも浮上してきた。

1969年4月28日の「沖縄デー」では集会・デモがおこなわれた。69年から参加者が急増して、72年11月19日には沖縄政策に反対する人が全国で50万人集まったという。なお、参加者は71年の316箇所での集会参加者がピークだ(警察資料だが…)。

沖縄にとって日本とは、日本にとって沖縄とは、という問いかけがある。
沖縄の日本復帰が日米安保体制へと回収されてしまった。そんななか「反復帰論」があり、沖縄の運動の内在的批判があった(新川明など)。また、奄美など沖縄地域の差別の構造もあり、現在の軍事基地拡張にもつながるものだ。国家・軍隊を否定し構想すること、沖縄青年委員会など在日沖縄人の若者たちの動きもあった。

反戦米兵と活動家、沖縄民衆と黒人米兵たちが路上で集会を開き、差別の問題などを黒人兵たちと語りあうということがあった。そこでは軍事基地を拒否する意思が共鳴した。異なる立場のもののつながりを創るのが連帯ではないだろうか。

沖縄とは何か。所与のものではない。当事者性を問うのであれば、持ち得ないものを、出会いを契機してして始まるもの、関係をつくることが当事者性ではないだろうか。それが沖縄を生きること、沖縄に生きることになるのではないか。

米軍基地の引取論について沖縄のメディアも肩入れしているところがあるのではないか? これは沖縄の自己決定が蔑ろにされていること、そう言わざるをえない状況だということ。それはいわゆる革新陣営の力量低下がある。保守を含んだオール沖縄の問題点があると思う。

さらに日米安保を否定できない、むしろ前提とするような左派の動向があり、後退がある。そこでは軍事化を問う、軍隊が性暴力の装置なのであるというフェミニズムの視点が重要だろう。ウクライナへの軍事応援が予算化され、反戦の想いが見えなくなるなかで、国家から自律的であることが大切で、川満信一らの「琉球社会憲法私(試)案」という国家によらない社会の構想が必要とされてくるのではないか。

池田五律さん

■象徴天皇制と日米安保体制がもたらした現在の日本を問う

成増では自衛隊員が制服で町を歩いている。戦後は自衛隊増強の歴史だ。脅威というのは認識にすぎない。権力側があるものを脅威と認識すればそうなるのだ。

米軍の日本占領は天皇制の利用から始まった。日本の支配層がおそれたのは共産主義と在日朝鮮人・中国人などで司法権力はGHQに抱きついた。天皇制廃止要求をおそれたGHQは天皇元首と自衛権も含む戦争の放棄という<象徴天皇制と憲法9条>を実現する。

9条は国連安保を前提とするが、国連安保は個別的自衛権、集団的自衛権の行使を「正しい戦争」としているので、米国を支持する「平和国家」となる。

日本は60年の東京五輪で国際的に認知されて神話とする、さらに大阪万博へと向かう。

天皇ヒロヒトは増原内奏問題(1973年)で国会での問題を質問して「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、昔の軍隊は悪い面もあったが、そこ(悪い面)はまねてはいけない。良い面を取り入れてしっかりやって欲しい」と発言した。

天皇アキヒトも「テロ撲滅を目指してアフガニスタンで戦争が起こりました(略)平和が根付くことを願わずにはいられません」(2001年誕生日会見)と戦争支持の発言をした。また、天皇がさまざまな機会で自衛隊と結びつくようになっている。

朝霞駐屯地は旧日本軍の施設でそれが米軍に使用され、自衛隊の基地になった。共同使用も含めて米軍から自衛隊基地への流れが続く。また脅威という外敵対応もソ連の脅威論から北朝鮮脅威論とシーレーン防衛というものになった。アフガニスタン・イラク戦争後は「テロとの戦い」で非対称の戦闘という宣伝をしている。それがジプチの自衛隊基地の恒久化につながっている。また共産党も自衛隊の有効活用論を言い出しており、国家安全保障が通常の意識となっている。

国家安全保障体制により防衛庁が独自予算を要求することが可能となり、政府・官邸を高級自衛官が周りを固めるつくってゆく、国家安全保障局に巣食う官僚主導の体制となり制服組の発言権が強化されていく。

多国間安保という物品役務融通協定を結び、経済安保という戦略物資のサプライチェーンの確保、物資の研究開発、情報流出防止という国家安全保障体制となる。

今後は韓国がクアッドに参加するのか? サイバー・電磁波などの領域の安全確保、警察と一体となり監視体制が敷かれ、戦争と治安の一体化、戦闘医療体制の強化される。

日本は国連改組で常任理事国入を目指すだろう。今後の防衛予算はGDP比2%(11兆円ほど、世界3位の規模)を目論んでおり、多国間安保が進展する。2021年に英国軍の空母クィーン・エリザベスが日本に寄港しており、今後も東アジアに展開してゆく。(レジュメなどで再構成)

(文責:編集部)

クィーン・エリザベス

英最新空母、日本に初寄港 「クイーン・エリザベス」(共同通信 2021.9.4)
https://www.youtube.com/watch?v=7aRQuSNp2a4