沖縄の「命どう宝」という言葉。その意識が大切
10月13日に「沖縄のいま、そして…」と題した集会が参議院議員の伊波洋一さんと元岩波書店社長の岡本 厚さん迎えてエデュカス東京で開かれた。主催は沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会。
大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書 1970年)のなかの沖縄戦の集団自決の記述が、名誉毀損にあたるとして元日本軍指揮官と遺族が訴訟を起こした。2005年大阪地裁で提訴され、2011年には最高裁で上告棄却。大江氏の勝利が確定した。上記の「沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会」は大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判を支援する運動・組織で、裁判勝利後も沖縄戦の史実を伝えるための活動・学習会などを継続している。
伊波洋一さん(参議院議員)の講演は2010年以降の沖縄を巡る軍事的な動きを振り返るものであった。辺野古・大浦湾には5千以上の生物とやんばるの森には4千種の動植物が生息している自然の宝なのに、辺野古新基地建設に進む日本を批判した。さらに軟弱地盤が発覚して建設は無理であり、反対が沖縄に民意であることを強調した。平和安全法制(2014年)が台湾有事に日本が参戦できるしくみだったと語り。日中共同声明・日中平和条約に違反する安倍政権の日米共同作戦の策定が。残念ながら現在の岸田政権にも引き継がれて、米国の意のままに自衛隊が米軍の指揮のもと軍事的緊張を高めていることを批判した。
以下は岡本厚さんの講演。
■大江・岩波裁判から何を引き継ぐのか 岡本 厚さん(前岩波書店社長)
この裁判は沖縄の人びとが、たたかった。そして、さまざまな人にも裁判傍聴・支援してもらった。2008年には大阪地裁で勝利して、2011年に最高裁で勝利した。それが『記録・沖縄「集団自決」裁判』(2012年 岩波書店)としてまとめられている。この裁判はバックラッシュの一部ではないかと思う。
どういう意味があったのか。軍命ではない、沖縄の人々が軍の邪魔にならないように自主的に死んでいったという言説があり、その原告たちの主張を覆した。
集団自決の日本軍や隊長への真実相当性を認めさせることができた。軍・官・民の一体化により、縛られていた。人々が手榴弾を渡されていて、拒否できなかった。
右派が結集した裁判であった。裁判所に準備書面を提出するのだが、書面は10日前に出すように言われていたが、相手側の弁護士はいつもぎりぎりに出していた。原告についても自分がどこを名誉毀損されたかを認識せず、また本を読んだのも裁判がはじまった後であると語っていた。
歴史修正主義の嘘を暴いていくことが重要だ。「命どう宝」という言葉があるがその意識が大事だ。沖縄でも昔は自発的に死んだことを美談のように語り、いかに死んだかを誇っていた。それが80年代だろうか、軍隊は住民を守らなかった、食料を奪い、壕から追い出し、声を出すなといった。牛島司令官は降伏するなといって、自決した。そのせいで沖縄は9月7日まで戦争は続いていた。
この戦争は本土決戦を遅らせるための戦いで、日本本土の捨て石となったのだ。沖縄住民の4人に1人が犠牲となった。「あの時にやめておけばよかった」という声があった。
ウクライナ戦争でも沖縄の住民の間で「やめておけば」という議論が上がった。沖縄の体験は日本全体の声にはなっていない。戦争感がつながっていない。沖縄戦の教訓が一般化していない。地上戦を体験したのは沖縄だけなのだ。
裁判が終わって10年ぐらい経ったが、その間は安倍の時代だった。北朝鮮と韓国に制裁をしている。また沖縄へもひどくなった。有無を言わさず対処している。
そこから脱却しなければならない。岸田政権は変えてほしいのだが、同じことをしている。
沖縄は日本の近代のなかで構造的な差別をうけていた。そのことを示すために本を書いたと大江さんは言っています。沖縄に対して文化をつぶしていくという過程がありました。構造的な差別の象徴として沖縄戦があり、それが今も続いているという構図ではないか。
われわれは憲法9条をどうするのか、米国の戦略は中国に戦争させたいのではないか、戦争を起こしてはならないのがウクライナ戦争の教訓ではないか。今までは核の攻撃の可能性があった。われわれは考えなければならない。
沖縄を捨て石にしてきた近代以来の日本人ではない日本人になれないか、と大江さんが問かけている。「台湾有事」の問題は沖縄ではなく東京で考えなければならない。戦争を起こさせないようにしよう。
(文責編集部)