薄れゆくオモニの記憶と済州島の出来事

墨田区の菊川駅(都営新宿線)に、ミニシアター映画館「Stranger(ストレンジャー)」がある。2022年7月オープンで、このあたりには珍しいおしゃれでセンスの好いハコだ。そこで2022年の邦画セレクションの特集があり、ドキュメンタリーの「スープとイデオロギー」ヤン・ヨンヒ監督(2022年)を観てきた。

ヤン・ヨンヒ監督は家族を撮ることで「済州島四・三事件」にたどり着くことになった。この監督はこれまで一貫して自身の身内を撮っているが、これは在日コリアンンの家庭(しかも総連活動家)に生まれた宿命なのだろうか。正直いって、あまりにも大きな歴史と現実にたじろぐしかないが、監督はなんとか理解しようと対象化し、なんなのかと、ひとつひとつ探り炙り出すことにより、それが作品となっている。今回の映画はそういった「家族の物語」のひとつの完結かもしれない。

画面には在日コリアンの街として有名な大阪生野区・鶴橋駅周辺の店が映し出される。かつてはこの周辺はかつて猪飼野と呼ばれていた。自転車に乗ってオモニ(母)が、買い物をしている。まるごとの新鮮な鶏を手に入れたようだ。

自宅に戻ったオモニは調理に入る。まるごとの鶏を手際よく割いてにんにくなどを入れこむ、水をいれた大きな鍋で蓋をちょっと外し、ゆっくりと煮出す。有名な朝鮮の料理参鶏湯(サムゲタン)のようだ。

そして神妙な面持ちでスーツに身を包んだ男が現れる。オモニに娘さん(ヤン・ヨンヒ)との結婚を報告に来たのだった。亡き父は「アメリカ人や日本人の結婚相手は認めない」と語っていたゆえ、一瞬緊張が走るが、オモニはたっぷり煮込まれた参鶏湯でもてなす。

地元の民族系の写真館なのであろうか。朝鮮の民族衣装を着て婚姻の記念撮影をする様子はとても晴れ晴れとして、楽しそうだ。改めて顔を見直すと、母と娘、よく似ている。やはり親子であることが了解される、当たり前か。

そして男はオモニから参鶏湯の作り方を伝授される。しかし娘(タル)と母(オモニ)の間には親子らしい諍いもあり、このあたりの親子あるある、というか、行き違いというべきか思い当たる人も多いのではないだろうか、当方は身につまされた。子ども(ヤン・ヨンヒ)からすればいつまでもオモニだし、オモニからすればいつまでも子どもだから、この関係は変わらないのだ。やがてオモニにアルツハイマーの症状がでてくる。

そして、若い時に「済州島4.3事件」に遭遇し、島を脱出した生き残りであることも知らされる。さらに韓国からの事件についての聞き取りのミッションにも対応する。そして、このことは自らのアイデンティティを「共和国」へと結ぶつける鍵ともなってくる。

そして物語は、ようやく3人で済州島へと旅立つことになる。済州島の公園や研究所であらためて過酷で残酷な事実を受け止める。映画では若かりし母の体験と4.3事件がクレイ(粘土)アニメーションとして再現される。この映像が秀逸で、悲惨な状況なのだが冷静に見られた。

済州島の岸壁で海を眺めながらオモニは何を想っていたのか、薄れゆく記憶のなかで安息の時を感じていたのかもしれない。

「済州島4.3事件」は2003年に『済州四・三調査報告書』が確定して、国家権力による弾圧だと認められた。だが、犠牲者や遺族への回復や復権の問題は継続してくだろう。なお、オモニは2022年に逝去された。

余談だが、筆者が映画イベントの関係で韓国に行った時に、会場で大学卒業後はぶらぶらしているという若者に出会った。その後はソウルの街をいろいろ案内してくれて、最後は学生運動をしていたママさんがいるバーで夜遅くまで飲んだくれてしまったのだが、その彼が、済州島出身で実家は旅館を経営しているということだった。家に還って仕事を手伝ったら、と冴えない忠告をしたことを憶えているが、あの若者は元気でいるだろうか。

(本田一美)

映画「スープとイデオロギー」2022年6月公開
「ディア・ピョンヤン」などで自身の家族と北朝鮮の関係を描いてきた在日コリアン2世のヤン ヨンヒ監督が、韓国現代史最大のタブーとされる「済州4・3事件」を体験した母を主役に撮りあげたドキュメンタリー。朝鮮総連の熱心な活動家だったヤン監督の両親は、1970年代に「帰国事業」で3人の息子たちを北朝鮮へ送り出した。父の他界後も借金をしてまで息子たちへの仕送りを続ける母を、ヤン監督は心の中で責めてきた。年老いた母は、心の奥深くに秘めていた1948年の済州島での壮絶な体験について、初めて娘であるヤン監督に語り始める。アルツハイマー病の母から消えゆく記憶をすくいとるべく、ヤン監督は母を済州島へ連れて行くことを決意する。
2021年製作/118分/G/韓国・日本合作

■済州島四・三事件
済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起に伴い、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。

南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察及びその支援を受けた反共団体による大弾圧をおこない、少なくとも約1万4200人、武装蜂起と関係のない市民も多く巻き込まれ、2万5千人から3万人超、定義を広くとれば8万人が虐殺されたともいわれる。また、済州島の村々の70%(山の麓の村々に限れば95%とも)が焼き尽くされたという。その後も恐怖から島民の脱出が続き、一時、島の人口は数分の一に激減したともいわれる。
(ウィキペディアより)

ヤン ヨンヒさん「映画『スープとイデオロギー』からたどる済州の記憶」
https://www.youtube.com/watch?v=1l1M0RaAxMY
https://soupandideology.jp/
祖国捨て日本へ「済州島虐殺」という地獄
https://president.jp/articles/-/22839
済州 4・3 事件(ハンギョレ新聞)
https://japan.hani.co.kr/arti/43jeju/