読後雑感 『自分で考え判断する教育を求めて: 「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』
「本」というものを読まなくなってから、何年経っただろうか?
正確には「読まなく」ではなく「読めなくなってから」なのだが、たぶん20年くらいは経ったのだと思う。メールを始めたのが全ての原因で、「本」を読む時間が確保できなくなったのだ。
そんなぼくが、今回1冊の「本」を読むことができた。その「本」とは--根津公子さん著『自分で考え判断する教育を求めて/「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』である。 著者の根津さんから直接買わせてもらったのが、11月13日(月)。その日から読み始めて読了したのが、11月19日(日)。ちょうど1週間で読み終えたことになる。たぶん20年?ぶりに読んだ「本」なので、「書評」などは当然書けないが、「若干の雑感」を書くことにする。
(ア)この本にも当然多くの人物が登場するが、ぼくが一番興味を持って読んだのは、根津さんのご両親とお子さん(お兄さんと妹さん)の登場する場面である。実は登場場面はほとんど一瞬なのだが、あの根津さんがどういうご両親のもとで生まれ育ったのか、根津さんの闘いを支えたお子さんたちの思い--みたいなことを、勝手に想像しながら読んだ。
(イ)次はたくさん登場する一群の人たちである。それは在校生や卒業生たち。「公的」な裁判での「陳述書」だけでなく、メール等での雑談まで含め、根津さんを応援したいという思いが伝わってくる。実はぼく、この本のほとんどは電車の中、あるいは駅のベンチで読んだのだが、在校生・卒業生たちの言葉を読みながら泣きそうになってしまいました。
(ウ)「敵役」で登場する各学校の校長たち管理職も、けっこう面白い。「職務命令発出」まではもちろんみんな同じなのだが、それ以外の場面での校長間の「違い」がけっこう個性的で、興味深く読めた。 それに対し、都教委の役人たちもそれなりに登場したが、彼らにはほとんど「表情の違い」が感じられなかった。
(エ)「日の丸・君が代」をめぐる「闘争史」なので、「裁判」のことを最後にちょっとだけ書く。
「07年事件(鶴川二中)」の控訴審判決について、根津さんは次のように書く。
しかし、想像だにしなかったことが起きました。”当たりくじ”を引いたのです。良心をもった裁判官(須藤典明裁判長)に出会うことができ、07年(鶴川二中)停職6か月処分が15年5月に控訴審で逆転勝訴となり、16年5月に最高裁もそれを「全員一致」で決定したのです。控訴審判決は、処分を取り消しただけでなく、処分によって受けた精神的被害に対し、都に損害賠償10万円の支払いも命じました。
実はぼく、この判決を、傍聴席で直接聴いている。それも、根津さんのけっこう近くの席で。
この判決を聞いた時、根津さんは中身がよく理解できないようであった。隣の弁護士さんが根津さんを指でツンツンした時、初めて逆転勝訴と理解したらしい。
「鳩が豆鉄砲を食ったよう」という表現がピッタリの根津さんの表情を、今でも覚えている。
(オ)その他、都庁に何回か押しかけた--という話もあるが、ぼく、端っこの方で参加した程度なので、省略する。(23/11/21早朝 ひょうたん島研究会・TT)
■参考
根津公子 著
自分で考え判断する教育を求めて
「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史
2023年10月末刊
四六判並製 336頁
定価 2000円+税
ISBN978-4-87714-498-2 C0037
2003年、東京都教育委員会は「10・23通達」を発出。卒業式・入学式などでの国旗掲揚・国歌斉唱の実施指針や、通達に基づく校長の職務命令に従わない教職員の処分を可能にしました。
しかし、「日の丸・君が代」の強制を拒否する教員を処分し、上意下達を徹底したことで、東京の教育は良くなったでしょうか?
東京都の民主的な教育はどのように壊されていったのか。11回の懲戒処分を受け、〝停職6か月の次はクビ〟と脅されながらも闘い続けた中学家庭科教員の不屈の記録。
影書房HPよりhttp://www.kageshobo.com/main/books/jibundekangaehandansuru.html