天皇のインドネシア訪問と「ロームシャ」と…

インドネシア・ジャワ島の撮影所にあるレリーフ。日本兵がロームシャを踏みつけている()

インドネシア・ジャワ島の撮影所にあるレリーフ。日本兵がロームシャを踏みつけている(You Tubeより)

徳仁天皇と雅子皇后は国際親善を目的として6月17日から23日までのインドネシアを訪問した。当然ながら天皇の外国訪問は日本国憲法第7条の定めるところの『国事に関する行為』に該当せず、憲法違反なのだが、これまでの政府が公的な意味がある「公的行為」として、あたかも認められたかのような「皇室外交」をおこなっている。本当に行くのであれば「国賓」ではない、非公式な訪問をすべきだろう。

インドネシアではジョコ大統領夫妻と会見し、オランダ独立戦争のたたかった兵士らが埋葬されているカリバタ英雄墓地で供花(6月20日)したが、前夜にはそれに参加した元残留日本兵の子孫とも面会したという。

インドネシアの独立に関しては日本が支配する以前から民族運動があり、日本の敗戦直前に「独立準備委員会」を成立させた。独立戦争に参加した日本兵がいたのは事実だが、B・C級戦犯として追及されることを恐れた人、現地に家族をつくり日本に帰れなかったという人もいた。なによりも日本軍は「逃亡者は天皇に対する反逆」であると命令を出していた。<連合国側の指弾を恐れ「独立運動には一切関与せず」を根本方針とした日本軍当局者は、終始一貫彼らを「現地逃亡兵」と呼び、天皇の名において即時帰隊を呼び掛けた>(『近代日本と東南アジア』後藤乾一 岩波書店 1995年 p289)
その事実に今の天皇はなんと思うだろうか。

メディアはインドネシア訪問を「未来志向」と表現していたが (「朝日新聞デジタル」2023年6月23日)、過去に誠実に向き合わなければ未来はいびつなものにしかならない。ジョクジャカルタでスルタン(王)の晩餐会に出席したというが、ジェンダー平等を進めていると言われて、天皇は日本の皇室が男系であることを恥じなかったのだろうか。

古都の王、男系継承に一石
https://www.asahi.com/articles/DA3S15668091.html

『朝日新聞デジタル』2023年6月22より

『朝日新聞デジタル』2023年6月22より

そもそも、日本のインドネシア占領では「ロームシャ」(強制労働の意味)が徴発された。日本軍のさまざまな労働に従事し、30万人が島外へと連れ出され多くの「ロームシャ」=労働者が犠牲となった。有名な泰緬鉄道の工事にも駆り出されてやはり多くの労働者が犠牲となった。(『資源の戦争』倉沢愛子 岩波書店 2012年)そして「ロームシャ」は否定的な言葉として現地に定着した。

その「ロームシャ」の不可解な事件について(と「マルタ」)にまつわるイベントがあったので紹介しておこう。

4月2日(日)に中野 ZERO・西館で、ABC企画委員会主催の『「マルタ」と「ロームシャ」のための鎮魂詩』という映像作品の試写会が行われた。

これは倉沢愛子・松村高夫共著の本『ワクチン開発と戦争犯罪』(岩波書店 2023年)をもとにして創作した詩の朗読会(キリスト友会会堂 2022年11月12日)の記録で、壺井明による作画・スライドと音楽がphosphene-pulse(フォスフェン パルス)/ピアノ:朝倉惠というコラボレイティヴ・パフォーマンスだ。

鎮魂詩はそれぞれ松村氏、倉沢氏が交互に朗読を担当。戦時下のマルタとロームシャの実態を明かして、第1幕「夜と霧の湿原で マルタの亡霊と会う」、第2幕「インドネシアでの破傷風予防注射によるロームシャ大量死事件(モホタル事件)」と続く。第3幕「天上の「731犠牲者ムラ」の人々は?」、第4幕「地上の「感染症ムラ」の人々は?」は戦後と現代まで続く医学界の犯罪性・戦争責任を弾劾し、そしてコロナワクチン政策にみられる利権優先の感染症対策を鋭く批判する。最後に、フィナーレとして「悪魔の飽食」をうたう東京合唱団有志の合唱がおさめられている。

「ロームシャ」の不可解な事件というのは占領中のジャカルタで「ロームシャ」が予防接種により多数が亡くなった「モホタル事件」*注)なのだが、その事件は不明なことが多く、当時は南方軍防疫給水部が仕切っていて、その所長は731部隊の出身者であった。日本軍は医療関係者を拷問して、研究者のモホタルが死刑に処せられたことだ(詳細は本に譲る)。

医療科学というものはほんらい人を救うためなのだが、731部隊の日本軍はそれを戦略研究として進めてしまった。この問題は原子力が原爆に転じたように、進歩的な科学が野蛮に変わったことを問い直すことでもある。

このパフォーマンスは、(日本軍関与の疑惑がある)ワクチンで亡くなった「ロームシャ」を追悼することなのだが、結果として731部隊の人体実験により殺された「マルタ」とよばれた人々とも邂逅することになった。そして日本軍に殺された人々の葬列なのだ。犠牲者たちの魂の交差であり、弔いでもある。これをあらためてとりあげることにより、日本の戦争責任を照射し、さらに現代日本の(コロナによって明らかとなった)ワクチン政策を問うものとなっている。

この試みがユニークであり、注目すべきなのは、研究者の成果は資料とテキストにより本というかたちに結実している。そこで主題や内容は明確となっているのだが(にも関わらず)、詩や絵画や音楽という感性による訴えをしたところにある。それだけ思想や情念をよりあきらかにしたいということだ。

想像なのだが、たぶん、ふたりの著者は論文を書いて示すだけでは終われない、名状しがたい欲求があったのだろうと思う。それがこのようなかたちのミクスト・メディアによる表現となったのだろう。

天皇はロームシャ、そしてマルタのことを知っているだろうか。
(本田一美)

マルタ」「ロームシャ」の ための鎮魂詩朗読 チラシ(http://dennou.velvet.jp/より)

「マルタ」「ロームシャ」の ための鎮魂詩朗読 チラシ(http://dennou.velvet.jp/より)


*「衛生兵を殺して特効薬を…」100歳の元兵士が語った“感染症に斃れた日本軍”の実態
https://bunshun.jp/articles/-/48218