米軍の無差別攻撃・爆撃の共犯関係にあった日本

講演する林博史さん

講演する林博史さん


12月16日(土)港区産業振興センター研修室にて「NPO法人重慶大爆撃を語り継ぐ会」の「朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃地・日本」と題する学習会が開かれた。講師は林博史さん(関東学院大学経済学部教授)でコメンテーター として纐纈厚さん(山口大学名誉教授)、伊香俊哉さん(都留文科大学教授/歴史学)。

太平洋戦争末期に米軍は占領した沖縄から無差別爆撃を行い。朝鮮戦争では東京の横田基地と沖縄の嘉手納基地から北朝鮮の地域に爆撃を行った。在日の米軍基地は米軍の加害であり、日本の兵站基地としての責任ともつながっている。

■林博史さん
「朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃地・日本」

日本の戦争加害責任と米軍基地を研究しています。日本は何故戦争責任を果たさないのか? そこを問題としていました。軍事史などの研究で具体的な軍事行動の研究は評価されませんが、沖縄に出て来た米軍基地・空軍を研究しました。

1945年4月1日に米軍が沖縄に上陸します。そこから沖縄の飛行場を使います。奄美群島や九州への爆撃を行います。7月からは九州各地の都市の爆撃(B26)をします。戦闘機(P47サンダーボルト)が無差別攻撃します。戦争体験記を読むと田んぼのなかでも攻撃されたといいます。日本には「非戦闘員はいないすべて戦闘員とみなす」と国民義勇戦闘隊(1945年6月)を口実にして、テロというような攻撃で宮崎県西小林駅前で機銃掃射で殺戮して、恐怖と不安を与えました。

米軍が沖縄を占領後に沖縄に基地を設置して、無差別爆撃を行い、それが出発点となりました。次に朝鮮戦争で嘉手納基地と横田基地から爆撃に出ていきました。日本では1945年ですべて変わったという意識ですが、そうではありません。日米安保により日本が米軍の爆撃基地になってその枠組が続いています。

1950年から朝鮮戦争が起きます。2023年は停戦70年でいまだに終わっていない戦争です。日本は当初は後方支援と軍需物資の生産と供給でした。

サンフランシスコ平和条約と日米安保体制が戦後体制の出発点となりました。安保体制が日本国憲法に優越する体制です。
1952年には朝鮮人・台湾人の国籍を剥奪しました。植民地責任・戦争責任への無自覚と外国人・朝鮮人への差別政策が続いています。基地問題についても米軍の攻撃の出撃基地・兵站基地としての在日・在沖米軍基地ということを考えなければなりません。米軍の加害を加担・支援する日本という視点も欠落しています。

朝鮮戦争の推移図(レジュメより)

朝鮮戦争の推移図(レジュメより)


朝鮮戦争

1950年から53年で朝鮮半島は南から北まで戦場になりました。北朝鮮から侵攻し、米軍の仁川上陸(9月15日)で形勢逆転し、中国義勇軍が参戦(10月25日)し、51年にはマッカーサーが解任され膠着状態となり、53年7月27日に休戦協定が調印されました。

1950年に嘉手納・横田基地にB29、B26が配備され、爆撃と機銃掃射による攻撃で韓国内の避難民が被害を受けました。米空軍は陸軍から「わが陣地に近づいてくると気付いたすべての民間避難民の集団に機銃掃射するように」依頼されたといいます。爆撃機は旧植民地だった時代の朝鮮資料を使っていました。

7月26~27日にはノングリ事件が起きます。戦闘爆撃機が約100人を殺害し、その後は陸軍が銃撃します。韓国の民衆を攻撃します。米軍には北の軍隊か民間人かを区別できませんでした。通常北の軍隊は山に隠れていて夜に出ていきます。昼間は民間人しかいません。

51年には、マッカーサーは原爆の使用をトルーマンに要求して解任されました。米国は朝鮮統一を断念し停戦を追求します。阻止作戦(銃殺作戦―集中砲火作戦)として、鉄道、陸橋・橋、操車場を攻撃し、また普通の集落なども軍の施設かもしれない、と攻撃しました。すげてが軍事目標となりました。

53年には灌漑ダムを攻撃し農産物を流しました(トクサンダム爆撃 5月13日)。「北朝鮮が被った破壊の程度は、その国力い関しては、第二次大戦中に日本列島が被ったよりも大きい。こうした圧力が敵に条件をのませたのだ」(FEAF副本部長 ジンマーマン将軍 メモ1954年1月) 

日本の工場ではナパーム弾を製造し、日本人や日本の工場が関わります。北朝鮮の主要都市22のうち18都市を(50~100%)破壊しました。「我々は南北朝鮮の、ほとんどの都市を燃やし尽くした。…100万を超える朝鮮市民を殺害し、さらに数百万人の市民が悲惨な目に遭うように、彼らを故郷から追い出した」(戦略空軍司令官カーチス・ルメイ)
「わが朝鮮人民はわれわれの平和的な都市と農村を焼け野原と化した米軍の空軍基地が日本にあり、また日本が朝鮮戦争において米軍の兵器廠、後方基地であったこともよく知っています」(金日成の演説 1953年7月28日)

米軍の差別意識(アジア人+共産主義者)が攻撃を後押ししたのかもしれません。今日のイスラム教徒を人間扱いしない発想にも通じる意識です。

おわりに
冷戦終了後はフィリピン、エクアドル、パナマ、アイスランドなど政権交代を契機として米軍基地は縮小されました。海外の米軍の資産価値は日本が48.5%でダントツです。日本は1478億ドル、ドイツは498億ドル、韓国370億ドル、英国112億ドル、イタリア104億ドルです。この資産価値とは今この基地をつくるとなるといくらかかるのかという試算です。

日本が加害責任を果たさなかったことが日本に米軍基地があることにつながっていると思います。また植民地支配責任も明らかにならないでしょう。

(文責編集部)

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