731部隊の戦後を追う―医師二木秀雄の暗躍
8月26日に文京区民センターで加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授)の講演があった。主催は日中戦争80年共同キャンペーン。「731部隊・加害者の戦後」という題で、二木秀雄(ふたぎひでお)という731部隊で結核・梅毒の人体実験を企画・実行した医師の戦後の活動を調査・追跡したもの。ちょうど著書『「飽食した悪魔」の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)を出版されたばかりで、その内容をダイジェストで語った。
加藤さんの講演(要旨)
731部隊が戦犯に問われることもなく戦後の日本社会に復帰していった。医師・医学界にも復権していく。それに関わった医師が二木秀雄です。
初めは金沢で『輿論』という雑誌をつくり、その後上京して『政界ジープ』という大衆向けの時局雑誌を出す。その途中で『医学のとびら』という医学生向けの雑誌も出す。1955年にはこっそりと「精魂会」という731部隊の同窓会をつくった。なぜか多磨霊園のなかに「精魂塔」という慰霊碑を建てる。これは151万かかって、二木がほとんど私費で払っているが、これはゾルゲ事件の被告たちの慰霊碑の近くにある。
『政界ジープ』の1948年10月号は「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」という記事が載っていて、戦時中の抵抗・平和という問題をそらしている。
二木秀雄は731部隊では総務部企画課長と結核・梅毒の人体実験をしています。戦争が終わって直後に地元の金沢に戻り731部隊の仮本部を設営します。
参謀本部から731部隊の痕跡を永久に抹殺せよ、と命令がでていたが、二木たちは自分たちがやってきた実験データを捨てるのはもったいない、と物資やデータなどを金沢に隠し、それが対GHQ工作の武器となった。
そして右翼オピニオン的な雑誌『政界ジープ』を出していった。さらに日本ブラッドバンク(ミドリ十字の前進)という血液剤の会社を始め、731部隊の人間を株主にしている。それは731部隊の再結集をすることになった。二木自身は恐喝事件で懲役刑を受け、出所後は新宿ロイヤルクリニックという病院を開設する。
731部隊は軍の解散命令がでていない。731部隊員には「秘密を守る」「公職につかぬこと」「隊員相互の連絡禁止」という3つの掟があった。それゆえに一般にはあまり知られず、米軍も細菌戦などのデータを独占するために免責取引し、東京裁判でも起訴されなかった。
そしていくつかの理由から731部隊が復権してゆく。原爆直後の現地調査の協力、戦後の伝染病・感染症対策、医学教育・医学部改革、病院勤務・開業医普及、ミドリ十字など医療ビジネス、そして二木の雑誌発行と厚生省との関わり、これらが復権していった具体例だ。
厚生省は731部隊には3600名近い隊員がいたと出している。これまで調べ得たことは240名くらいの幹部たちと、森村誠一『悪魔の飽食』後に告発はじめた資料、記録にもとづくもので、全体の一割くらいだ。
まだまだわからないことがあるが、厚生省は実は元隊員の幹部だった人々に軍人恩給を支払っているので、一定数は把握している。今後もわかってくること、研究することはあると思う。
(文責・編集部)
NHKスペシャルで731部隊のドキュメンタリーが放送された直後だったので多くの熱心な参加者が会場につめかけた。NHKテレビの内容は1949年12月にソ連・ハバロフスクで開かれた軍事裁判の731部隊の隊員たちの証言テープを元にしたものだった。倫理のない科学という事実が今の時代にも通じるのではないか、ということを示唆したものだ。731部隊の調査は国がやるべきことだが、政府が頬かむりしている現状について問題視してキチンと明らかにすべきものだろう。
(本田一美)