歴史認識としての日韓「徴用工」問題

講演する山田朗氏

講演する山田朗氏

葛飾労働四団体(葛飾区労連・葛飾区労協・葛飾区職員労働組合・東京土建一般労働組合葛飾支部)のよびかけにより、2月8日(土)金町地区センターにて、明治大学教授・山田朗氏を講師に迎え『「徴用工」問題から考える日韓関係・学習会』が開かれた。

山田朗氏は最初に原爆の写真を例にとって、どういうイメージを想起するか、と問いかけて日本と米国での認識の違いを指摘して、歴史認識の違いを知ることを説いた。

さらに日本では「脱亜論」的な考えが染み付いていることがある、立場によって歴史の見かたが違うことに注意をすべきとして、朝鮮に対する植民地支配の歴史を振り返った。

日韓併合ではなく、韓国併合という植民地支配であり、初代の総督府は陸軍大臣も兼ねた寺内正毅であった。皇民化という日本人化を進めながら、実態としては差別があった。

創氏改名、日本語教育、神社信仰を進め、労働力確保と徴兵制(1944年より)が敷かれた。徴用工問題(強制連行)は日中戦争以降の兵力動員と軍需生産の拡大にともなう労働力不足から、朝鮮から労働力の調達が行われた。

第一段階は募集形式(1939年~)で、第二段階は官斡旋方式(1942年~)で官主導により募集で、第三段階では徴用方式(1944年~)となってその年の9月に国民徴用令で開始された。実態としては法的な根拠がなく帰国・就労・居住・賃金使用などの自由を奪われた強く拘束性が「強制連行・強制労働」の(総称した)本質であり、ここの部分が歴史認識の差となっている。

たとえば日本人の徴用は、国民の義務で共有しているものだが、朝鮮(韓国)人からすれば、参政権もなく、徹底して拘束されて、補償もなく、義務だけで権利がなかった。

近現代の日本の歴史は、中国・朝鮮とのつきあい方を間違えてきた、として違いを認識したうえで対話の重要さを語り、それこそが平和創造の出発点であると締めくくった。

(本田一美)