世界の核問題―グローバル被爆者という視点でみる

竹峰誠一郎さん

講演する竹峰誠一郎さん(明星大学人文学部人間社会学科教授・日本平和学会理事)


11月23(水)松戸市二十世紀が丘市民センターホールにおいて「核なき未来をどう拓いていくのか」と題して講演会が開催された。講師は竹峰誠一郎さん(明星大学人文学部人間社会学科教授・日本平和学会理事)。主催は松戸九条の会ありのみ。


「核なき未来をどう拓いていくのか」
日本国憲法が目指す平和とは何か? 憲法前文にある「ひとしく~平和のうちに生存する権利を有する」という文言。これは全世界の国民を対象としています。

世界を見るとき、アジアを見るとき辺境から見るという。国や地域の歴史をひいては違った視座からみるという。核問題を違った視座から再訪する旅をしました。

ベラルーシに行って、チェルノブイリと3.11のフクシマに衝撃を受けた人がいました。それを墨絵に描いた人がいたのです。

またカザフとナガサキの鐘がベラルーシの教会に置いてありました。核の問題は世界で共有されています。

私が思うのはアクシェービッチのいう「小さき人々」のこと(『アレクシエーヴィチとの対話: 「小さき人々」の声を求めて』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 岩波書店 2021年)です。主語を小さくして、おおきなもの大国ではなく、小さなもの、忘れてはならない存在だということです。

世界の核問題というと国家を語りたくなりますが、そうではなく、その中の「小さき人」を忘れてはならない、と思います。

「日本は唯一の被爆国」この文言をどうみるでしょうか。権赫泰(クォン・ヒョクテ)さん(韓国・聖公会大学日本学科教授)は被爆ナショナリズムとして他者の接近を許さない経験の独占ではないのか、と批判しています。

●核兵器禁止の動き

ヒロシマ・ナガサキから核兵器は発達しているのが現状です。国連の安全保障常任理事国は核兵器保有国です。
・核兵器の数(ながさきの平和)
https://nagasakipeace.jp/amount.html

しかし核兵器反対・核軍縮の運動により減ってはきました。世界で非核地帯がひろがり、運動は進んでいます。日本の政府見解では、核兵器の保有は「憲法では禁止していない」ということで日本政府は核に依存しています。

また核兵器禁止条約には日本は参加していません。核兵器禁止条約は国際条約であるということ第一条は核兵器の禁止で、持つこと、依存してもいけないということです。

核兵器禁止の認識は広がっています。いかに核を禁止するのか、国際的におおきなうねりが起きています。

被害の実態を知ってそれでなくそうとしている。未来の地球を考えるというのが出発点です。また原爆の被害者に対する援助及び環境を修復するということへの認識もひろがっています。

マリアナ諸島テニアンはリトル・ボーイとファットマンというヒロシマへの原子爆弾を積み込んだところです。今でも組み立てた場所も格納場所が残っています。

日本への空襲・空爆にはテニアン、サイパンから出発しました。島々の飛行場は捕虜が動員されたと言われています。

●核の差別・植民地主義
ニューメキシコのロスアラモスがヒロシマ・ナガサキの原爆の出発点で米国の各開発の拠点でもあります。ここは先住民の土地で、1925年に核爆発実験をおこなってきました。先住民にも被害が出ています。彼らは「ヒロシマ・ナガサキが原爆の最初の犠牲者というのは誤り」といって保障を要求しています。

核実験は核を使用しています。「ナガサキ以後も核兵器は使われている」これが長崎原爆資料館・長崎市平和会館の出口にあるメッセージです。

核開発と核実験はつながっています。マンハッタン計画も同じ人が関わっていて、ヒロシマ・ナガサキは核爆発実験でもあります。冷戦終了後、1990年以降は核兵器の問題が忘れられていました。

中国新聞社は「世界の被爆者」として取材を進めています。地球環境問題は放射能汚染が原点ではないでしょうか。

・世界のヒバクシャ | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?post_type=exposure

核被害を立体的に考える必要があります。いのちの問題もそうですが、暮らし、心の問題も考えたい。例えば旧ソ連のセミパラチンスク核実験場の被害の問題では、暮らしとこれが自然環境に不可逆的な損失となっています。マーシャル諸島でも環境汚染があります。

1946年3月にマーシャル諸島のビキニ環礁で住民の強制移住がおこなわれました。ビキニ環礁を人たちは移動を繰り返させられて彼らは核の難民となりました。それによって伝統的な文化と生活が失われていったのです。

これはニュークリアレイシズムでニュークリアコロニアリズムであり核の実験場は周辺国への差別であり、植民地主義でなのです。

世界の不均衡、不公平な状態により核被害が生まれています。差別構造があり、それによって核開発・核実験があり、核兵器があります。

グアム島でも核実験の影響を受けています。無差別性があり核の除染作業をした兵士・労働者が汚染されています。日本は核の被害国としてだけ語られるのでしょうか。日本は原発大国となっています。原発大国の日本は核汚染水の海洋放出を2023年から始めるとしています。日本政府は放射性の汚染物質は処理されているとして、太平洋の沖合に放出しようとしています。

太平洋フォーラムではそれについて抗議しています。流される周辺国に訊かないで勝手に流すなと。北マリアナでは全会一致で日本政府の方針に対して抗議しています。太平洋はゴミ捨て場ではありません、と。

日本は被害国から加害国へとなったのでしょうか。グローバル被爆者という視点でみることが重要です。意識のグローバル化によって核被害は、国境を越えて地球規模の問題となっています。核被害を抱えている人々の地域があります。その被害者や支援者を孤立させずに連携・連帯を生み出しています。国連を使ってNGOが国境を越えて連帯しています。市民外交で核保有国を包囲していって、新しい現実をつくっています。

(文責編集部)