「福田村事件」を語る集い―差別・偏見が虐殺のもとになった!

発言する平形千恵子さん

発言する平形千恵子さん

7月7日(金)に千葉県柏市・アミュゼ柏において「関東大震災から100年 福田村事件を語る集い」が開催されて、柏の住民たちを中心に120名が参加した。主催は「福田村事件を記録する旧田中村・民の会」(略称「たみのかい」)。

はじめに、「たみのかい」の松丸健二さんから今回の集会を主催者の説明となりたち、経過報告と資料説明と発言予定者の紹介があった。

松丸さんは、「2023年が関東大震災100年で、映画『福田村事件』(森達也監督)が公開予定でもあり、世間一般にも「福田村事件」が広く周知されることになるが、田中村が欠落していて福田村に偏っている(事実は福田村と田中村の人間が関与)のでそれによる地域差別などを危惧していた。さらに犠牲者・加害者への配慮が必要と認識し、ウィキペディアにあった加害者の実名を伏せることや追悼慰霊碑の撮影についての注意喚起の発信をした」と語った。

また、自身も参加している「福田村事件追悼碑保存会」(保存会)で、7月に市民集会を開催することを確認したが、保存会の関わり、発言者などでは未確定となったと説明した。そして今回の集会の発言者を以下紹介した。平形千恵子さん(千葉県の朝鮮人虐殺の事例を調査。『いわれなく殺された人びと』(青木書店 1983年)を執筆する)、辻野弥生さん(流山市で同人誌「ずいひつ流星」を主宰。『福田村事件―関東大震災 知られざる悲劇』(崙書房 2013年/五月書房 2023年)著者。映画の原作・企画協力者でもある)、島袋和幸さん(1923年9月5日に起きた「検見川事件」の調査と記録を続けている。事件では秋田県・三重県・沖縄県の出身者が殺害された)。

報告後は会場からの質疑、資料についての補足説明、千葉県野田市の動向の報告。また、近現代史を学ぶ会からの案内、世田谷区編さん問題当該から「歴史研究と著作権法」集会案内、映画「福田村事件」の製作者からのアピール、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」の案内があった。主催者からは「福田村事件を語る集い」の続編としてフォークシンガーの中川五郎さんを招いての集会の提案があった。

三名が発言した

三名が登壇・発言した

多くの参加者で会場はいっぱいとなった

多くの参加者で会場はいっぱいとなった

●発言要旨

平形千恵子さん(「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」事務局)
東武野田線は朝鮮人の労働者の手でつくられた鉄道です。朝鮮人が工事に駆り出されたのです。それで多くの人が習志野の陸軍に収容されていたのです。当時の日本軍はその施設に収容されている朝鮮人のなかにスパイを入れて調査していました。それが後から分かりました。千葉での朝鮮人虐殺の実態を調査していた時に、「日本人も殺された、その場所をさがしてください」と電話をもらいました。それで知ったのです。その後は利根川の渡しの跡で、ささやかな供養をしました。

辻野弥生さん(「ずいひつ流星」主宰)
流山市から来ました。「流山市立博物館友の会」から毎年1回「東葛流山研究」という研究誌を出しているんですね。そこから関東大震災後に起きた地域の朝鮮人虐殺事件について書いてくれと言われたことがきっかけです。

福田村事件は、香川から薬の行商に来ていた15人が千葉県で朝鮮人に間違われて9人が殺害された事件ですが、気をつけたいのは福田村だけではないということです。検挙されたのが福田村4人・田中村4人で、本当は「福田村・田中村事件」と呼ぶべきなんです。映画をつくるときにもシナリオの段階で田中村の名前が出てこないので、指摘しました。

事件の取材は困難でした、誰も話してくれない。地元で事件の供養をしている圓福寺のご住職の方に聞きに行ったら「ごかんべんください」と。そしてこの事件を掘り起こされた香川県の郷土史研究家、石井雍大先生とも知り合ったんです。調べていて、このようなものが活字として残っていないのに驚きました。それで残したいとも思いました。

どうしてとりくんだかというと、以前、在日韓国人のミュージシャンに感銘を受けて、コンサートを開いたんです。そして歌のなかでいかに日本人にいじめられたかをせつせつと語っていたんです。そしたら聴いていた人から「韓国に帰ればいい」という声が聞こえて、主催者として頭を抱えました。歴史を知らないからだと思いました。

島袋和幸さん (『沖縄の軌跡』発行人)
関東大震災時に起きた「検見川事件」は日本人の虐殺事件です。会場にも資料としておいておりますので参照してください。概要はわかると思います。関東大震災時の琉球人はどうだったのか、あちこちでひどい目にあってます。沖縄でもジャーナリストの安田浩一さんを招いて学習会をやりました。聞いてください。

安田浩一さん(ジャーナリスト)
1923年9月5日に千葉県・検見川駅ちかくの花見川橋で、沖縄・秋田・三重の出身者たちが朝鮮人と誤認・殺害された「検見川事件」を島袋さんは調べています。これは裁判記録は残っていないのですが、裁判をやったという記録はあるのです。かなり無惨な殺され方をして、10名が検挙されましたが、結局は恩赦などで罪を償うことなく済んでいます。

関東大震災では多くの朝鮮人、中国人、社会主義者などが殺された。そして日本人、問題は何故誤認されたのか、そこには言葉の問題があるのでは、沖縄からの人々は震災時に拘束された例が多い。それはウチナーグチで言葉が通じないということがあります。「検見川事件」の被害者たちも通じなかった可能性があります。新聞は報道しましたが、それは大きなニュースとならなかった。問題は被害者がいまだに身元が確定していないことです。現在も調査中であるということです。島袋さんはそれらを掘り起こして調べて、現場で慰霊をされています。

誤認された、という言葉はあまり好きではありません。それは背後に朝鮮人差別があるからです。「検見川事件」にも沖縄差別がもとになったろう。それは差別をもとにした「ヘイトクライム」です。差別・偏見がもとになった事件であるということです。

(文責編集部)

ジャーナリストの安田浩一さんが説明する

ジャーナリストの安田浩一さん(右)が説明する

福田村事件追悼慰霊碑保存会
https://1923fukudamura-hozonkai.blogspot.com/

追悼慰霊碑への行き方(集会資料より

追悼慰霊碑への行き方(集会資料より)