映画「金子文子と朴烈」関東大震災直後に囚われたふたり

映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』公式サイト

映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』公式サイト

すこし前に動画配信で映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」(韓国 2017年・2019年日本公開 イ・ジュンイク監督)を観た。物語の舞台となっているのが1923年の東京で、関東大震災の被災事に拘束され獄中でのたたかいがメインとなっている。週刊「金曜日」などで特集(1220号)していたので公開は知っていたが、当時は映画の紹介の機会を逸していた。ちょうど2023年で100年なので、9月にむけて関連した集会やトピックが続いたが、それにあやかって映画を軸に書いてみたい。

この映画は「朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキスト」が原題であり、日本公開にあたり「金子文子と朴烈(パクヨル)」と変えて公開された。映画の内容をみると日本に合わせたというよりも、むしろ金子文子と朴烈を並列に出すのが当然だし自然だと感得できる。

1920年代の東京。人力車を引く朴烈、彼は街の吹き溜まりのなかで「宿なし犬」のように生活していたのだった。金子文子は朝鮮出身のニヒリストと知り合い、また月刊誌「青年朝鮮」に『犬ころ』という朴烈の詩を見つけて惹かれた。そして麹町にある岩崎おでん店通称「社会主義おでん」に勤め始める。

映画で文子が朗読する『犬ころ』を転載する。

犬ころ

私は犬ころである
空をみてほえる
月をみてほえる
しがない私は犬ころである
くらいの高い両班の股から
熱いものがこぼれ落ちて
私の体を濡らせば
私は彼の足に
勢いよく熱い小便を垂れる

女たちのテロル

『女たちのテロル』プレイディみかこ(岩波書店 2019)

(「金子文子と朴烈」(イ・ジュンイク監督)『女たちのテロル』ブレイディみかこ 岩波書店 2019年)

なお、金子文子が見つけたのは校正刷りという説があり、実際のところ原文や現物は現在見つかっていないという。ただ、韓国では上記の文章が流布されているという。<前掲書251頁 注(4)>

この詩に打たれた文子が一方的に求婚をしたのだった。1923年に文子と朴烈は不逞社を設立。つつましい生活をしながらも不逞社には朝鮮人アナキストたちが集っていた。そこに関東大震災が襲ったのだった。

9月3日に軍隊により二人は検束され、世田谷警察署に留置された。そして10月20日に不逞社社員は起訴された。<この日は朝鮮人虐殺事件の新聞記事の解禁が行われた日である。この日、官憲は同時にでっちあげた「不逞鮮人」の犯罪事件を発表した。朝鮮人虐殺を正当化するでっちあげの材料が求められた時期である。この日に不逞社同人が起訴された理由はここに求められるべきだろう>(『金子文子』山田昭次 影書房 1992年 159頁)


金子文子:自己・天皇制国家・朝鮮人

『金子文子:自己・天皇制国家・朝鮮人』(山田昭次 影書房 1996)


映画では内務大臣水野錬太郎が朝鮮人弾圧の言い出したものとしている。かつて「三一独立運動」時には朝鮮総督府の内務部長をして、朝鮮人の独立運動などをおそれていた。<水野が戒厳令施行に踏み切ったのもこの不安と無関係ではあるまい>(前掲書 144頁)

文子と朴烈が検挙されてからのち隣合わせの牢獄で声で交換しているシーンがある。このあたりは想像だろうが、裁判が進むにつれてなぜか二人と仲間もその行為そのものを楽しむような感じになってくる。

皇太子裕仁暗殺の計画・共謀した大逆罪として起訴された裁判では、ひとつの見せ場となっている。「いずれにせよ、二人が法定を自分たちの思想を宣言するパフォーマンスの舞台と考えていたのは明らかで、朴は裁判を民族闘争の場にしようと決めたのだ」「文子がチマチョゴリを着てチェーホフ短編集を携えて入廷したときに眼鏡を大げさに押し上げてみせるシーンや、朝鮮礼服を身にまとい、大きな冠を被って出て来た朴を見てウケている同士たち」(『女たちのテロル』ブレイディみかこ)

これらをブレイディみかこは一世一代のコスプレであり、ユーモアは生きるか死ぬかのデスパレートな状況から力強く立ち上がる、と評している。

そのことを感じさせるものとは、写真撮影を遺したことにある。この大審院公判の前の予審廷で二人きりで過ごす時間があった。この特別待遇は朴烈が文子と一緒に写った写真を故郷の母親に送りたいとのことで、これは判事がこの大事件を担当し国家を守った記念というか、証拠にしたいとの2つの思惑がからんでいた。

このときに撮影された写真が「怪写真」として有名となった写真だ。この写真は通常ありがちな記念撮影的な並列の写真ではなく、文子が本を読んでいる姿勢で朴烈が座っている上にもたれかかり、朴烈は左手を文子の胸に当て、いっぽうの手を自分の顎のあたりを支えて、こちらを見据えている。見方によってはふてぶてしくもある。実はこの写真は<改悛の情のない獄中の大逆犯人を優遇したことを示す「怪写真」とされ、政友党や政友本党によって若槻内閣倒閣運動に利用された>(山田昭次 前掲書 184頁)。

この事件そのものは朴烈・文子とは直接は関係がないのだが、裁判とその過程をパフォーマンスと考えるならば、二人の姿をかしこまった記念写真ではなく、作為的に撮らせたと考えるべきだろう。それは日常的な愛の戯れの姿だが、性的なものを連想させるものとして、穿ちすぎかもしれないが、それが天皇制国家への恭順を迫ってくる司法官=国家権力に対してノーを突きつける証となっているのではないか。朴烈・文子がじゃれあって二人の生きた証を撮影しているシーンはこの映画のハイライトではないかと、個人的には思っているのである。
 

(本田一美)

問題となった「怪写真」。

問題となった「怪写真」。文春オンラインより
https://bunshun.jp/articles/photo/13072?pn=10

映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』公式サイト
http://www.fumiko-yeol.com/