第五福竜丸ビキニ事件は日本への原子力導入の引き金となった

日本パグウォッシュ会議の公開連続講座の第4回「忘却に抗うメディアの役割ービキニ水爆被災70周年に寄せてー」が3月23日(土) オンラインで開催された。講師はジャーナリストの金平茂紀さん。主催は以下の3団体、日本パグウォッシュ会議、世界宗教者平和会議日本委員会(WCRP)、明治学院大学国際平和研究所(PRIME)。

1954年3月1日、「米水爆実験によって第五福竜丸が被災したことにより、放射性降下物の危険性が世界中に伝わり、ラッセル・アインシュタイン宣言、パグウォッシュ会議の発足、そして原水爆禁止運動へとメディア、研究者、そして市民によって大きな流れが作られました」とあるが、一方その実態や被害などが隠されてきた、それについてジャーナリストとしてどう抗するのか、との意識で講座が開かれた。金平さんはかつて制作した放送番組を紹介しつつ解説した。司会・コメントは高橋博子さん(奈良大学教授・日本パグウォッシュ会議運営委員)。

2014年の3月1日放送のTBSの報道特集

2014年の3月1日放送のTBSの報道特集(youtubeより 以下同)


■金平茂紀さん (TVキャスター・記者)

今日本で映画が公開されている。「オッペンハイマー」と「ゴジラ-1.0」で、ともに日米で公開され、アカデミー賞を受賞いる。

オッペンハイマーは原爆の父と言われた方です。核実験の成功の後に「我は死なり、世界の破壊者なり」と述べたといいます。水爆開発に反対して「機密安全保持違反」として公職追放されます。晩年に名誉回復された。この映画は日本では配給するところがなく公開が遅れた。

私のテーマのひとつに核と人類というものがあって、「ビキニ事件」というのは人生の節目になるものだと思う。 60年目の2014年の3月1日にテレビ番組をつくったんですが、それは、米国立国立公文書館の秘密文書を解析したもので、今日はそのなかのエッセンスを紹介する。

第五福竜丸が被害を受けたビキニ事件は、当初米国は被害を過小評価し、日本国内の反応を「ヒステリー」としていた。

日本の原水禁運動と水産業への打撃でそうはいかなくなる。安全保障の利益にかなうため、速やかな解決策を求める、という文書がある。作戦調整委員会(OCB:1953年、アイゼンハワー大統領令よって国家安全保障会議(NSC)の下に設置された機関)により、財源の問題で日米の共同の軍事費(「相互防衛援助計画」MDAP)から拠出することになり、軍事支出としてで支払われることが確定した。

好意からの見舞金として支払うということ、議会の承認を得るとなると難しい。軍事費だと議会承認は必要ない。補償が軍事費として出されることに、倫理的に抵抗がある。第五福竜丸にいた大石又七さんは怒っていた。

久保山愛吉さんの死で、第五福竜丸の補償金は200万ドルで合意した。同時に補償交渉と原子力の「平和利用」と並行して行われた。第五福竜丸ビキニ事件の補償交渉の決着と、日米原子力協定調印、原子力平和博覧会設営が一括して報告されている。

極秘文書では、水爆実験に対する日本の好ましからざる態度を軽減するため、福竜丸被害補償のすみやかな決定、7月7日の吉田首相の訪米の際に遺憾の意を表明すること、が設定されている。

原子力平和利用博覧会は1955年~57年にかけて日本各地で開催され、対外宣伝機関アメリカ合州国情報局と読売新聞社など各地の新聞社が共催し、のべ約260万人が来場した。

最初は55年11月に日比谷公園でおこなわれて、36万人が参加。共催は読売新聞社。56年5月には広島平和記念資料館で11万人が参加。国をあげてマスコミも協力して原子力の平和利用を宣伝した。

戦後の日米関係は不平等と支配と従属がずっと続いている。沖縄での少女暴行事件で見舞金を支払ったが、その出どころは日本であった。それを示しているのが国立公文書館だ。例えば沖縄返還の密約文書(西山太吉)、731部隊の文書(ヒル・リピート)や、大正天皇の直筆文書もある。発見がある。

最近はジャーナリストや学者や活動家は誰のために働いているのか、ということを考えることが多い。情報は市民のために共有されるべきである。記録すること、報道することが大事だ。次の世代に伝承することが大切。

(文責編集部)

2014年の3月1日放送のTBSの報道特集

2014年の3月1日放送のTBSの報道特集