東京大空襲から78年。見えない「平和祈念館」を視る 

東京大空襲のニュース映像(you tubeより)

東京大空襲のニュース映像(you tubeより)

3月はなにかと心が落ち着かない月となった。3月といえば桜も咲こうかという年度末であり、新年度の準備で忙しい人がいるのは当然なのだが、記憶としては東日本大震災の3.11があり、郷里が福島なので当時の何とも言えない不安感がしこりのように残っている気がする。また3.1朝鮮独立の運動があり、3月10日の東京大空襲があり、弟が2年前の3月21日に亡くなった。

そんなかすかな不安と焦燥感が続く3月の日々で、「東京大空襲から78年 体験者300人以上の証言映像が公開されず」というニュースが放送された。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/372351?display=1

ニュースによれば<東京都が撮影した戦争体験者の証言は330人分。都は1990年代以降、大空襲の被害を語り継ぐ「平和祈念館」を作り、そこで公開する予定でした。しかし、議会で合意を得られず、計画は凍結。300人以上の貴重な証言映像が、公開されないまま20年以上が過ぎた>(tbsnewsDIG 2023年3月10日)という。

この「平和祈念館」については、「1992年から有識者や都議会各会派による議論が始まり、98、99年には都が都議会に建設予算案を提出した。しかし、議会は日本の加害の歴史などの展示内容や歴史認識を巡って紛糾。建設予算案は可決されたが、都財政が悪化していた時期でもあり、99年の「都議会の合意を得た上で実施する」という付帯決議などにより執行されず、計画凍結が22年続いている」(tokyoWeb 2021.6.21)と報道があり、実態としては計画凍結により都庭園美術館(港区)の倉庫に保管されたままとなっていて、都も付帯決議を尊重する方針だという(資料は目黒にある都の施設に保管されているとの情報もあり、未確認)。

また、証言についてもテレビ朝日の放送で2011年3月9日 (水)に「封印された330人の“遺言”」という特集が放送されている。この番組自体は「330人の証言ビデオは、全く活用されないまま倉庫に眠ることになった。東京大空襲から明日10日で66年。当時20歳だった人も88歳になる。残り少なくなった証言者たちの思いを伝える。」とあるようにtbsのニュースと同様だと推測される。10年以上前にも同様の報道があり、それを今回も反復していることに驚かされる。まったく是正されていなかったのだ。
https://archive.md/KKu5e

3月10日の東京大空襲は一夜にして10万人が亡くなり、100万人が負傷、住居を失ったとも言われている。しかし「広島や長崎とは異なり、東京には公的資金を投じた大空襲の犠牲者の追悼施設というものが存在しない。また連合軍による独ドレスデンへの45年2月の空爆が民間人を標的にした作戦だったとして広く議論される一方、同じく75年目を迎える日本に対する空襲の影響については、依然としてほとんど知られていないのが実情だ」 。
(東京大空襲から75年、知られざる「史上最悪の空爆」 生存者が語る CNN2020.03.09)
https://www.cnn.co.jp/world/35150514.html

東京都平和祈念館をつくるにあたって集められた約5000点の関係資料や330人の証言・記録などは封印されている。なお、NHKのニュースでも、東京大空襲“未公開”の証言 330人分のうち113人分 都が公開へという報道がある、これも注目して見守っていきたい。(NHKweb2023年3月8日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230308/k10014001281000.html

どうしてこうなっているのか、端的には歴史と事実を消去をしたいということだろう。それがGHQの方針だった。

<戦後のGHQによる占領政策が現在に至るまで続いているんだと口々に語られていた。米軍の対日占領のうえで重要拠点が集中する首都・東京では、反米感情を抑えつけるため、戦争の記憶の抹殺が徹底的におこなわれてきたし、日本政府がこれほど頑なに無視を続けるのには、そのようなアメリカへの忖度が背後にあるからだ。> (長周新聞 2022年6月2日)
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/23665
具体的に東京大空襲の犠牲者慰霊搭を建立することについてGHQは戦災者慰霊塔の建立を禁止する指令を出している。

「東京都平和祈念館建設が急務」
http://www.kusyuhigaitosi.net/

「東京都平和祈念館建設が急務」
http://www.kusyuhigaitosi.net/

慰霊搭を建立するという具体案について、「戦災者救済会」佐々木松夫会長が、GHQ の考えを問い合わせてきた。問われた磯村氏がこの案について GHQ に問うたところ、GHQ は、“日本人に戦争を忘れさせたい。戦災者慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。慰霊塔の建立は許可しない”という回答(口頭)。よってこれを米進駐総司令部の至上命令として、磯村英一渉外部長は、昭和 22(1947)年 2 月 24 日付で、東京都と全自治体の長に対し、前記文書で戦災者慰霊塔の建立を禁止する通達を出さざるを得ず、 とある。
「東京都平和祈念館建設が急務」より
http://www.kusyuhigaitosi.net/

占領直後ならいざ知らず、いまだに思考は占領状態なのだ。残念ながら米国の属国状態である日本とその政府はその方針に抗って、慰霊の想いや、歴史と事実の痕跡を残すなどということは露ほどにも思わないのだろう。

このような不可視の状態をあきらかにする試みとして以下の事例を紹介したい。

アーティストの藤井光は2016年に東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」という展覧会で《爆撃の記録》と題した作品を展示した。この作品はからっぽの台座やガラスケースに小さな文字情報が記載されていただけだった。

この展示は2021年5月にも丸木美術館の特別企画として別なかたちではあるが展示された。この展示を見た毛利嘉孝氏の論考では、<藤井は、「キセイノセイキ」展の参加に際して東京都現代美術館を通じて資料の貸し出しを要請する。けれども、「個人の要請では貸せない」という理由で断られる──実際にこれまでにも区市町村に対する貸し出し実績が存在するにもかかわらず。展示内容が歴史認識をめぐるもので、現状を批判するものとして警戒されたのかもしれない>と考察し、そしてあらたに空襲体験者に取材した時に撮影した映像も流された、結果としては展示物の不在を浮かび上がらせたと書いている。
https://marukigallery.jp/4261/

私自身は両方とも、展示は見ていないのだが少ない資料からも、2つの展示がかなり違ったものであり、丸木美術館での展示はバージョンアップされて質が高まったと推測できる。モノのない状態から大空襲の被害や被災者を想像するのは容易ではないが、隠されているからこそ見えないものを視るのであり、いくつかの折り重なる策略や思想も見えてくるだろう。

(本田一美)

原爆の図 丸木美術館でおこなわれた藤井光による《爆撃の記録》のようす。’(丸木美術館HP https://marukigallery.jp/4261/)より


■参考

キセキノセイイ──「MOTアニュアル2016キセイノセイキ」展レビュー
https://artscape.jp/focus/10122351_1635.html

2021年6月8日 美術手帖WEB 毛利嘉孝評:「原爆の図」と重ね合わされた、東京大空襲の記憶。
https://bijutsutecho.com/magazine/review/24153

2021年6月12日 美術手帖WEB 藤井光論考:観ることのできない歴史的資料をめぐって──戦争体験者証言映像と東京都平和記念館(仮)計画から考える
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/24132

東京都平和祈念館(仮称)建設はなぜ進まないのか
http://www.kusyuhigaitosi.net/kinenkan-saikentou.html

葬り去られた戦争の記憶、展示ケースはなぜ空っぽに?
歴史のタブー、現代社会の問題にアートで照射する藤井光 | 表現の不自由時代 06
https://www.artlogue.org/node/7306

■特別企画 藤井光 爆撃の記録