群馬の森朝鮮人追悼碑撤去は「壊憲」するための地ならし
<歴史修正主義とたたかうために 『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会>
4月6日にとしま産業振興プラザ多目的ホールにて<歴史修正主義とたたかうために 『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会>が開催され、80名が参加した。藤井正希さんの講演と呼びかけ人によるリレートークがあった。主催は実行委員会。
群馬大学准教授 藤井正希
群馬の森の朝鮮人追悼碑に対して「碑文は反日的」などと県に撤去を求める右翼団体の抗議活動が起きていた。
群馬県は「守る会」(旧建てる会)の追悼式典(2012年)において「強制連行」の発言が「政治的」であるとして、設置許可の条件違反を理由に知事が更新を不許可とし、追悼碑を行政代執行で撤去した。そして、最高裁もこれを追認した。
県の本音は、「これを口実に許可条件違反ということにして、追悼碑なんか撤去」してしまおう、というもの。
山本一太知事についての問題だが、ルール違反は事実だが、その対応は不当である。今回のような些細なルール違反でいきなり強制撤去を認めることは、「当不当」の問題としては許されないと考えざるをえない。
最高裁判決で確定されたのは「更新不許可処分は適法である」(2014年7月22日)といっているだけで、裁判官が決めることではない。追悼碑を許可するも、しないもどちらも可なのである。裁量の問題である。
また、「追悼碑が紛争の原因になっており、公園施設としてふさわしくない」というのも抗議者を喜ばさせる論理で、論点ずらしであり、右翼を説得すればいいだけの話。
「追悼碑問題は憲法改正問題」
群馬の森の追悼碑の撤去運動をしていた団体は東京の横網町公園でも追悼碑の撤去を求めている。群馬の森から始まって、東京都の横網町公園、そして全国にある慰安婦や強制連行や朝鮮人虐殺に対する追悼碑や慰霊碑がつぎつぎと撤去され、その最後の総仕上げが憲法改正。追悼碑撤去は憲法改正をするための地ならし。
国会議員の「任期延長改憲」の不当性について
いま、国会議員の任期延長が衆議院憲法審査会で合意寸前となっている。大規模災害や戦争等の緊急事態時においても国会の権能を維持するためとして、国会議員の任期の延長を可能とする憲法改正を求める、というものだ。
選挙権は最大限保障しなければならない。国民主権と結びついたもので、国民の審判をなくすことは権力者の居座り、お手盛りを加速させる危険なものだ。
いまでも、災害時などでも対応できることはある。たとえば繰延投票、 郵便投票制度、 避難先の市町村役場で投票できる制度、 選挙延期制度、 在宅投票制度、 移動投票所の設置などが考えられる。
参議院の緊急集会(憲法54条2項)の積極的活用があり、例外もありなのだ。
任期延長は必要ないのだ。憲法に書いてなくても対応できる。むしろ書いてしまうと乱用されるおそれがある。マスコミは書いていないが政治家が改憲で達成感を得たいだけだ。
とにかく「お試し改憲」をしたい。改憲のハードルを下げたいのだ。憲法は国を縛るものだ。権力者の自由にさせてはいけない、米国の独立宣言や人権宣言は変わっていない。
現在は国民投票の最低投票率の定めがない。そっと投票しても成立してしまう。任期延長の改憲に反対しよう。
●リレートーク
中沢けい■ルール違反は10年前だが、その後10年はルール違反はなく通っていた。強制大執行で撤去費用は3千万円、警備費は1500万円だという。気にいらないものの前で騒げば撤去できる、私有地にある追悼碑を攻撃される。ウトロでヘイトクライムが起きている。日本中で起きる。行政権の乱用を許してはならない。
中村一成■つとめを果さないといけないのだと思う。発言を止めちゃいけない。ヘイトや歴史認識が起きて社会が壊れた、ガザで起きていることではないか。語っていなかなければならない。詩を書かなければならない。
白川昌生■場所と歴史が碑となっている。それを消したい人がある。今は更地になっているが、そこの場所にデジタルで仮想を追悼碑を制作している。
岡本有佳■日本各地で表現の不自由展を開催している。記念碑を設置する意味は2つの意味があるのでは、被害者の回復と市民の権利としての過去との対話がある。
安田浩一■歴史否定の現場を廻っている。各地の記念碑などの看板などが書き換えられている。行政が差別や排除が率先して行っていることを許すことはできない。歴史否定と生活保護排除の問題も同じではないか。
(文責編集部)