父は南京虐殺の「幸存者」…南京大虐殺81カ年2018年東京証言集会

集会で証言を聞く

集会で証言を聞く

12月12日(水)水道橋・全水道会館で「南京大虐殺81カ年2018年東京証言集会」が開かれた。主催はノーモア南京の会などが参加する実行委員会。

集会は主催者を代表して田中宏さんがあいさつ。証言と講演が続いた。証言は常小梅(チャン・シャオメイ)さんで、南京大虐殺の生存者である常志強さんの末娘。そして講演に張連紅(チャン・リエンホン)さんで、南京師範大学教授。南京大虐殺の研究者で著書に『南京大虐殺史』(南京大学出版社)がある。

証言する常小梅さん

証言する常小梅さん

証言:常小梅さん

(司会より:常志強さんはご存命ですが、なにぶん高齢なため集会に呼ぶのは無理なので娘さんに証言をお願いします)

私の父(以下彼)は10人家族で、南京の夫子廟で小さな雑貨店を営んでいました。1937年8月(9歳のころ)に日本の戦闘機が襲来し住民に無差別爆撃を加えました。その後南京城の住民たちは避難していきましたが、彼の家には纏足の曾祖母、祖母がいたので離れることができませんでした。

冬になり日本軍は攻撃してきました。彼の家族たちは難民区へ逃げようとして一時橋のそばの路地に身を寄せました。そのうち南京城が陥落し、あたりは火の海になりました。

祖母や母が日本兵に銃剣で刺されて倒れました。母は一番下の弟を抱いていましたが、落としてしまい、日本兵はその弟を放り投げました。

彼は気絶して起きた後、血だらけの死体の山のなかで、息も絶えだえの母が末弟に乳を飲ませようとして胸を出していました。末弟は乳ではなく血を吸っていました。また彼は撃たれて倒れている父を見つけました。

彼は生き残った姉といっしょに親切なおばさんに匿われましたが、日本兵に見つかり姉とおばさんは強姦されました。その後、難民区の金陵大学へ逃れました。彼は難民区から連れ出されて虐殺された男の人々が多くいたことを記憶しています。1943年から44年にかけて日本軍の細菌による疫病が広がりました。姉も突然高熱を出して亡くなりました。

彼は今、南京の夫子廟と南京大虐殺遭難同胞紀念館によく出掛けます。過去の情景があるので自分の家のように思っているようです。南京大虐殺遭難同胞紀念館の彫像広場には象徴的な彫像を見ることができます。「最後の一滴の乳」で受難母子の像ですが、モデルが彼と母です。この像はここを訪れる参観者に感動を与えています。
(要約)

証言した常小梅さんの父である常志強さん

証言した常小梅さんの父である常志強さん

映像を映し出して立ったまま報告

映像を映し出して立ったまま報告する張連紅さん

講演:張連紅さん

日本軍が南京を占領した初期には西側の記者が電報で日本軍の暴行を打電した。それは『シカゴ・デイリー・ニュース』で「300名の中国人が長江に面する前で処刑されている」と報道された。同時に米国の『ザ・サン』『デイリー・ポスト』はそれぞれ「地獄のような南京陥落、記者が離れるときに見た残酷な大虐殺」と「私は300人が虐殺されるのを見た」という題名の記事を計算した。特に『ニューヨーク・タイムズ』が集中的に報道した。調べた限りでは米国で50件以上の報道がある。イギリス、イタリア、ドイツ、ソ連でも報道があった。イギリスでも報道は多かった。

日本軍の南京占領初期、20名以上の欧米人が南京に留まっていて、日本軍の暴行を目撃した。南京安全区国際委員会のマネジャー役のフィッチは南京の真相を伝えた最初の外国人である。

宣教師のジョン・マギーは16ミリ撮影機で南京における日本軍の暴行・虐殺を撮影した。フィッチは船で上海に持ち込み、このフィルムを自分が着ていたコートに隠した。そのせいか幸い日本軍の検閲を免れて、そこで現像された。そして香港から広州に行って日本軍の南京での暴行に関する講演を行なった。

このマギーフィルムは米国に影響を与えた。例えば雑誌『ライフ』(1938年5月16日)は一連の南京虐殺のショットを写真として掲載した。フランク・キャプラ監督の『我々は誰のために戦うか:中国の戦争』という映画の中で映像を引用した。

1938年1月に米国の駐中国大使館三等書記官アリソンなど3人はようやく南京に戻ることを許された。彼は米国大使館に報告電報を「ほしいままに中国の市民を虐殺し、女性を強姦し、ある事柄は米国の敷地内で起きた」と打っている。

米国の外交官のジョンソンは母国へ報告書を送っていて、ルーズベルト大統領も目を通していて、部下たちにもっと報告するように命じた。米国はたくさんの東京と領事館との間の電報を暴露した。そのなかには「広田電報」がある。当時の日本政府は南京での惨状を知っていた。

結語として、1.戦争中は国際的な報道もあり、日本政府上層部は南京事件を知っていた。
2.報道などで日本軍をどう見るか、国際的に影響を与えた。3.とくに米国では中国への同情と反日感情が高まった。
(要約)

(編集部)

雑誌『ライフ』(1938年)に掲載された南京事件の写真

雑誌『ライフ』(1938年)に掲載された南京事件の写真

■参考
映画『我々は誰のために戦うか:中国の戦争』(1944年)



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