不都合なことは見せない日本「表現の不自由展・その後」

「あいちトリエンナーレ2019」の公式サイト内、企画展「表現の不自由展・その後」の解説ページより

「あいちトリエンナーレ2019」の公式サイト内、企画展「表現の不自由展・その後」の解説ページより

愛知県で8月から開催中の美術展「あいちトリエンナーレ2019」の企画のひとつ「表現の不自由展・その後」の公開が開始3日で中止された。この件はマスメディアでも大きく報道されたが、理由として電話などでの抗議や脅迫、テロ予告が相次いだことが明らかにされた。

これについては菅義偉官房長官の「国家による補助金交付を精査する」という発言や、維新の会や吉村洋文大阪府知事の検閲を容認するような政治家の発言も飛び出した。河村たかし名古屋市長の展示中止を求める発言などについて、主催者である大村秀章知事が5日午前、記者会見を開き、名古屋市の河村市長からの展示中止求める発言や文書、愛知維新の会からの文書について「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚…」と厳しく批判した。

いっぽう、主催者である木村知事・津田大介監督による中止決定については「表現の不自由展・その後」実行委員会や展示出品作家への説明や相談なしにおこなわれたことが批判されている。

当然ながら脅迫や恫喝、テロ予告などの行為をおこなった者が悪いわけであって、中止に至った一義的責任は彼らにあるが、主催者側が本当に安全の手立てを尽くしたのか? が問われるし、事実として電話の抗議や「テロに屈した」という先例をつくった形となる。

これらに対して、抗議と連帯を示すため出展作家たちが展示の中止や内容変更などで態度を表明したり、日本ペンクラブが「意思疎通する機会確保を」と声明文を発表した(3日)。新聞や出版、放送などの産業別労組で構成される日本マスコミ文化情報労組会議も「多様な表現・意見に寛容で、展示を続けられる社会を取り戻そう」と声明を出した(4日)。美術評論家連盟が声明文を発表し、菅義偉官房長官の「国家による補助金交付を精査する」という発言を批判している(7日)。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/20387
http://www.union-net.or.jp/mic/seimei/2019_08_04-MICseimei.pdf
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20314
またCIMAM(国際美術館会議)が「表現の自由が完全に損なわれている」と、声明文を発表した。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20437

他方、市民のよびかけによる「展示中止反対ご署名の呼びかけ」が複数あり、
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のサイトには<あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」をめぐるうごき>が纏められている。
https://aitoritekkyohantai.blogspot.com/2019/08/blog-post_72.html
https://wam-peace.org/ianfu-topics/7739

「表現の不自由展・その後」実行委員会も展示の中止撤回と再開を求めて活動している。既に県による中止の検証委員会があり、トリエンナーレが終了したわけでもないのに、内容に踏み込んだ意見が表明されるなど、本末転倒の様相だ。またセキュリティの専門家の参加がないなど恣意的選択との指摘もなされている。
http://fujiyu.net/fujiyu/
https://www.asahi.com/articles/ASM8J4PTJM8JOIPE00L.html?iref=pc_ss_date

愛知県では、地元で市民有志が抗議のスタンディングの行動を始めたり、8月24日には展示再開を求める集会とデモがおこなわれ、220名の労働者・学生・市民らが集まった、という。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/455875

8月24日のデモの様子(ツイッターより)

8月24日のデモの様子(ツイッターより)

さらに緊急の市民集会がいくつか開かれ、8月22日には緊急シンポジウム「『表現の不自由展・その後』中止事件を考える」が文京区民センターで開催され会場いっぱいとなる参加者があった。主催はビジュアルジャーナリスト協会などで構成する実行委員会。

集会では出品作家のなかから安世鴻(アン・セホン)、大浦信行、中垣克久、朝倉優子他、各氏が登壇し、出展した作品を映写して説明しながら作品の想いや今回の事態の感想を語った。

その後のパネルディスカッションでは篠田博之(『創』編集長)、綿井健陽(映像ジャーナリスト)、金平茂紀(TVジャーナリスト)、鈴木邦男(元一水会)、森達也(作家・監督)、香山リカ(精神科医)の各氏が発言。

シンポジウムの模様(YouTubeより)

シンポジウムの模様(動画YouTubeより)


香山リカさんは「表現の不自由というよりも、韓国へのヘイト、差別ではないか」と意識のあり方を問い、篠田さんは「マス・メディアは右や左はあっても暴力で表現を潰すことには反対の筈だが、それができていない、それが問題」「報道により多少動きはあるかと思ったが、やはり市民の力でしか展示再開はできないだろう」とシンポジウムを締めくくった。

■事実をもって反駁してゆこう!

8月27日には定例記者会見で黒岩・神奈川知事があいちトリエンナーレ企画展の中止の件で「表現の自由逸脱」「開催は認めない」と、検閲丸出しの発言をしている(東京新聞 2019年8月28日)。当然ながら憲法21条に違反する発言なのだが、記者も突っ込まないしそれを批判する報道は少ない。これが政治家を図に乗らせる要因でもある。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019082802000149.html

河村市長にせよ、松井大阪市長でもいいのだが、なにゆえ展示が駄目なのか、どの作品がどう問題なのか、その理由や典拠を明確にして(正しいかは別にして)、説得的な意見を表明するのを見たことがない。あるのは「事実とは違う」「日本人の心を踏みにじる」などと自分の思い込みを表明して、自分の意見が正しいと主張するのみだ。

また、「自分と反対の意見や耳が痛いことは全部ヘイトスピーチとなってしまう」と、粗雑で見当違いの意見を平然と語る憲法学者がいるのは残念だ。いわゆるヘイトスピーチは圧倒的に少数者への差別であり、在日、反原発運動、広島や沖縄の平和運動、生活保護などが対象になっているのは明白である(そもそも多数者は多数であることの安心感から少数を差別する、イジメと同じ構造だ)。差別者をも認めよ、というに等しい意見はまさに公共性や人権尊重の価値を蔑ろにするようなものだ。いわゆる「どっちもどっち」的意見に誘導・収斂させるような相対主義の悪しき類型でしかない。

・『表現の不自由展』中止が浮き彫りにしたこと。右派と左派、お互いが潰しあってる?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/interviewwith-prof-sogabe_jp_5d4a029fe4b01e44e4721017?utm_hp_ref=jp-media

日本についての批判(認めない人間は「反日」とよぶ)は許されないが、「日本スゴイ」「日本頑張れ」は称賛される。昨今のマスコミ(ネット)事情だが、一部の報道には「日本の“成熟度”」問われた、や不寛容な社会のあり方を憂いて、公共空間の危機の警鐘を訴える声もある。それも間違いではないが、不都合なことには目をつぶり見たいものしか見ようとしない事情が反映した事態とも言えるのではないか。

戦争犯罪・責任を認めない、植民地支配・従軍慰安婦を認めない、これらは戦後日本が水面下で温存してきたものではないのか、歴史の事実を認めず無かったことして居直っている。安倍政権下でそれがいっそう激しくなったが、それを晒されたことによるハレーションなのだろうか。ならばいっそう市民の手で展示再開を求めることが必要となってくる。事実をもって反駁していこう。日本の労働者・市民が為政者の言いなりにならずに、どれだけアジアの民衆の声を受け止めて、連帯していけるのかが問われるだろう。アジアからの視点を忘却した日本に未来はない。(本田一美)

■参考
・「表現の不自由展・その後」実行委員会
http://fujiyu.net/fujiyu/
・表現の不自由展・その後―出展作家の紹介・作品が見れる(一部欠あり)
https://censorship.social/artists/