2.11を祝わない!民衆文化を見直そう

2月11日の「建国記念の日」に「2・11反『紀元節集会』&デモ」が行われた。文京区役所地下にある「アカデミー文京・リクリエーションホール」で13時半から集会が開かれ、96名が参加した。

主催はアジア連帯講座、反安保実行委、P・P研究所など、これは『紀元節』と『天皇誕生日奉祝』に反対する2・11―23連続行動」として取り組まれた。

集会は筑波大学名誉教授の千本秀樹さん(現代史研究)の講演があり、その後は朝鮮独立運動103年集会(2月27日文京区民センター)への呼びかけ、武蔵野五輪弾圧被逮捕者の訴え、オリンピック災害おことわり連絡会、大軍拡と基地強化にNO!アクション2021などから集会告知、案内や問題提起を受けた。

集会後に参加者たちはデモ行進に移り、文京区役所脇を起点として白山通りや靖国通りを練り歩き、御茶ノ水駅前を通り小川町方面へと続き「天皇制はいらない」とアピールした。     

講演*千本秀樹(ちもとひでき)さん

「天皇制文化の象徴としての紀元節に抗して─民衆の文化とは何か」

「国」と「社会」は根本的に違うものだ。国はたかだか5000年の歴史しかないが、社会は人類の存在以来続いてきたし、これからも続く。明治維新により日本列島の豊かさが奪われた。「天皇中心」という意識は明治政府によって作られたものだ。さらに日本文化は日本列島共通のものだと思わされている。封建的政治権力は封建的であるがゆえに共通性を拡大を押し止めようとした。江戸時代の身分制は固有の文化をうみ出した。明治維新までの日本文化は地域によって多様性を持ち、身分などによって重層性を持っていたのである。

明治維新による中央集権国家の成立は文化の多様性を否定し、均質化を要求した。家制度にしても武家社会では長男相続が主で、相手は親が決めて子供がいない場合でも養子をとって家名を存続させた。農漁民では、若者たちの自治が存在していた、結婚相手は若者宿で青年たち自身が決めて、親は口出しできなかった。それで決まった相手に夜這いするというのがある。また末子相続(ばっしそうぞく)というものが西日本から東南アジアにかけて存在していて、最後の子が相続する。大坂では商家などで娘に相続させて優秀な婿を迎える娘家督という習慣があった。

家族の多様性が失われて天皇制国家に回収された。皇室では1900年に大正天皇が結婚式を上げたが明治天皇は上げていない。明治以前、天皇の結婚は佛式で行われていた。それ以前は人前結婚が多かったという。神前結婚式が一番新しいやり方だった。キリスト教はずっと神前結婚式で一番古いやり方なのだが。

戦争をするにあたって共通言語・日本語をつくりだす必要があった。明治維新以前には日本には共通する話しことばは存在しなかった。対話は筆談で行われた。明治維新直後の東京には全国からさまざまな身分の人々が集まり混乱した。井上ひさしの『國語元年』という本にそのことが面白く描かれている。

なぜ「万葉集」が評価されるのか「男らしくて素晴らしく」、それに反して「古今集」は「女々しい」などという評価は、正岡子規も言っていることだが、軍の国民意識養成や「天皇制と女性差別」というあり方にも関わっている。

ヨーロッパは個人が社会の単位であり、アジアでは人と人の結びつきが社会の単位だと言われる。その結びつきが分断され、差別・抑圧的になったのが近代だった。そこから「全国水平社宣言」を見れば、「優しくされると堕落する」と戒めている。「人をいたわる」のではなく、「人と人が結びつく」ことを基本とする関係を作り出すのが民衆の文化ということだろう。お互いに尊敬する社会そこに民衆文化の日本があった。(要旨・文責:編集部)

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