足元から平和をつくるには―憲法24条とジェンダー視点から見直す

「2022平和のための埼玉の戦争展」チラシ

「2022平和のための埼玉の戦争展」チラシ

8月3日から7日まで埼玉会館の小ホールとオンラインで「2022平和のための埼玉の戦争展」が開催された。主催は日本機関紙協会埼玉県本部などで構成する実行委員会。ここでは8月5日にオンラインで開かれたピーストークを紹介する。

「ジェンダーの視点で考える戦争と平和」と題して清末 愛砂さん(室蘭工業大学教授)がオンラインで講演した。

清末さんは、最初になぜ憲法学者となったのか、母の影響だったとその経緯を話した。

母は18年くらい闘病していて今年の3月1日に78年の寿命を終えた。私の小学校の頃に山口県で祝日に日の丸の旗を挙げていたかどうかを教師たチェックしていた。母はそのような保守・反動的な雰囲気を嫌っていた。なぜか? 父(清末さんの祖父)を戦争で失っていた、それによる家制度の犠牲ともなった。それもあって国会中継を熱心に見ていて反動的な議員や福祉を否定するような議員に注意を払っていて、それを選挙・投票に反映させていた。まさに(国民の)憲法を擁護するための普段の努力をしていた。そのような母の後ろ姿を見て憲法学者になった、と語る。以下清末さんのお話。

■清末 愛砂さん(室蘭工業大学教授)

憲法ときくと96条(戦争の放棄)や憲法25条(生存権)を思い浮かべる人はそれなりに多い。しかし憲法24条(家庭生活における個人の尊厳と両性の平等)を思い浮かべる人は多くない、なぜか、人権のなかに「ジェンダー」意識がインプットされていない、戦前の大日本帝国時代からの家父長制のメンタリティから抜け出せていない、と指摘したい。

実は戦前の大日本帝国の構造は天皇が元首で統治権の総覧者で、唯一の主権者であり、国家の土台の単位は家であった。そこでは男性支配・優位の秩序があった。

憲法24条は「両性の合意のみに基づいて」「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚」とある。婚姻における当事者主義と様々な形態の家族のあり方を認めた。また家族内の性役割分担に基づく差別・暴力を否定する条文でもある。

この起草者はベアテ・シロタ・ゴードンさんだが、彼女は日本社会をよく知っていた。ユダヤの家系ゆえに社会的弱者への視点があり、女性が幸せにならないと日本は良くならない、との確信があったと思う。

植民地主義や軍事主義、家庭の家父長制的な支配、それらは男性優位の支配秩序から成り立っているのだが、憲法24条はそれを否定しているのではないか。

元安倍首相のもと「女性活躍推進法」が謳われたが、気をつけないといけないところもある。エリート女性のみを優遇したり、女性を活用して内実は家父長制的な支配をしようとしている。それが顕著なのが自衛隊の女性活躍の動向だ。しかし実態は軍隊なので男性優位のマッチョ的な家父長制的支配に組みこんでいくものであり、もっとも反ジェンダー的なとりくみではないだろうか。

さらに平和主義からも以下の項目が考えられる。

・男性支配イデオロギーに基づく軍隊秩序の否定
・軍事主義の維持&拡大が求める家族秩序は否定
・大日本帝国の軍事主義を支えて家制度を否定
・平和のうちに生存する権利=恐怖と欠乏からの解放

日本国憲法は平和主義といわれているが、9条だけではなく、24条(25条も含め)に大きな意味がある。差別や暴力に依拠しない人間を育て、軍国主義や強権的な政府に従わない人を育てる、そこまで考えないと非暴力の平和な社会がつくれない。

平時(日常生活)と戦時の関係だが、延長線上にある。平時のなかから軍事につながる芽を取り除く必要がある。平時からから男性優位の家父長制的社会規範や戦時を支える精神構造が温存・醸成されている戦争・戦時によりナショナリズムや軍事優先となってしまう。

ナショナリズムが強化されると相手を打ち負かす発想となる。それは平時においては相手を支配・暴力を承認する土壌から生まれる。

ジェンダーに基く差別や暴力はよりいっそう露骨に生じやすくなる。戦時性暴力や避難生活におけるジェンダー化された貧困などが生まれる。

●アフガニスタンおける問題―ジェンダーの視点から

アフガニスタンでは戦争が歴史的に継続してきた。軍事力に依拠した結果として社会や生活が壊れてしまった。

世界最強国による貧国アフガニスタンへの戦争(2001年)への憤りがあった。アフガニスタンのフェミニストはアフガン民衆こそが政権を倒す主体であるとして米国への批判をした。

20年たっても「女性の人権」を必ずしも根底から向上、解放されてこなかった。社会規範を仕組みを変えることにならなかった。タリバンの批判だけに納まらない。複合的で重層的・構造的な差別と暴力がからまっている。軍事力はそのようなものを強化する役割しか果たさない。

重層化された構造という視点から問題をみる。貧困・失業、戦争・内戦との関係で、究極の選択を強いられているのだろう。たとえば戦争や内戦によって親を亡くす可能性もある。それならば子どもが食べることが可能な人、生きていくことが容易い人と結婚させている(早婚・児童婚)側面もある。

アフガンの人道的危機について、まず戦争の芽を摘むことが必要だ。いくら児童売買や児童婚がひどいといっても解決にはつながらない。今アフガンでは国際社会の制裁により、経済が破綻している。そこで抑圧されている女性たちはさらなる困難に陥っている。タリバン政権の元では女性は働けない。シングルマザーたちが食べれないということはその子どもたちが食べれないという状況だ。

ともかくジェンダー視点で平和と戦争を見直すこと、それが日常で見落としてきたことを見出すことになるのだ。

足元のジェンダーと戦争との関係を考えるとともに、国境を越えた紛争や戦場でのジェンダー化された経験との共通性を探すことが重要だろう。

(文責編集部)