市民が調査した「払い下げられた朝鮮人」―習志野収容所で何があったか

高津観音寺にある韓国の鐘楼(谷岡隆のブログより)
https://bootsman.exblog.jp/32297898/

5月23日(火)千葉県船橋市の船橋市勤労市民センター地下ホールにおいて、「関東大震災100年追悼事業―映画と講演」が18時半より開催された。主催は関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式千葉県実行委員会。

映画は「払い下げられた朝鮮人」(呉充功監督 カラー53分 1986年)というタイトルで、関東大震災事に習志野収容所へ朝鮮人が収容され、それが密かに連れ出されて殺害された事実を調査したもので、地域の市民団体である「麦の会」が製作した。なお、監督の呉充功さんは横浜の映画学校時代にやはり関東大震災を扱った記録映画「隠された爪跡」(1983年)を制作している。

千葉県八千代市高津区に「ナギノ原」といわれていた場所がある。周辺に陸軍習志野騎兵連隊高津収容所廠舎があった。通称は習志野収容所である。関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言蜚語が流され窮迫した状況となり、一時的にそこでは朝鮮人約3200人が収容されていた。

しかし、軍は一部の朝鮮人を殺害し、また周囲の村人たちに朝鮮人を引き渡して虐殺させていた。その場所が「ナギノ原」なのである。

映画は、北総鉄道(東武野田線)などの建設工事に携わっていた朝鮮人労働者が多数滞在していたことなど、千葉における朝鮮人のなりわいや実態を示し、それらが強制的に収容され、多くの朝鮮人たちが習志野にいたことを説明する。さらに軍が反抗的な朝鮮人を村民に密かに払い下げて殺害させたことが複数の証言であきらかにされてゆく。

地域の高津観音寺では住職が二代に渡り供養をおこなっている。高津観音寺には虐殺者慰霊碑と韓国式の鐘楼が建てられている。これはいきさつを知った韓国の劇作家である金義卿(キム・ウィギョン)さんが劇団員たちとともに鎮魂のための鐘楼をつくる募金活動をして、韓国から大工も呼び寄せて建てたものだ。

鐘楼が建立されていくプロセスと虐殺の実態があきらかにされてゆく過程が同時並行で進み。最後は寺での追悼式の場面で終わる。

その後の講演では平形千恵子さんが、映画の舞台裏というべき状況の補足説明をおこなった。船橋の馬込霊園に1963年に朝鮮人慰霊碑が移されたが、裏面には虐殺の記録が書いてある。ちゃんと書いてあるのは少ないので、機会があれば読んで理解してほしいという。

市民運動として地域での関東大震災時の朝鮮人虐殺の追悼・調査を続けてきて、虐殺現場である場所「ナギノ原」での遺骨の掘り起こした。1998年に骨が出てきた。よく掘り出せた。よく見つかったと思ったという。

記録があったから、だが地域では、秘密でおこないマスコミに公開せずとの制約やそれまでの困難さがあったと語る。

今年は関東大震災100年で、おおきな集会も予定されているだろうが、虐殺の実態や記録、事実の掘り起こしなど、地域での活動も重要だと感じた。

(本田一美)

関東大震災韓國人犠牲者慰霊詩塔(谷岡隆のブログより)
https://bootsman.exblog.jp/32297898/

■参考

「昔、ここで朝鮮人が殺された」イオブログ
https://www.io-web.net/ioblog/2023/03/13/90029/

関東大震災時の朝鮮人虐殺と 地域における追悼・調査の活動と現状
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10200219

『いわれなく殺された人びと―関東大震災と朝鮮人』(千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会編 青木書店 1983年)