戦後になっても戦争は終わっていない!今も続く戦争の被害

集会案内より

3月21日(日)に板橋区の仲宿地域センターにおいて、デモ前の学習会として講師に栗原俊雄さんを迎えて「戦後80年 考えるべき平和」という集会が開かれた。主催は戦争反対!憲法改悪を許さないオール板橋。

栗原俊雄 さん(毎日新聞記者)

板橋区の官舎で生まれた。板橋は故郷でここに縁がある。かつて新聞は戦争に加担していた。二度と戦争の宣伝をしてはならない。いまは毎日新聞で働いているがいい会社。

なぜ戦争をしてはならないのか、戦争は終わっても戦争被害は続く。その認識が広がれば戦争抑止の力になるだろう。

かつて大日本帝国はアジア・太平洋から欧米勢力を排除して、長期持久体制を確立し、独、伊と連携して英国を屈服させる、それで米国も戦意を喪失させる構想を持っていた。「大本営政府連絡会議」で決定されたが、新聞はこの構想を暴露・批判しなければならなかった。

また日本は近代戦・総力戦を知らなかった。飛躍的に軍事の科学・技術は進んでいた。戦争になったらどうなるかということを考えていなかった。これは今日でも通じる。今の政府は戦争被害をどう認識しているのか、そのシュミレーションが必要だ。戦争被害を想定して戦争を止めよう。

毎年夏になると戦争についての報道が盛んになる。わたしは1年中それをやっているが、8月ジャーナリズムとも言われる。しかし、今はそれが少なくなっている。なぜなら体験者が減っているからだ。

今はニュースが爆発的にふえているから「8月ジャーナリズム」は貴重だ。これには文法がある。戦争体験者に語らせて戦争を二度と起こしてはならないと話をする。これだと昔ばなしという、自分とは関係ないこととなる。たとえば東京大空襲で遺体はどうしたか。10万人が亡くなって、あちこちで埋めたのだが、8万埋めて2万人が不明となっている。どこへ行ったのか? 昔話ではなく今日的なものだ。

未完の戦争はいっぱいある。硫黄島からの生還者・遺族に取材した。2006年にはじめて島へ行った。それまでは自衛隊は常駐しているが、一般人はもちろんメディアも上陸不可能だった。クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』が公開されていた。現地ロケをしたのだが、なぜ外国の映画人が上陸できて日本人が上陸できないのか問うて、交渉してやっと上がれた。

硫黄島の遺骨収容団に参加した。12月でも暑くて、地下壕のなかにノミやツルハシの跡が残っていた。2007年までは一年に50体くらい収容していたが、民主党政権になってから800体以上収容するようになった。民主党政権で戦後補償の歴史は変わった。

遺骨は土と同化している。周囲には不発弾やサソリ、ムカデなどがいる過酷な環境なので、収容には長袖、長ズボン、ヘルメット装着が必須となる。

火山灰の土地なので、緑のあるところには骨がある。そこを掘り出すと100%骨が出てくる。遺族の「腹がへっていたと思う。骨になってからも植物に喰われるのか」という言葉が心に刺さった。また、遺族たちが遺骨収容で「どの骨か分からないから、全部がお父さんの骨だと思う」という発言があった。

それでも遺骨収集に金がかけなさすぎだ。厚労省は1万2千の骨を所有している。遺族に声をかけてDNA鑑定にかければ、身元がわかることがあるのだ。

硫黄島は1968年に日本に返還されて、自衛隊が管理している。軍事基地がある。島民が帰還すると基地問題が発生するので、政府は帰還を認めないが、不発弾・産業の問題もある。政府は島民が帰れないのに法的根拠はないと認めた。わたしは旧島民が帰れる環境をつくるための活動をしている。国を動かしたい、そして事実を提示することが戦争の抑止力になると思う。

(文責編集部)

オール板橋によるデモの案内より

遺骨――戦没者三一〇万人の戦後史 (栗原 俊雄 2015年 岩波新書)

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