佐高信講演―反戦川柳人鶴彬の突き抜けたセンスを探る

講演する佐高信さん

講演する佐高信さん

7月16日(日)文京シビックセンター・シルバーホールにて 「反戦川柳人鶴彬と現在」が開催され、映画『鶴彬 こころの軌跡』(神山征二郎監督 2009年)の上映と佐高信さんの講演が「『反戦川柳人鶴彬の獄死』を出版して」と題しておこなわれ約120名が参加した。主催は東京鶴彬顕彰会。当日は立見がでる盛況で、残念ながら入口で見て帰った人もいた。

映画「鶴彬-こころの軌跡-」より

映画「鶴彬-こころの軌跡-」より

https://tsuruakira.jp/movie/


●佐高信さん
(評論家)

鶴彬(つるあきら)が警察から取り調べを受けたときに「川柳屋のくせに」という言葉をかけられた、そのエピソードがいいと思う。川柳は文芸のなかでも下に見られる、というか差別を受けていて、それを引き受けているところが重要だ。差別語はいけないが差別語を使わないからといって、差別がなくなるわけではない。「裏日本」というのも差別語となっているが、そこから中野重治、堀田善衛、鶴彬が、反骨の人が出てきた。

三菱重工爆破事件の大道寺将司が獄中で俳句をつくるきっかけとなったのは鶴彬らしい。また、事件を描いた『狼煙を見よ』の松下竜一の本『豆腐屋の四季』が拘置所で人気となる。豆腐屋の日常を描いた筆致がいいんです。

また石川一雄さんを紹介されて読んだが、彼がゴキブリを飼っているという、それはたくましいから。彼は最初は文字を書けなかった。文字や言葉は武器ともなる。

鶴彬を書いた『反戦川柳人 鶴彬の獄死 』(集英社新書 2023年)の帯に彼の「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」を入れたが、幾人の研究者から指摘を受けた。初出は「万歳とあげて行った手を大陸<に>おいて来た」であり、現行が間違っていると。確かに「に」のほうが強い。

人は怒りとか叫びとかが、先にありそれが川柳だろう。川柳は批判的で社会を映し出すところがあり、鶴彬の師でもある井上剣花坊は「王道」という意識にとらわれている。

俳句でも「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)や 「あやまちはくりかえします秋の暮」(三橋敏雄)などするどいものがある。

鶴彬は兵隊として軍隊にとられた時に、質問事件を起こしている。反軍反戦へとまっすぐだった。

「日本国防軍を創設せよ」((小学館 2000年)を書いた元自衛隊の栗栖弘臣は自衛隊は国民を守らない、といっている。国の体制をまもるので国民の生命、財産を守るのは警察の役割だ。

なかにし礼は満州からの引き揚げ者だが、地域に留まれと言われていて、それに怒っていた。国を信用しないようになった。疑うということは自分で責任をとるということ。他人に自分を預けないということ。天皇制がなくならないのもそこに関わっている。

松下竜一が火力発電所の裁判で「あはは、負けた。負けた」という横断幕を掲げて一部に顰蹙をかったが。相手側からすればそれが不気味なのだ。負けてガックリとしたところを見せるよりも何倍も効果的だ。それが川柳や鶴彬に通じるところがある。

沖縄の戦後のなかで民衆がガックリしているときに小那覇舞天(おなはぶーてん)が三線を弾きながらユーモラスな踊りでみんな湧かせた。笑ってる場合ではない状況ながら、笑いを生きるエネルギーにしたのだ。鶴彬の反戦についても突き抜けた明るさがあり、それが心を打つのだと思う。

(文責編集部)

会場は多くの参加者で溢れた

会場は多くの参加者で溢れた