朝鮮の植民地支配責任とレイシズム―3.1運動から現在まで

約160名が参加した

約160名が参加した


2月25日(日)文京区民センターにおいて3.1朝鮮独立運動105周年集会が開催された。集会は「戦争反対!日米韓軍事同盟化を許さない! 植民地主義を清算し平和な東アジアを!」と題され、約160名が参加した。主催は「3・1朝鮮独立運動」日本ネットワークで、協賛は戦争させない! 9条壊すな!総がかり行動実行委員会。

はじめに「植民地支配に抗って―3・1朝鮮独立運動」(15分 2020年)というビデオ上映が写された。3・1運動を紹介するとともに、植民地支配後の積み残した問題を指摘する内容であった。主催者あいさつの後、同志社大学教授の板垣竜太さん、韓国からのゲストとして、民族問題研究所対外協力室長、日韓歴史正義平和行動共同執行委員長のキム・ヨンファンさんの報告があった。その後は特別アピールとして、サンケン弾圧と闘う尾澤孝司さんのアピールがあり、5月13日の控訴審初公判と、高裁に対して無罪判決を求める署名の協力を訴えた。ここでは板垣竜太さんの報告を紹介する。

パワーポイントを写して報告する

パワーポイントを写して報告する板垣竜太さん

板垣竜太さん(同志社大学教授)
「いまこそ植民地支配責任を問う」

歴史修正主義が育ってきてそれとのたたかい。そして在日の問題、朝鮮学校などへのレイシズム、などつながっているがそれらにとりくんでいる。

植民地支配と戦争責任が問われてきましたが、戦争責任に比べると弱いのではないか。植民地支配責任を考えたい。たとえば戦争中ではない、平時や敗戦後の問題がある。植民地支配責任と戦争責任は重なるところもあるが、それでは掴まえられない。植民地支配の責任は大きい。

植民地下での朝鮮民衆被害ですが、3.1運動では多くが被害を受けている。データベース化されていて、かなり多くの人が参加者している。示威行動参加は100万から200万と言われている。15~6名に1人の割合で参加している。

3.1運動以降は社会運動が活発化し、抵抗が噴出してきた。また地域の運動も拡がっていった。いっぽう日本人の意識は在郷軍人や消防団により武装自警団などが組織され、武断政治から文化政治への批判も出てきた。「不逞鮮人」観も生まれ関東大震災の朝鮮人虐殺の背景になった。

敗戦後は東京裁判で植民地住民への被害は裁けなかった。戦犯裁判があったが朝鮮人たちはBC級裁判で当事者として裁かれた。

サンフランシスコ条約(1951.9)では冷戦の力学が働き、無賠償で、そもそも朝鮮、中国は招待されなかった。その後の日韓会談(1951-53、58-65)では日本は帝国意識から脱却できなかった。北朝鮮を危険視して、植民地(持ち出し)論を唱えた。1965年の日韓会談は日本、韓国で反対運動が活発となった。朝鮮民主主義人民共和国も批判していた。

社会的にも帝国意識(植民地主義)から脱していない。偏見調査(1967)でも朝鮮人はかなり低く置かれている。『マンガ 嫌韓流』(2005)が植民地支配肯定論とレイシズムを主張している。最近ではウトロ放火事件(2021)があるが、これは歴史否定論がヘイトクライムを起こした例だ。

現代の世界的潮流について、賠償に関する汎アフリカ会議(1993)では奴隷や植民地支配の被害は過去の問題ではないと宣言が出された。

ハイチではフランスに対して賠償金の返還を求めた(2003-04)。ケニヤの独立運動への弾圧も訴訟があり賠償判決が出た(2006-12)。インドネシアではオランダ軍への賠償命令が出た(2008-11)。

ダーバン会議(2001.9)ではレイシズムの歴史的な解明・謝罪・補償が問題となる。植民地支配責任が問われている。

責任を放棄したことが問題を継続させている。過去を学ぶことが未来のために重要である。過去を正当化している人がレイシズムを起こしている。

植民地支配責任の追求とレイシズムの克服が大事。ネットやサブカルチャーを活用しよう。司法や行政・立法のはたらきかけ、も重要だ。これまで民間人は裁かれるが、国・行政・政治家は無傷のままである。

そして日朝国交正常化が大事な課題である。

(文責編集部)