和田春樹さん講演「東北アジアで戦争を絶対おこしてはならない」
2024年9月15日(日)文京区民センターにおいて「日朝ピョンヤン宣言22周年集会~ストックホルム合意から10年~国交正常化交渉はなぜ進まないのか」が開かれた。主催は「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を! 市民連帯行動」。
和田春樹さん(日朝交渉検証会議・東大名誉教授)の「日朝国交正常化はなぜ必要なのか どうしたら可能になるか」と有田芳生さん(ジャーナリスト・前参議院議員)「日朝交渉はなぜ22年も成果がなかったのか 日本政府の責任と課題」の講演。そして「緊張激化する朝鮮半島情勢 韓国市民から平和への緊急アピール」(ビデオ)の上映があった。
ここでは和田春樹さんの講演を紹介する。
和田春樹さん(日朝交渉検証会議・東大名誉教授)
1.隣の国と正常な国交を持っていない日本は異常で、情けない国である。拉致事件については、適宜交渉をして解決をしてゆくべきだった。なぜ謝罪をさせて、生存者の帰還、死者の賠償をやりきれないのか。憎しみを続けるだけでいいのか。
日本の支配から独立した朝鮮が米ソに分割占領され、2つの国家ができてしまい、朝鮮戦争となり、日本も准参戦した。停戦後70年もたつのに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と清算を終えていない国のあり方ははずかしい。
2.朝鮮は敵国となり日朝間は開戦一歩手前の敵対関係にある。
日本は北朝鮮と国交を持っていないだけでなく、貿易も断絶し船舶航空機の往来も絶ち、公人の往来も絶っている。敵視政策を続けて、在日朝鮮人に対してはそのひとびとの学校に対して公然と差別して補助金を支給しない。外交戦争をしかけている。
3.日朝国交交渉はどのように試みて失敗したのか。日朝国交正常化をもとめる動きは1971年にはじまった。自民党久野忠治議員が中心になって日朝友好促進議員連盟が生まれた。2年後には総評社会党などの革新系が日朝国交正常化国民会議を組織した。これは日朝友好連帯国民会議と改称した。
1984年には「朝鮮問題と日本の責任」という日本の植民地支配を反省謝罪する国会決議が提案された。80年末には韓国民主化が進展し、韓国新政府は7.7宣言で、朝米、朝日国交を歓迎すると表明。ついに90年9月24日に金丸・田辺自社代表団が訪朝した。
金丸は謝罪の演説をし、3党共同声明が9月28日に調印された。日朝交渉は90年11月におこなわれ、8回までおこなわれ、92年11月5日に決裂した。それは被拉致女性李恩恵は田口八重子だと、調査の要求をしたこと。核開発を警戒する米国からIAEAの査察受け入れの要求を日本政府が代弁したことであった。
97年には北朝鮮の拉致事件が明るみにでた。2000年には再開日朝交渉がおこなわれた。7月に日朝国交促進国民協会が活動を開始した。2002年8月小泉首相は訪朝し、拉致問題の説明と謝罪をうけ、日朝平壌宣言に調印した。10月15日に5人の一時帰国が実現したが、北朝鮮へもどることは不可能となり日朝交渉は決裂した。
「救う会」は拉致被害者の生存を主張し、北朝鮮政府の崩壊を狙う。小泉首相は2004年に再訪朝したが、横田みぐみさんの遺骨が本人と確認されずに日朝交渉は断絶した。
2005年に中米露朝韓日の6者協議が合意され、北朝鮮は核開発を中止したが、マカオ銀行の北朝鮮口座が米国財務省により閉鎖されたため、怒って北朝鮮は白紙に戻した。日本の安倍晋三は首相となり、北朝鮮への攻撃施策に向かう。
安倍の三原則は(1)拉致問題は日本の最重要課題である。(2)拉致問題の解決なくして国交正常化なし。(3)被害者全員が生存しているので全員の生還を求める。として対決・対抗の方策がとられた。
4.日朝交渉は2014年にストックホルム合意がなされたが、第三次調査報告を安倍政権が受取拒否して終了した。その後の菅政権、岸田政権も安倍を踏襲した。
北朝鮮は危機からの活路を核戦力と日本との国交正常化の実現に求めた。これは相反する政策であった。2022年からのウクライナ戦争によりロシアとの結びつきを強めた。しかし韓国に対抗する力はない。なおも日本との国交をもとめているだろう。
2000年にできた日朝国交促進国民協会は活動を終えた。2019年になり、「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!市民連帯行動実行委員会」が発足した。日朝国交正常化への方針を確立するよう求めたい。
北の核が脅威だというが、だからこそ日朝国交正常化が必要なのである。ソ連・中国は核兵器を所有していたが国交正常化できた。
5.日本は朝鮮戦争で米軍の側で協力、准参戦国となり、公文により米軍=国連軍機が攻撃を許した。可能性は今日も続いている。北朝鮮が反撃すれば日本の米軍基地は目標である。また原発におちれば核災害となる。われわれが核攻撃からまもろうとすれば東北アジアで戦争を絶対おこしてはならない。
安倍氏は既になく、安倍派も終わった。無条件の国交樹立、大使交換、そして懸念材料を漸次交渉していけばいい。厄介な問題はあとまわしにして進めていくしかない。
(文責編集部)
(社説)小泉訪朝20年 平壌宣言の精神今こそ
https://www.asahi.com/articles/DA3S15941581.html