上里清美さん講演「宮古島に静かな暮らしを! 自衛隊基地いらない」
10月5日(土)文京シビックセンターにおいて沖縄戦首都圏の会「第17回総会・記念講演会」が開催され、上里清美さんが講演し80名が参加した。主催は沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会(沖縄戦首都圏の会)。
上里さんは宮古島の野原岳レーダー基地のある野原集落で生まれ育ち、現在も宮古島在住で、平和で静かな島を子どもたちの未来に繋ぎたいと活動中。アメリカの意向に沿うかたちで自衛隊の南西諸島シフトが進む中、宮古島の歴史と現状を報告した。
(ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会共同代表)
宮古島で何が起きているのか
増強される自衛隊―島を“護る”とは島が戦場となること
私は「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」「慰安婦問題を考える宮古の会」「宮古9条の会」で活動しております。生まれたのが宮古島の真ん中にある野原岳の野原集落で生まれ育ちました。レーダー基地があります。
宮古島は沖縄県から290キロ離れた島で、面積は158.9平方km、周囲約100キロ、人口5万5千人の島です。琉球石灰岩でできた平たい島で、最も高い場所は標高115m。山も川の無く、飲料水・生活用水のすべてを地下水に頼る島です。南西側約250キロには、八重山諸島、さらには台湾があります。2005年10月の「平成の大合併」で5市町村が合併して宮古島市ができました。
79年前の戦争では人口5万余の島に3万人の日本軍が配備され、特攻機を飛ばすために飛行場を3つ造りました。制海権制空権を奪われた島には物資が入らなくなり、飢餓の島となり住民も日本軍も餓死・マラリヤで亡くなっています。
それは現在でもおなじことです。島が戦場になれば島に物資は入らなくなり、軍民一体となった島で住民は、食料何と攻撃の対象となることでしょう。海の壁で囲まれた島の住民に逃げ場はありません。
産業はサトウキビ、葉たばこ、マンゴー、ゴーヤー、かぼちゃなど、サトウキビは台風に強くて倒れてもちゃんと収穫できる作物です。宮古島はサンゴ礁でできた島で、やせた土地です。水を通しやすいので地下水ができる。地下ダムがつくられて、地下水の近くに集落をつくっていました。本土復帰してから美味しい米を食べられるようになりました。
今、島は島民にとって住みにくい島となっています。アパートの空き室はほとんど無く家賃は2倍に高騰。賃金は低く観光客値段の物価高騰に苦しんでいます。島外から増え続ける来島者を迎えるためのインフラ整備、地下水不足、建築のための自然環境破壊、地下水汚染など島の環境破壊が心配です。陸上自衛隊の基地建設により、貴重な動植物がいなくなった。あんなにいた宮古ヒキガエルもいなくなりました。
宮古島の歴史ですと江戸時代に薩摩藩が琉球を武力で侵攻します(1609年)。そして琉球が人頭税を施行します(1637年)。薩摩侵攻後は薩摩に税を納めるために離島に税を課します。男は粟などの穀物、女は宮古上布で納めるんですが、女は集められて見張られて、薄暗いところで機織りをするのがいいと言われて、そこで機織りをして、それで眼が見えなくなったおばあちゃんたちがいました。このことはぜひ伝えておきたいし、薩摩にも謝ってほしいと思います。
1871年10月に宮古島島民遭難事件があり、宮古の島民が台湾に漂着し、台湾の蕃族(パイワン族)に殺害される事件が起こります。これに関係して、明治政府が台湾出兵をし(1874年5月)、中国(清国)に対して、日本が初めて海外出兵をして、この事件を契機に琉球が日本に帰属することを承認させました。
琉球王国は納得していないまま、琉球は廃止されて沖縄県を設置されました(1879年4月)。1893年には沖縄からの中村十作らが人頭税廃止を訴えました。1903年に人頭税が廃止されて地租改正がおこなわれます。
戦時中は七原・屋原・クイズの土地を強制接収して、海軍飛行場の建設が始まります(1943年9月)。小学生や女性も動員しての飛行場建設でした。中国で編成した3万人の日本軍、朝鮮人軍夫、「慰安婦」も連れて来られた。慰安所は17箇所ありました。
1944年には「10.10空襲」があり、民家の大半が焼失しました。連日の艦砲射撃が続きました。制空権・制海権が亡くなった島で武器・弾薬・食料・医薬品が絶たれ、飢えとマラリアの為に日本軍・民間人が次々と倒れました。平和の碑に3400人の名前が刻まれています。敗戦後に米軍が宮古島に上陸しました(1945年9月15日)。
沖縄戦で牛島中将が亡くなりますが、45年の9月7日に納見中将という方がきて敗戦の調印をしたんです。そして宮古に帰って、中国でたくさん悪いことをしたから自分は生き残れないと自決をします。
1972年に日本に復帰するんですが、父は米軍ではたらいていたので本土復帰したら元の裸の生活になると言って、学校の先生たちが復帰運動をやっているのを、いつも非難していて、私に先生にはなるなと教えられていました。
2001年に伊良部町議会のひとが、島をなんとか基地にしたいと、そういうひとたちが暗躍します。 いっぽう2005年には伊良部住民大会で自衛隊誘致決議の撤回を求める3千5百人の集会が開かれました。
2017年の10月から陸上自衛隊駐屯地の造成工事が始りました。2019年に宮古警備部隊が結成式を行いました。そのとき住民には弾薬は置かない、ただ兵舎と宿舎だけということを説明していたんです。
2020年3月にミサイル発射台が搬入され、2021年に保良訓練場が開設します。弾薬庫、射撃訓練場が配備され、2024年に電子戦部隊が配備される計画があります。住民説明会を求めていますが防衛省は応じません。
事前協議会を開いていますが、私たち反対するものは排除されています。多くの県民が亡くなった沖縄戦では、軍隊と行政により戦争がつくれていったということを学んでいるんです。
軍官民とあるんですが、軍をいうことを行政がそのまま受け入れているという不安があります。民の側を聞かないということです。
今、琉球弧の島々にミサイル基地を配備し軍事要塞化する 計画があります。台湾有事は日本の有事として、米国と日本が一体となって戦うことを想定しています。
宮古島では中央部野原岳に配備されていた空自レーダー基地に加えて、千代田区地区に陸自宮古駐屯地が開設(2019年3月)、保良地区に弾薬庫・射撃訓練場が建設されました(2021年4月)。
宮古島には3千メートルの滑走路をもつ下地島空港があります。下地島空港問題では1969年に伊良部村議会は下地島空港への訓練飛行場誘致を決議します。これは軍事基地になるということで反対運動が起きて衝突し、殺人事件まで起きました。下地島空港は琉球政府が所有・管理となりました。軍事には利用しないとの覚え書きがあります。
私たちはそのことを大事にしろ、と行動しました。政府は使いたいということですが、沖縄県知事は絶対に許さない人を選ばなきゃならないと思っています。
本当に小さな島ですけど、九州から軍用車両300台ほど運び、走行訓練といって島中を走るんですよ。気味が悪いんですが、戦争を想定して、どこからミサイルを発射したらいいのか訓練しています。
宮古島・空自レーダー基地は野原岳にありますが、戦時中は日本軍司令部だったところで、敗戦後に米軍レーダー基地で復帰後に引き継ぎました。隊員は200名ほどで、対空レーダーと地上電波測定装置、ヘリパッド、地下シェルターがあります。
レーダー装置などは電磁波がすごいと思いますが、何も調査されていないので、この中で暮らしています。陸自の宮古島駐屯地のゲート前には銃を持った2名の隊員がいます。経済的に基地と結びついていると離れられなくなると思います。
基地に軍用車両が配備されて緑色の車が宮古の道路をバンバン走っています。ミサイル発射車両も発射装置を取り付ける訓練を繰り返しています。 最初は弾薬庫はつくらないという説明をしていましたが、開設時に弾薬が置かれていたことが分かり、当時の岩屋防衛大臣が謝罪して移動したとしています。しかし、弾薬庫はそのまま置かれ、もし火災があったらら2分で1キロ離れなさい、といわれていますが、住居も200メートル位しか離れていない。住民にも知らされていない。
こういうヒミツを防衛省はやっている。本当に許されないことだと思います。駐屯地の前で抗議行動をしています。スーパーの前で毎週水曜日の夕方にスタンディングをして訴えています。
保良訓練場は2017年に部落会は配備反対決議をあげたが、強行配備されました。現在は弾薬庫を続けてつくる予定です。保良集落は弾薬庫から200メートルしか離れていません。 抗議して撤去を求めています。
国民保護計画では宮古6万人、石垣・米国住民をあわせて16万人を1週間かけて九州・山口に疎開させる計画ですが、沖縄県が中心になって訓練とかやっていますが、戦争がはじまったら空も海も危険な状態になります。住民は新しい土地でどうやって生きていくのか答えはないです。ホテル・旅館など避難施設は1ヶ月のみと、計画の矛盾が明らかになっています。
2017年から自衛隊基地の建設が始まると、家賃は高騰して若者が島に戻れない状況です。 島の経済は豊かになると宣伝され誘致が進みましたが、実感はなく儲けの対象として土地は高騰し、自然・景観は壊されて島の素朴さは失われました。島の暮らしは壊されました。
父は戦争が続けば自分たちは日本軍に殺されていた、と話していました。軍隊は住民を護りません。今、防衛省や国は基地があれば敵は攻めてこない、として陸自基地が配備されました。私たちを騙しているのです。
宮古島で静かで安心して暮らして生きていきたいのです。宮古で起きていることは日本の国のあり方であり、全国の問題です。民主主義、平和、人権の問題です。一緒に考え声を挙げましょう。
(文責編集部)